「キミは本当に厄介だねェ〜?」

 それで自ら死ぬことなど不可能に近いということは分かっていそうなものを、彼は敢えて選んだのだろうか。頸動脈を狙ったかのような位置に斜めに入る切り傷の治療中、ボルサリーノは呟くように吐き出した。

「……厄介、そうですか? 私はただ、単純に彼らのしあわせを願っただけですよ」

 光の消え去った冷徹な瞳はどこへやら。思わず二重人格を疑うほどに纏う空気の変わったステンシアが楽しそうに微笑む。

「おォ〜これはこれは本当に厄介だねェ〜」

 海軍本部へ初めて訪れた当時のように抵抗などしないでくれればよかったのに。尤も、彼はその時から無駄に意志の強い人間であり、自分の命を大切にしようという意思を感じられない人間であったけれど。

 もっと、何というか、他人の望みを叶え、期待に忠実に応える人間らしさに欠ける人間だったようにも思う。人も罪も憎まない、なんてできようはずがないのに、彼に何かを憎むことなどできるはずがないと思えるのだ。

「ふふふ、約二年間の楽しいたのしい逃避行はここで一旦終わりですね」
「そう何度も海軍の監視をすり抜けられるわけがないだろォ〜」
「それはどうでしょう」

 にこりと笑顔を浮かべるステンシアにボルサリーノは再度厄介だと吐き捨て、治療室を後にした。

 フィッシャー・タイガー率いる魚人族と人魚族で構成された海賊――タイヨウの海賊団はこれの約一年後、奴隷解放事件で助けられた人間の子供を故郷に送り届けた後、英雄であり、希望であった船長を失うこととなる。

 彼を慕い、自らの率いる一味の仲間ごとタイヨウの海賊団へ加入したアーロンはタイガーの過去とタイガーの優しさを踏みにじった人間へ腹を立て、海軍中将であるボルサリーノが撤退していないフールシャウト島へ単独で舞い戻った。

 怒りと恨みに身を任せて戦うアーロンはしかし、後の大将であるボルサリーノに敵うわけもなく投獄。海軍G・Lぐらんどらいん第二支部にて取り調べを受けたアーロンの悲痛な叫びは脚色され、翌日の新聞で世界各地へ発信される。

 新聞を手に取る人々は、話題の種と飛び回る音は、狂暴な魚人たちの船長がようやく死んだと安堵する市民の声、多くの奴隷コレクションを盗まれたと未だに怒りの収まらない様子の天竜人の声、あらゆる種族の奴隷を差別なく助けた英雄を切り捨てた人間への不信感を募らせる魚人島民の声と様々であったけれど、地上の人間たちのほとんどは些細な出来事であったと数週間も経たぬうちに誰も語らない過去の話と消え去った。

 海軍本部の屯所内で厳重に保護されていたステンシアの耳にその情報が入ったのは、多くの人間たちがよくある過去、海軍の功績と適当に記憶の隅に放棄した後のことで、厳重な保護下から抜け出さなければ知ることすらなかっただろう。彼を、彼らを生かすことができるのならば、命さえ要らないと身を犠牲にしてまで庇ったステンシアが再び失踪することを恐れ海兵たちはそれらの情報を隠蔽することを選んだのだ。

 だからこそ、数日前に捨てられたはずの新聞を片手に硬直した彼を目にした海兵はひどく動揺したという。
 皺を伸ばすように綺麗に折り畳みその場を後にしようと踵を返したステンシアの前に立ちはだかる壁は偶然通りかかったガープで、彼は両手で大切そうに持たれた紙切れに視線を落とすと僅かに複雑そうな表情をした。

「…………タイガーが死んで、アーロンが捕まった。ただ、それだけのことでしょう?」

 あなたたちは純粋に海兵としての仕事をしただけなのに、どうしてその功績を隠すような真似を? こてりと首を傾げたステンシアにガープは言葉を失う。彼らのために命を差し出すような真似をしたくせに、彼らの命に頓着しない発言はロジャーが彼を決して優しいとは言わなかった理由のように思えたのだ。

『あれの思考回路は中々人間らしくなくて面白い!』

 なるほど、確かに人間らしくないとはよく言ったものだ。
 八方美人とも表現できるのだろうが、それとはまた違うような、誰にも期待などしていないのかも知れなくて、期待などしていないから誰かの命の行方にここまで無関心なのだろうか。無関心、というとまた違うのだけれど、余りに淡白な気がしなくもない。

「ところでガープ。私はそろそろ外に出たいのだけど、この軟禁状態は一体いつまで続くんだい?」

 あまりにも真っ白すぎて頭がおかしくなりそう! からからと笑いながら不満を訴えられたガープはワハハと豪快に笑い「店でも建てるか!」そう立案した。

「それはいい考えだね、その方向でみんなを黙らせてきてよ」

 僅かに目を見開き、大して考える様子もなく賛同したステンシアは流れるようにガープに難題を押し付ける。――実際、海軍の英雄と呼ばれる男にはさして難しいことではなかったし、センゴクの頭痛源である彼の突飛な言動は今に始まったことではない。

「期待しているよ」

 上着に新聞記事を仕舞い込んだステンシアはひらひらと手を振りガープの横を通り過ぎる。海軍基地を自由気ままに散歩するであろう男を再度探す面倒事は誰かに任せてしまえばいいかと海軍の英雄は煎餅を口の中へ放り投げた。


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