「――ステンシア、ジンベエが探しているぞ」

 タイヨウの海賊団の船員と比べて小柄な人間を探すことは中々に困難で、思わずため息を吐いたジンベエの耳に聞きなれぬ名が届く。声の主はアラディンで、彼の視線の先には先程いないと決めつけた輪の中に向いており、そこに長い黒髪をした人間がいた。

「すみません、今行きます!」

 声を上げたステンシアは取り囲む船員に二言三言告げ、小走りでジンベエの元へ向かう。
 アラディンへ視線を戻したジンベエにイタチウオの人魚は予想通りだとくつくつと笑い、「意外か?」一言、そう訊ねた。

 意外も何もあったものか。今日突然タイのお頭が連れて来た人間を相手に親しげな空気を滲ませる魚人がいるなど、思いもしない。

「彼には、おれたちも恩がある」
「……彼?」
「何だジンベエ、分からなかったのか。ステンシアは男だぞ」
「……人間はよく分からんからのう」
「――もし、ジンベエさんがそう思うのなら、私たちだって同じように魚人や人魚のことをよく知らないし分からないんです。でも、だから私は、貴方たちのことをちゃんと知りたいと思う」

 アラディンとジンベエの会話に入り込んだステンシアは二人を見上げた。穏やかな声で困ったような表情がどこか必死に映り、イタチウオの人魚は相好を崩す。

「これから、知っていけばいい。元気そうで良かった」

 柔らかく笑ったままそれだけ言うと、アラディンはステンシアの背を軽く押しその場を離れていく。その後ろ姿を暫く眺めた後、ジンベエへ向き直った男は「お待たせしました」と、僅かに困惑を残した表情で再びジンベエを見上げた。

 ――この男の交友関係はよく分からない。今までどこにいて、どう過ごしてきたのか。長く航海を続けてきたタイのお頭と知り合う可能性は分からなくはないけれど、アラディンをはじめとした元奴隷の魚人たちといつ知り合ったのか。もし何かのタイミングで知り合えたとして、知り合い≠ニいう認識であるならば別として、彼らはこの男を恩人≠ニ呼んでいるのだ。

 謎が多い、と言えばいいのだろうか。

 ジンベエは改めて思案した。この男の素性を確かめなければ、きっとわだかまりは解消されないのだろうけれど、知られたくないことや言いたくないことの一つや二つあるだろうし、その中に仲間たちとの関係がある可能性だってないとは言えない。

「ジンベエさん私、」
「――人間であるお前さんに、ここで出来ることはまず存在しない。それを忘れんことじゃ」

 睨みつけるようにステンシアを見下ろした男はそう吐き捨てると船内へと足を進めた。

 ジンベエにとって人間は脆くか弱く水中で呼吸の出来ない生物だったし、それは他の船員の認識とも相違ない。人間のことはよく分からないけれど、その中でも見るからに軟弱そうな男が、仮にも海賊船で、筋力差の明らかな魚人族の中で、一体何が出来るというのだろう。恩人という割に、タイのお頭も酷なことをする。

 事実、幾ら魚人島の英雄であるフィッシャー・タイガーの意思だとして、人間の乗船を許可したことによる反発はあったのだ。彼への当たりは強いどころではないだろう。

「貴方たちに歩み寄りたいと思うことは、間違っていますか」

 慌ててジンベエの背を追い、ステンシアは問いかけた。
 ジンベエは何も答えない。舟板を叩く二つの足音だけが二人を包み、はたと魚人の男が歩みを止めた。

「お前さんには悪いが、今の世情でお前さんのように考える人間が複数いるとは思えん」

 仮に人間が友好を示すことがあろうとも、迫害の歴史は古くない。根付いた人間への恨みは、受けた屈辱は、忘れることも消えることもない。目を閉じたジンベエは一つため息を落とし、ステンシアが立ち止まったことを確認すると歩調を合わせるようにゆっくりと歩き出す。

「世界には、あなたたちを認めたくない人がいるかも知れないけれど、今、ここに、歩み寄りたいと思う人間がいる! 今とは違う未来を、見たいとは思いませんか?」

 ジンベエの袖先を控えめに掴んだステンシアは真っ直ぐに男の瞳を見上げた。
 舟板を叩く足音は二つ。魚人の男は、再び口を閉ざす。

「……タイガーは何で悪い?」

 ステンシアは訊ねた。
 しばしの沈黙、ジンベエが口を開く。

「……奴隷がまかり通り、奴隷解放が罪になるこの世界の制度が、タイガーさんを悪だと言う」
「ジンベエさんたちにとってタイガーはどういう存在?」
「英雄じゃ。恩がある」
「それは、何故?」
「……何故? お前さんだってタイガーさんがたった一人で聖地マリージョアを襲撃したことくらいは知っておるじゃろう。同胞だけでなく、種族を問わず多くの奴隷を救った人を英雄と呼ばずに何と呼ぶ? タイガーさんは――」
「ああ、うん。知ってる」

 タイガーは、凄い人だよね。ジンベエの台詞を遮ったステンシアは頷いた。
 聞いてきたのは貴様の方だろうが。思わず出かけた言葉を呑み込み、よろめいた男をジンベエが受け止める。

 体格の良い魚人同士が擦れ違えるように設計されている船内は通常サイズの人間の身からしてみれば広く大きいものであるし、その中で船員が過ごしているわけだから必然的に通路も長い。そんな船内でステンシアのゆっくりとした歩調ではどう考えても一日では案内しきれないだろう。
 尤も、一日ですべて覚えてもらおうなどとは思っていないけれど、キッチンや医療室など最低限の生活スペースは早い内に覚えてもらわなければ居づらいということは明白だった。

「お前さん、」
「それ、止めましょう。折角近くにいるんだから、名前で」

 じっとジンベエの瞳を見詰めたステンシアは「ジンベエさん」そう呼びかけ目を細めて微笑んだ。


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