「またふられたのか、あんたは」

 呆れたように紫煙を吐き出したベックマンは見事に酔い潰れ、バーカウンターを殴りつけるシャンクスを冷たく見下ろした。

「海賊王以外の船には乗らねえってさ〜四皇じゃ役不足だって言うんだよ〜〜〜!!」

 ステンシアは決して海賊王の船と限定してはいないし、四皇では役不足とも言っていない。記憶が湾曲しているが、シャンクスにはそう聞こえたらしい。

 一体これで何度目の敗北だ。ベックマンは心中で毒づいた。

「おれァべつにせんいんとしてのってほしいわけじゃなくて、ただ、もういっかい、ちょ〜っとだけおなじふねで、せいかつしたいだけ……なん、だけどなあ」

 ――もう攫っちまえばいいじゃねえか、海賊なんだから。泥酔状態の男に何を言ったとしても通用しないだろうと投げやりになったベックマンが口を開きかけたところで、こつりと赤色の髪を触るように拳が置かれる。
 勢い良く顔を上げたシャンクスは好物を目の前にした子供のように満面の笑みを浮かべ、がくりと意識を飛ばした。

「……あらあらあら、お酒は潰れるまで飲むものじゃないよ」

 わしゃわしゃと赤い毛髪をかき回す長髪の男に警戒を強めたベックマンだったが、不思議な輝きを宿した水色の瞳に何故か力が抜けてしまう。

 いくら覗いても悪意や敵意の見えない澄んだ瞳はさながら小宇宙といったところだろうか。小宇宙なんて、本の中の幻想程度にしか知らないけれど、地上の空に浮かび目視できる無数の光が広がる世界と考えれば似たようなものだろう。その色は夜空というよりは雲一つない昼空を思わせる薄い青であるけれど。

「そんな風に言ってもらえると嬉しいね。シャンの船員さんはみんなそんな感じなのかい?」
「あ? ……ああ、すまない。声に出てたか」
「ふふふ、構わないよ。頑固な坊やが振り回してしまって悪いねえ」

 もちもちとシャンクスの頬をつまむ長髪の男には朧気ながら記憶があった。――あの時とは纏う空気が変わっていたけれど、その瞳の透明度は変わっていないように思う。十何年前の記憶を手繰り寄せる状態ではあるが、風貌もまた、変化がなく若々しい。
 これでお頭より歳上だというのだから、本当に人は見た目では判断できないらしい。

「お頭に振り回されるのなんていつものことだ」
「お頭、ねえ……」

 薄く細められた瞳は何かを慈しむようでいて、どこか寂しげだった。
 もしかして、もしかするならば。ベックマンはグラスに残るウィスキーを飲み干した。

「あんたは元ロジャー船員か?」
「……ああ、そうだね。だけど船員ではないよ」

 では、お頭の言う昔の知り合いとは。船長がこの男に傾ける熱量は少なからず他のものとは異なるように見えたし、古くから船員として共にしている自分でさえ知らない時からの知り合いであることは明白だった。その上、この男の話をする船長の眼に、声色に、恋愛感情が混ざっているとも思えず、むしろ敬意や憧れといった感情が混じっているように感じられる。
 けれど彼は元ロジャー船員ではないらしい。ならば、お頭を坊やと呼ぶこの男と船長――シャンクスの関係は、接点は、どこにあったと宣うのだろうか。

「ロジャー船長は凄い人だよ。恩がある。だけど、私は海賊じゃあないんだ」

 きらりとした星空を細め、穏やかな笑みを浮かべるステンシアに合点の行ったベックマンは静かに紫煙を吐き出した。

「それでもお頭にとってアンタは――」

 がたりと、強く床を叩く足音の直後、緩く波打つ黒髪が大きく揺れる。
 急にどうした? だとか、危ないだとか。声を掛けるより先に身体が動いて男の背中を支えたけれど、意識のない人の身体は通常の何倍も重たいものだ。

 ベックマンは支えた背中が思いの外しっかりしていたことに驚きつつ、ステンシアへ寄りかかるように眠りこける赤髪にため息を吐く。先程までカウンターに項垂れていたシャンクスがどういう経緯で後ろへ雪崩れたのかは見当がつかないが、申し訳なさそうにありがとうと言った黒髪の男に「お頭がすまん」と返せば、彼は僅かに小宇宙を見開いた。

「こちらこそ、シャンの期待に応えられない――応えたくないんだ。悪いとは、思っているのだけどね」
「……意外、だな。お頭はアンタを他人の期待に応えていくやつだと、聞いていた」
「ああ、うん。それは……そうだね。私は生きていてくれさえすればいい大切な人を優先して期待に応えたい」

 慈愛に満ちた青空は、緩やかに弧を描く唇は、今、この場にいるものの誰にも向けられてはいないことなど分かり切っているというのに。
 どきり、と。心臓を掴まれたような感覚。

「また、用もなく呼んでもいいだろうか」

 想い人は、快く思わないけれど。ステンシアはベックマンへ視線を投げる。

「シャンの話を聞くのは、楽しいんだ」

 自分に航路を決める権限はないけれど、ああ。と、肯定しか紡げない声帯に、言葉が次々と欠落していく思考回路にベン・ベックマンは狼狽した。

 じゃあまたね、と男はまるで可憐な少女のように微笑しネオン輝く小さな箱から姿を消す。
 どういうわけかどっと汗が噴き出し、ベックマンは力の緩んだ腕に凭れ掛かっていたシャンクスが椅子から転がり落ちる様を呆然と見送った。

「熱っつ!」

 徐に手を伸ばした煙草はフィルターギリギリまで焼かれ、その熱に思わず取り落とす。運悪くその先にあった赤毛をじりりと焦がしてしまったが、ため息を一つ零してしゃがみ込んだ。

「なかなか、厄介な人だ」

 惹かれるのも、分かる気がするけれど。
 ベックマンはシャンクスを起こすように頭を軽く叩いて煙草を落とし証拠隠滅を図った。


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