向けられた銃口にフィッシャー・タイガーは身体を強張らせた。

 揃って白い衣服に青色のリボンを巻いた人間を率いる紫煙をまとわせた長身の黄色い男は、驚いた様子も恐れる様子もなく冷めた瞳で自分を見据える長髪の保護対象にため息を吐く。

「こォ〜んなところで会えるなんて偶然だねえ〜?」
「……今、この地で、近隣の島で。彼らへ危害を加えることを許可しません」
「キミの意思一つでこの大罪人を逃がせるなんて、烏滸がましいとは思わないか〜い?」
「おや。残念ながら私はこの腕も、命も、必要とは思っていませんよ」

 一向に温度を宿さない冷めた瞳を細め微笑を浮かべるステンシアはナイフを取り出し首に宛がった。
 怯えのない覚悟の決まった瞳は真っ直ぐにボルサリーノを見遣り、一切震えることのない手に握られた刃物は赤色の雫を垂らしていく。ああ、これはまずいかも知れない。

 ボルサリーノは自分の吸う煙草を指先でつまみ、静かに煙を吐き出した。

 ――彼の、ステンシアという一見どこにでもいそうな人間の生命は海軍にとって大切なものなのである。

 人間を国宝と定めた彼らはやはり、同じ地で息をして、権力をひけらかす同族以外を下等或いは人型をした道具として扱う彼らが、自分たちと同じ場所に同じ立場として、特別措置を施したものの命を絶やすことはつまり、海軍の汚点となりうるものだ。
 媚び諂う気などないが、海兵という立場上彼らの発言に従うべきであることは明白で。けれどその権力が目の前の、吹けば飛んでしまいそうな男にあるかという話になれば、それは別の話で。

 ボルサリーノは半ば棒立ちの大罪人――フィッシャー・タイガーを見遣り、口端を上げた。

「随分と薄情なんだねェ〜? ソレが死んでもいいのかァい?」

 ソレ≠ニ、タイガーの隣にいる人間を指で示し煙草を放り捨てる。
 彼を船に乗せた元奴隷であり、マリージョア襲撃事件の犯人が彼の異常性に気がついていないはずはないとボルサリーノは直感したのだ。

 思えばいつだってその無責任な博愛主義者は海兵ではないものの近くにいることを選んでいるように見えるけれど、初めて彼がマリンフォードへ訪れた際に大海賊ゴール・D・ロジャーの船に乗っていたのは海軍本部へ訪れるための伝手がなかっただけで、その実辿りつけさえすれば誰の船でもよかったのだろう。

 少なからず恩義は感じているだろうロジャーの処刑を何の感慨もなさそうに「そうか」と一言で済ませ、島一つを焼き滅ぼしたオハラの記事の載った新聞に目を通して「学者に巻き込まれて死んでしまったひとたちは可哀想だね」と、そう告げるだけであった淡白な男が、今、明確に、大罪人率いる海賊団の命を選んでいた。

 ――ステンシアがそれほどまでに入れ込むものが、彼の命を切り捨てることなどできようはずもない。
 フィッシャー・タイガーが考えを改めるように立ち振る舞えば、失踪していた人間国宝サマを海軍の監視下に連れ戻せるだけでなく、天竜人の怒りに触れた大罪人の処分も容易くできるとボルサリーノは確信に似た感情を抱いていた。

「おれはステンシアとの約束を破るつもりはない。こいつを殺すのは、お前たちだ」
「おォ〜それは困ったねェ〜。強硬手段に出るしかなさそうだ」
「あなたがそうして私を海軍本部に連れて行ったとして、私は何もしませんよ。なにも。あなたたちの望むことなんて、何一つ」

 光を消した水色の瞳が眼前に迫った男を見据え、微笑む。
 だから嫌なのだ、この男は。
 ボルサリーノはステンシアの握るナイフを蹴り飛ばし、ひょいと抱え上げた。

 びりりと明確な敵意を表したタイガーに先刻とは打って変わって慈愛に満ちた微笑を浮かべ「ありがとう。幸せになってね」ぱくぱくと口だけを動かしたステンシアに動きを止める。

「彼に免じて今回だけは逃がしてやるけどォ〜次はないから覚えておくんだねェ〜〜」

 じりじりと撤収していく海兵の後ろ姿を茫然と視界に捉え、後方に蹴り飛ばされた彼の持ち物に焦点を合わせた。「ありがとう」と、それはこちらの台詞で。「幸せになってね」それは自分が彼に願っていたことで。

 フィッシャー・タイガーは鉄の匂いのするアカが付着した刃物に触れようと膝から崩れ落ちた。

「お頭! 海兵が、今!!」
「……ジンベエか。大丈夫、大丈夫だ。もう、終わった」
「なにを……! 船員が争っとります、早く合流した方が――!」
「大丈夫だ、ジンベエ。ステンシアが、おれたちを守ってくれた」

 彼の持ち物を拾い上げ、地面に染みた僅かな赤にジンベエは瞠目する。

 まさか。海兵にとっても軽いものではないだろう命を? タイのお頭がいたというのに、そんなことは、考えられない――否、考えたくないと言った方がいいだろうか。

「ステンシアが海兵を退けてくれた。だから、もう、あいつはあの船には戻らない」
「――それは!」

 騒めきだした辺りの空気に周囲を見渡せば、ぞろぞろと集まる船員の姿が確認できた。肩を落として項垂れる船長の姿にただならぬ何かが起こったのだと察する彼らは、けれど船長の身体に傷一つないことに疑問符を浮かべる。

「タイのお頭、」
「……ここに長居はできねえ! 出港するぞ」

 即座に頼りがいのある顔を貼り付けたタイガーは船員と共に自らの船への帰還を指示した。


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