――確かにあの男を尊敬していた過去はあるけれど、それもこれも全て過去のものに変わりはないのだ。人間という下等種族が魚人海賊団の中に入るなど、それを許容するなど、慣れあうことなど、あってはならないのだから。

 陸でしか呼吸ができず、力もない下等生物があたかも当然であるかのように、自分の立場の方が上だとでも言いたげに、船内を、大切な魚人族を懐柔していく。こんなことがあって良いのだろうか。聞くまでもない。

 あっては、いけないのだ。

 下等生物に絆されることなど、あってはならない。一部の船員はすでに遅いかも知れないけれど、これ以上毒される前に下等生物の本性を引きずり出さなければならない。

 危険分子は、排除するべきなのだ。

 ノコギリザメの魚人は、魚人街の兄貴分――ジンベエと会話する人間を睨みつけ、不意に視線を自分に向けたそれと目が合ったことに表情を更に歪める。へらへらと笑った下等生物の視線を追い、自分を視界に捉えたジンベエは分かりやすく顔を顰めた。

 あのジンベエのアニキが、人間と馴れ合うとは。
 表面を幾ら繕ったとて、その内面では見下しているのだと、早く分からせてやらなければならない。人間という浅ましい種族は皆、そうであるのだ。

「まさかアニキが下等生物と馴れ合うとはな」
「タイのお頭が恩人と言うたのを聞いとらんかったのか」
「小賢しい演技でもしたんじゃねえのかよ。なあ、人間」
「あなたがそうであってほしいと思うのなら、私はそれで構いません」
「下等生物が……! 馬鹿にしてんのか!!」

 掴みかかろうとしたアーロンの腕を即座に叩き落とし、ジンベエはステンシアを背に匿うように立ち回る。

 クソ! ついに頭がいかれちまったのか!! ジンベエは怒鳴るアーロンを黙らせるように一発殴りつけた。びりびりと船内通路に不穏な空気が広がる。ここでもやはりジンベエは言葉を発さなかった。

「……人間と魚人って、そんなに遠い関係ですか?」

 ぽつりと、ステンシアが呟いた。

 海底一万メートル。魚人島と地上の距離は、魚人と人間の距離ともいえる。

 長い長い迫害の歴史、人間への嫌悪と恐怖と憎しみ、奴隷であった者たちが抱える深く暗い現実。そうして広がった距離を、近いと言える者がいるだろうか。

 遠いのだ、太陽も、森も、人間と同じ陸地で生活する未来も、心の距離も。

「テメエ等人間がおれたちを嫌って遠ざけたんだろうが! 遠い? 当たり前だ。水中で息ができなければ、水圧にも耐えられねえ下等生物が! おれたちと同じ土俵に立てるわけがねえ!! 近づこうとすること自体が間違ってんだよ!!!」
「……一緒に、生きたいと思うことは、間違っている……?」
「真に受けんでいい。こういう奴はどこにでもおる」

 ジンベエはアーロンを切り捨てるように言い、軽々しくステンシアを抱え上げてその場を離れた。

 オトヒメ王妃は人間と共に生きることを望んでいるけれど、人間を愛せと言うけれど。
 人間との決別を叫び、世界政府と対峙した英雄<tィッシャー・タイガーを見殺しにはしないと集結していることも事実で、彼を慕う魚人街出身の者たちはアーロンのような思考であるかも知れない。



