「お嫌いですか? 甘いもの」

 来店してすぐ甘い香りに顔を顰めた同伴者にそう問えば「好んで食べはしない」と返されてほんの少し申し訳なくなる。
 それでも付き合ってくれるのはサカズキさんの優しさなのか、記憶喪失の一般人という厄介な存在から早く解放されたいからかは分からない。仮に後者だったとしても、おれはこの人を優しい≠ニ言うだろう。

「ありがとうございます」

 案内された席についた一言目はそれだ。一般人の知る海軍大将赤犬≠ェよもやスイーツ屋にいるとは誰も思うまい。
 当たり前ながらこの人は「何のことだ」と言うけれど、きっと「そんなくだらないことを考えていたのか」と言われるだろうことは分かっているから笑って誤魔化した。
 誤魔化した≠ニいうよりは誤魔化されてくれた≠ニ言った方が正しいのだろうが、深く言及してこない辺りは大人の対応だろう。
 ──単純に興味がなかったのかも知れないけれど。
 サカズキさんの本心について赤の他人であるおれが分かるはずもないと開いたメニュー表には何故か見覚えがあるような気がする。
 バニラアイスとワッフルの盛り合わせにつやつやと輝く栗がおいしそうなパフェ、林檎ジャムで味わうパンケーキと目移りしてしまうスイーツの数々はどれも食欲をそそる見栄えだ。
 初めて来店したスイーツ屋のメニュー表に既視感を覚えつつこの時期旬である林檎ジャムのパンケーキに決めて、サカズキさんを見上げる。
 何にしますか? と聞くより先にかけられた声に頷いて「今日はパンケーキを食べに来たので」と言えば、サカズキさんは同じものでいいと言って口をへの字に結んだ。
 飲み物はどうしようかな。サカズキさんは緑茶が好きそうだけど、生憎ここのドリンクメニューに緑茶は見当たらなかった。

「……林檎のパンケーキと珈琲を二つずつお願いします」

 オーダーを取ったお姉さんの笑顔が一瞬凍り付いたように見えたのは、おれの同伴者が海軍大将ということに気が付いたからだろう。
 むやみやたらと一般人に危害を加える人ではないのだから、怯える必要はないだろうに何を恐れているのだと外を見遣った。

 ──雨は、降っていない。

 それがどうにも違和感で首を傾げれば「どうした」とサカズキさんの声。これもまた、何かが噛み合わない。
 悶々とした感情のまま異様に早く配膳されたパンケーキを頬張っても、もやもやとした煮え切らない気持ち悪い感覚は増すばかりだ。
 以前食べたときは気分が晴れ上がるような幸福感をもたらしてくれたというのに今はそこまで美味しく感じないし、口直しに啜った珈琲の香りと苦みの方が幸せな気分になる。
 コーヒーなんて、昔は飲めなかったのに。

「おいしいですね」

 そう言っておれはふわふわとした生地をナイフで裂き、フォークを突き立て口に放り込んだ。
 もそもそと咀嚼して、遥か遠い記憶の中に眠っていたオムライスの味を思い出したから、今日の夕食はオムライスにしよう。
 そうしてサカズキさんが休みというだけの少し特別な日の外出は終了した。

 何一つ変わったことはない日常だった。

 カシャン、と音を立てて割れた一枚の皿は、どうやらありきたりな日常をも砕いてしまったらしい。
 溢れ出た一筋の雫を皮切りに、ぼろぼろと止まらないこれは、まるで決壊したダムのようだ。と他人事のように処理をしたおれの思考は、些か慌てた家主の足音を聞き逃していたようだった。


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