「モモンガさん見てください」

 両腕を背中に隠し、楽しそうに笑う彼女にモモンガは首を傾げた。

「どうした?」
「イカリングオレ!」

 ででーん! と効果音がつきそうなほど勢い良く出された紙パックジュースにはイカリングがプリントされ、ただならぬ雰囲気を纏っている。先日は、塩焼き秋刀魚オレ、だったか。
 全く一体どこでそのようなゲテモノドリンクを仕入れてくるのだと訊ねれば、マリンフォードを二人で散策していたときに見つけた小さな商店だと言っていた。
 聞けばその店主は極度の牛乳好きらしく、好きなものと美味しいものを組み合わせればなんでも美味しいのではないか、という発想からとんでもないゲテモノを創り出しているらしい。
 そんな余程の馬鹿しか買わないだろうそれを嬉々として買ってくる子供のような好奇心には、もはや愛おしいささえ感じられた。

「あのお店は面白いものがたくさん置いてあって楽しいんですよ」

 柔らかく花を咲かせた笑顔にくらりと目眩がする。
 なんでもない日常があまりにも穏やかに優しく仕事の疲れを癒していくような気がした。

「でもね、わたし、モモンガさんの作ってくれるお料理が一番好きよ」

 椅子を引いて着席を促せば、すとんと素直に座った彼女の長い頭髪が柔らかな香りを奏でる。
 以前パッケージが可愛いと購入したシャンプーのものだ。
 にこにこと振り返った彼女の額に唇を落とし、僅かに顔を赤くした彼女に頬が緩んだ。
 栗色の髪を数回撫で、向かい合う椅子に腰を下ろす。
 今日の晩御飯はオムライスだ。ケチャップライスを包むふわふわの玉子は我ながら上出来だと思う。
 両手を合わせた彼女が「いただきます」とスプーンを掴むのを見届け、自分も同じように手を合わせ同じ台詞を言った。
 黙々と口に運ばれ、段々と減っていくオムライスは小気味良い。もぐもぐと小さな口を動かす姿は小動物のようで、視線に気がついた彼女が顔を上げた。
 口の端にケチャップが付いている。
 指先で拭き取り自分の口に運ぶ。ケチャップの味が広がった。

「今日のご飯もとってもおいしいです。モモンガさんも召し上がってください」

 頬を赤らめながら笑った彼女に「そうだな」とスプーンを持ち上げた。
 ほどよく固く焦げ目のない玉子は今までで一番うまく作れている。味もそこそこ、悪くない。
 彼女より先に食べ終え、彼女の食事風景を眺めた。
 ああ、そういえば彼女が嬉々として掲げたイカリングオレの味が少し気になるかも知れない。

「知り合いのおばさまからお野菜をもらったんです。明日のお夕飯はシチューを作りますね」

 ぱくりと最後の一口を飲み込んだ彼女が思い出したように言った。
 明日の夜はシチューか。彼女が作るものは美味しいから安心だ。

「朝は私が作ろう」
「まあ! でもモモンガさん、明日もお仕事でしょう?」
「いや、明日は休みだ。先週オープンしたスイーツ屋とやらにでも行くか?」
「あら? せっかくのお休みなのにいいんですか?」
「当たり前だ」

 むしろ折角の休日を彼女のために使わず何に使うというのだろうか。

「まあ! うれしいわ」

 一緒にお出かけなんて久しぶりね。そうはにかんだ彼女に、最近はなかなか休みが取れていなかったことに気がつく。
 彼女が帰りを待つこの家に帰るのは実に三日ぶりだった。
 わざわざ海軍本部が構えるマリンフォードへ移住を決意し、両親を説得してみせた彼女に「長い時間一人にして悪い」と言えば、僅かに目を見開いた後「あなたを想って待つ日々も、楽しいんですよ」そう亜麻色の瞳を細めて頭を傾けた。
 彼女はそう言うけれど、折角同じ家に住んでいるというのに共に過ごす時間はむしろ減ってしまったように感じて複雑だ。

「モモンガさん。冷蔵庫にさんまがあるんです」

 その先は言わず、栗色の髪を揺らす想い人の頭を撫でる。
 身長が高くて良かったと、この瞬間は常々思うのだ。片手で顔を覆えてしまう小柄な彼女では到底届かないその距離も、自分なら容易に届く。
 細く綺麗な指先が手の筋を撫でるように滑ると両手で持ち上げ、上を向いて掌に唇を押し付けた。途端に上がる体温は食後だからと自分自身に言い聞かせて手を引っ込める。

「……秋刀魚は塩焼き、だったか?」
「はい。お魚、うまく焼けないので……お願いします」

 食器はわたしが片付けますから、ゆっくりお風呂に入ってください。ふわりと立ち上がった彼女に短く返事をして掌を見つめた。これから風呂と思うとどうしても何か勿体無いような気がして仕方がない。
 盗み見た彼女の耳は、僅かに赤く色付いていた。
 思わずシンクに向かった彼女を抱きしめてしまったのは仕方ないと思いたい。