『誤解しないで! この島にやって来る人間たちは海賊≠ニいう種類の人間。人攫いから人類を買うのは、貴族という権力者たちであるということ!』

『私たちは偏ったごく一部の人間たちにしか触れていない! まだ、彼らのことを何も知らない! 彼らと同じタイヨウの下にこの王国を移すのです!!』

『今年開かれる世界会議レヴェリー≠ナ、私たちの移住の意思を世界に示しましょう!!』

『ここに、国民一人一人の署名を!!』

 オトヒメ王妃の演説に国民が困惑するのも、簡単に首を縦に振れないのも分かり切ったことで、けれど諦めない彼女の声は毎日国中に響き渡る。

 歴史が答えを出しているというのに、何て無駄なことだろう。ジンベエは演説中の王妃から目を逸らし煙管をふかした。

 こちらが寄り沿いに行ったとて、人間の差別意識が変わるわけではない。リュウグウ王国が世界政府の加盟国となり人間たちとの友好を結んだのは二百年前。それまで人魚と魚人は魚類≠ノ分類されていたという。

 二百年という歴史は決して古くはないし、むしろ新しいとさえ感じられる。世界政府の加盟国になる前のリュウグウ王国を自分の目で見たわけではないけれど、王が世界会議≠ヨの参加を許されたこと以外の変化はないように思う。


 人間との決別を叫んだフィッシャー・タイガーを守る≠スめにタイヨウの海賊団の船に乗り込んだけれど、奴隷解放の英雄である彼を大罪人として殺そうと襲い来る人間を見ては、とても彼らを愛せるとは思わない。

 白い制服を身に纏った人間――海兵たちばかりを見ればそうだった。

 ああ、腹が立つ。我らが英雄フィッシャー・タイガーの命を狙うとは。奴隷は容認されるのに、奴隷解放は罪だなんて。

 人間への嫌悪から、向かってくる輩は殺したって構わないと海兵を打ち負かしていた時、タイのアニキは言ったのだ。

 人間を殺すな≠ニ。殺したら負けで、人間を殺してしまったら、それはつまり彼らと同類になるのだと。

『――これは差別の歴史への復讐≠カゃねえんだ! おれがマリージョアでやったこともそう。つまらねえ世の鉄則は破ったが、虐げられる者たちの解放≠ナしかない』

『このタイヨウの海賊団は解放≠ニ自由=Bそれ以上の意味は持たねえ!! おれたちが恨みのままに人間たちへの復讐を始めれば――その後生まれるのは更なる人間からの復讐って悲劇だけだ。何の罪もない未来の魚人族が目の敵にされるだろう』

『わかるか? 追って来るものたちとは戦い、奪うが、最後の一線を守れ』

『おれたちは誰も殺さない!!!』

 アーロンはタイのお頭の言葉に反論したが、言われてみればなるほど。タイのお頭も、やはり、優しい。本当は、オトヒメ王妃の人間との共存という理想を、国民を本物のタイヨウの下で生きられる世界にしたいという夢を、邪魔になることなどしたくなかったのだろう。

 ジンベエは尚も言い募るアーロンをガツリと叩きつけた。

 船長室は笑いに包まれたけれど、アーロンの顔は不満気で、フィッシャー・タイガーの言葉に納得した様子はない。彼にとって人間という種族は生きていることさえ許せないのかも知れないし、タイガーのマリージョア襲撃は復讐劇の始まりだと思っていたのかも知れない。

 ――その夜、タイガーはジンベエに吐き捨てた。
 オトヒメ王妃にとって自分とアーロンの何が違うのか。ジンベエは言葉を紡ぐことができなかった。何度も言うようだが、ジンベエら魚人海賊団の船長、フィッシャー・タイガーの起こした行動は、オトヒメ王妃が思い描く未来への理想を遠ざけてしまうものだったというのは明白である。

 彼女は、それをも受け入れ立ち向かうのだろうけれど、優しい船長はそれを思い悩んでいるのだろう。

『おれは……自分の心の奥に潜む鬼≠ェ……、一番恐い……!!』

 果たして、彼の中に潜む鬼とは。暗く醜く淀んだ感情が渦巻いているとでもいうのだろうか。そしてそれは、何に対してか。

 ジンベエがフィッシャー・タイガーの抱える闇を知る日は、まだ先のことで。彼が人間を連れて来たのはそれから二年が経過した頃だっただろうか。


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