彼の作り出したものを目にすることは、ましてや口にすることは、形容しがたい奇跡であり幸福なのであろうと思う。もともと、赤い土の大陸レッドラインの頂にある町聖地マリージョア≠ノ住む人間――天竜人の前に出すために作られるようなものであるのだから。

 三年に一度開催される品評会制度をもってすれば、目にすることだけは可能であるかも知れない。尤も、間近で見ることが叶わなければ、極稀にお目にかかれる程度のものであるが。

「魚人島のお菓子って、どんな味ですか?」

 動かないジンベエにステンシアが問いかけた。その言葉は特に意味はなかったように思う。
 穏やかな昼下がり、船内を動き回る船員の足音と波の音はジンベエの耳に心地よく響き、放たれた言葉を拾い上げた。

 故郷の菓子の味と似たものは、地上で出会った記憶がない。何とはなしに手を伸ばし、焼き菓子の一つを口へ放り込む。今まで食べたものの中でも美味いと感じはすれど、懐かしい甘さには程遠い。

「(彼は彼で、虐げていたのがたまたま彼と同じ種族だっただけで。恨むのも憎むのも、疑うことも、お門違いであるのかも知れない)」

 別の焼き菓子を口に放り込み、咀嚼したジンベエはちらりとステンシアを見遣り、更に一つ口の中へ放り込んだ。

 甘いものをあまり口にしないジンベエに大した違いは分からないが、人間国宝とまで言われる彼の作るものは美味しいのだろう。甘味は、あまり好きではないけれど。

「おいしいですか?」
「……ああ、そうじゃな。他の船員に持って行くか?」
「いいですね、それ。来ていただいた方が早いような気もしますが――」
「ジンベエさん! こんなところ、にっ!?」

 ジンベエを呼びに来たらしいハチはその空間にジンベエがいることを認め、目的の男が伸ばした腕の先を視界に捉え言葉を失った。

 ぱくぱくと魚が酸欠を訴えるかのように口を開閉させるハチを気にした様子のないステンシアは菓子の乗った皿を一つ持ち上げ、ハチの前へ移動する。何となくそれを目で追ったジンベエは困惑を全身で表すハチと目が合い思わず視線を逸らした。

「ハチさんもどうぞ」
「ニュ〜……お、お前これの材料どうしたんだ」
「これは持ち込んだものです。……持ち込んだというより取り寄せた、という方が正しいのかも知れませんが」
「……取り寄せた? 物が届いたことがあったか?」
「……? タイガーからいただきました。菓子でも作れ、と……」

 ジンベエが反芻し、ハチとアイコンタクトを取りながら疑問を投げかければ、不思議そうな顔をしたステンシアがけろりと答える。その途端、ぴしりと動きを止めた二人の魚人に疑問符を並べたステンシアは小首を傾げた。

「私、何かおかしいこと言いましたか?」
「……いや。そうじゃハチ、わしに何の用じゃ」
「あ、ああ……お頭が探してたんだ」

 ジンベエは目を泳がせるも動揺を隠すような声色でハチへ用件を尋ねる。「なんでそんなに冷静な顔をしていられるんだ」と言わんばかりの表情で答えたハチの口へ状況がよく分かっていないステンシアは焼き菓子を押し入れた。
 予想だにしない人間の行動に数歩後退したタコの魚人は、動揺が残るまま口内に押し込まれたものが何であるのか認識する。

 ――焼き菓子だ。恐らくは目の前の奇想天外な言動をする人間が片手に持った皿の上に乗るもの。それは決して変なものではないし、見た目からも味からも失敗したものとも思えないけれど、それにしたって行動が突飛過ぎやしないだろうか。

 手早く咀嚼し呑み込む最中、ハチは思考を巡らしながらジンベエとステンシアを交互に見た。

「……おれだから怒りはしねえが、人を選ばねえと身の保障はできねえぞ」
「おお……! 心配より味の感想をお願いできますか」
「にゅ、ニュ〜」

 こいつマイペースにも程があるんじゃねえのか。自分の話を全く気に留めていなさそうなステンシアに言葉を失ったハチはジンベエへ助けを求めたが、それがジンベエへ届くことはなく、また、お頭――フィッシャー・タイガーが探していた。というハチの言葉さえ聞いていたのか怪しい様子の彼はまた一つ菓子をつまむ。

「ステンシアくん、タイのお頭に持って行く用に包むことはできるか?」
「ふふっ、はい。すぐに包みます」

 ああ、そうだ。と、思い出したように問いかけたジンベエを振り向き、ステンシアは平然と返事をすると、ゆったりとした歩調で厨房に姿を隠し、控えめに柄が印刷されたラッピング袋を取り出した。

 ジンベエとハチにはその袋がどこかで見たことがあるように感じたし、どこまでも冷静で安心感を覚える余裕ある行動にも、彼が間違いなく普通の人間であると証明しているかのような――けれど、どこか自分たちの生きている世界とは全く違う世界の住人であると証明されたような矛盾した感情を引き起こすには充分だった。

 人間である彼と同じ概念で生きているわけがないけれど、ここまで不可解に感じる人間に会ったことはなかったように思う。

 ――彼は、何≠ネのだろう。

 好奇心か、猜疑心か。そんな感情が、静かに、確かに、湧き上がる。


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