 ──翌朝、すよすよと寝息を立てる彼女を起こさないようにベッドを抜け出てリビングへと向かう、前に洗面所へ立ち寄り歯を磨いていつものように髪の毛をセットする。今日は彼女と甘味屋へ出掛けるという大事な用がある。
 今後仕事で身に纏うだろうスーツ姿ではあまりに堅苦しく、少し複雑そうな顔で「お洋服屋さんに行きますか?」と訊ねられた過去があるため洋服も考える必要があった。
 しかし、洋服選びにあまりセンスがないということは自他ともに認める事実であり、困惑気味の表情で「独創的なセンスですね」と言わせてしまったことを思い出す。
 今日行こうとしている甘味屋は開店からあまり時間が経っていないというのに客足が絶えず、海軍基地内でも評判の店だ。
 つまり、甘味の好きな彼女も通いたくなる可能性が高く、そこに彼女曰く「独創的な服装センス」をした男と連れ立って赴けば、この先行きにくくなってしまうかも知れない。

「……秋刀魚の塩焼きと、味噌汁は……豆腐とワカメでいいか」

 洋服は昨日寝る寸前まで楽しそうだった彼女に見立ててもらうことにして、取り敢えず朝食の準備を進める。
 時刻は午前六時半。
 いつもなら彼女が「おはよう」と食事を並べて待っている時間だ。
 明日は休みだ≠ニ朝食は私が≠ニいう台詞が重なった朝、いつもより起床時間が遅くなることに気がついたのは同棲生活を初めて二、三年経った頃。えへへと目尻を下げて笑う彼女が「おねぼうしちゃった」と言ったことがきっかけだった。
 知らぬ間に自分の生活リズムに合わせていた彼女からしてみれば、最大究極の甘えなのかも知れないと思うとどうしようもなく愛おしさが込み上げる。
 昆布と水を入れた鍋を弱火で煮出し、沸騰する前に昆布を取り出す。だしがらは人参ときんぴらにでもしよう。
 豆腐をさいの目に切り、水で戻した乾燥わかめは水を切っておく。──葱はあっただろうか。ふと振り向けば、寝ぼけ眼で葱を手にした彼女が視界に映り込んだ。

「おねぎも入れてくだしゃい」

 ふりふりと前後に葱を揺らす彼女からそれを受け取り、数回頭を撫でれば、へにゃりと笑った彼女につられて口元が緩んだ。
 椅子に座った彼女を見届け、仕切り直す。
 葱は小口切りだ。次はだし汁に豆腐とわかめを入れて煮立たせる。美味しい秋刀魚の塩焼きが食べたいという彼女のためにグリルを温めることも忘れない。
 だしが沸騰し、具材にも火が通ったところで一度火を止めた。沸騰が沈んだところで味噌を溶き入れ、煮立たせないように注意しながら火を入れる。沸騰する直前の状態を見計らい葱を加えて火を止める。
 そういえばご飯を解していなかったと振り返り、机に突っ伏して寝てしまった様子の彼女を抱き上げて寝室へ運んだ。

「塩焼きができたら起こしに来る」

 栗色の頭髪を分け、額に軽く口付けてその場を離れたモモンガは、彼女がまさか顔を赤くして毛布に包まっているとは思いもしなかった。


 もう! と些かご立腹の様子である彼女は綺麗に秋刀魚を平らげ、両頬を膨らませた。
 一体何をそんなに怒っているのかと聞けば「どうして着替えてないんですか!」と、現在の服装が不満だったらしい。
 正直に選んでもらおうと思ったと伝えれば、ぷうと膨らませた頬から空気が抜けていった。

「モモンガさんが選んだお服がいいです」
「いや、それは……!」

 唇を尖らせた彼女は立ち上がり、冷蔵庫に冷やしてあったゲテモノジュースを取り出した。
 一体何をする気なのだと見守れば、ガラスコップに形容しがたい色の液体を並々と注ぎ、静かに机の上へ置いた彼女が笑う。

「モモンガさんのおいしいお料理のあとに冷たい飲み物です」
「……怒っているか?」
「ええ、少しだけ。でも今日は久しぶりのお出かけなので怒っていません」

 怒っていることを肯定しながら、怒っていないと矛盾した言葉を紡ぐ彼女の視線は、オレンジともクリーム色とも言えない液体の入ったコップに注がれている。
 ごくりと生唾を呑み、ひんやりとしたそれを持ち上げ、二、三度深呼吸をする。得体の知れない、けれど確実に美味しいとは言えないだろう液体を前に僅かに手が震えた。
 ゆらゆらと揺れる形のないゲテモノを口にするときはいつもこの震えが収まらない。
 海兵として交戦するのとはまた違った恐怖心が湧き上がるのは己の訓練不足だろうか。などと考え、この恐怖心を払うための訓練など到底思い当たらず大きく息を吐き、思い切って一気飲み―は出来なかった。
 口腔に広がる味と香りは小麦粉と生卵を溶いた中に天かすを混ぜたような、しかしそれだけに留まらず、烏賊の生臭さが後から追いかけてくるような、形容しがたい悍ましい液体である。
 間違いなく商品化してはいけない代物だ。
 相当渋い顔をしていたのだろう自分に再びぷうと頬を膨らませた彼女はゲテモノドリンクの残るコップを奪い取り、ぐっと一息で飲み干した。

「これは確かにあまりおいしくないですね」

 眉間に皺を寄せた彼女に苦笑いし、頬を撫でれば亜麻色の瞳が床を向く。
 そのとき彼女が一体何を考えていたかなど、知る由もなかった。


[ prev / next ]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -