海賊船の来訪を告げる波音に海岸を見た長髪の男は「ほう」と小さく呟いた。
 男の視線の先にあるそれは鯨を模った可愛らしい海賊船であり、四皇に名を連ねる大海賊――エドワード・ニューゲートが船長、白ひげ海賊団のものであったからである。この海賊旗に救われている国や島は存外多く、それと同時に様々な海賊や一般人に嫌われていることは明白であった。そもそも一般人に好まれる海賊が存在するのか。という話ではあるが、救われた者たちにとっては海賊という危うさが付いて回ろうとも命の恩人であることに変りはない。場所によっては海軍よりも頼りになると囃されるのだから、海兵にとっては堪ったものではないだろう。

 露店で質の良い林檎を五つ購入した長髪の男は自らの住処へ足を向け、くすりと小さく笑う。これから暫く楽しくなりそうだ。数時間も経過しない間に全く予定外の方向で的中することになる期待を胸に、男は一口、林檎を咀嚼した。


「あ、そこのねーちゃん!」

 白ひげ海賊団四番隊隊長――サッチはへらりと人好きのする笑顔を浮かべ、腰丈の黒髪を緩く縛った島民と思しき者へ声をかける。ぴたりと足を止めたその人は、考えるように数秒静止してサッチを振り向き、僅かに瞠目した。

 その表情に軽く謝罪したサッチは、用件を促す言葉と共に穏やかに微笑んだ島民の水色の瞳を見つめる。何と切り出せば無為な警戒をされないだろうか。仮に警戒されて逃げ出されたとして、他に島民はいるのだから目の前の者でなければならない理由はないのだけれど、意味なく怯えさせるのは心苦しかった。

「あー、なんだ。人っつーか、場所っつーか……探してるんだがどうにも見つからなくてな」
「おや、待ち合わせ?」
「待ち合わせ、でもなくて、うーん……買い出し?」

 おれが興味あって勝手に探してるだけだから買い出しとも言わないか。考えなしにさらりと出てしまった自分の言葉にサッチは苦笑いする。
 不審に思われただろうか。半ば諦めたところで下から笑い声が鼓膜を揺らした。

「……もし、お嬢さんさえ良ければ案内してくれねえか?」
「え。あーっと、それは……ごめんなさい」

 眉を八の字にした島民は赤く色付いた果実をサッチへ差し出し再度謝罪する。慌てて謝り返したサッチは差し出された赤い実を押し返し、困惑気味な水色の双眸を見下ろした。
 不信感を抱いた男と行動を共にしようとは思わないか。それもまあ、仕方がない。

「案内したいのは山々ですが、迷ってしまって」

 その言葉に瞠目したサッチは、島民が抱える紙袋をひょいと浚い歯を見せて笑った。

「お嬢さん一人ほっとくのは心配だし、おれと迷うってのはどうよ」

 これは名案だ! と言わんばかりのサッチの行動にリーゼントを見上げた島民は「頼もしいですね」控えめに笑い、サッチの同行を承諾した。

「人通りが少ないわけじゃねえしすぐに知り合いに――っておい!」

 つたたと露店へ吸い込まれていってしまった後ろ姿を追いかけ、とんだ自由人に声をかけてしまったとサッチは顎を掻き動向を見守る。その最中、島民が自分と似た趣味、または関心があるのではないかと目を見張った。この一回きりの出会いであれ話題が出来たというのは大きなことで、この先どこかで再会することがあるのかもしれないと会計を肩代わりする。「ありがとうございます」と、まるでそうされることに慣れているといった風に商品を受け取ろうとした島民を制止して受け取ったサッチは「荷物持ちついでに奢ってやる」と笑い飛ばし、島民の頭を軽く撫でた。

「……ジンベエさんが知ったら怒られるなあ」

 ぽつりと呟くように溢した島民の言葉に瞠目したサッチはぴたりと動作を停止し、同名の知り合いの姿を思い浮かべる。
 結果、島民の言うジンベエが自分の知るジンベエであるかどうかは定かではないが、同一人物である可能性は低いと結論付けたサッチはしかし、幾ら白ひげ海賊団だとて海賊としてそこそこ有名である自分を怖がる素振りを一切見せなかった島民を思い返し、その可能性も否定しきれないと唸った。けれど、サッチの知るジンベエは人間嫌いであったはずで、記憶が正しければジンベエ自身がそう言っていたはずである。

 ――やはり、同名の別人だろう。

「そのジンベエさん≠チてのは、」
「合ってるよ。きみの頭に浮かんだその人で」

 にこり。島民は目を閉じ口角を上げた。
 まさか、謀られたか。警戒し後退ることを見越した手がサッチを捕らえ、弱い力が腕にかかる。それが罠であろうと女性相手に振り払うことも出来ず、サッチはただただ島民を見下ろした。

「別にどうこうしようとは――あ、これ言ったらダメなやつだったっけ」
「――言っちまったら、何かあんのかよ」

 警戒を強めたサッチは自分の獲物であるダガーの柄へ視線を落とし、一歩後退する。

 手荷物は、どうするか。元より島民が持っていた物もあるが、自主的に肩代わりした物もある。戦闘を避けて船まで巻いてしまえば、ほんの僅か――それこそ雀の涙ほどであるが――食料の足しになる。かの有名な白ひげ海賊団の隊長ともあろうものが敵前逃亡というのは何とも情けない図であるが、上陸して数時間も経たない内に騒ぎを起こす気にはなれなかった。

 にこりと笑った島民はサッチの胸板へ飛び込むように開いた距離を縮め、自然な動作でダガーの柄を押し込み指先をサッチの唇へ宛がう。

「内緒ですよ。私が、あなたの探し人です」


[ prev / next ]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -