甲板に響いた「敵船だ!」という見張りの声に戦闘態勢に入ったエースは真横を駆け抜けた赤い影に眉を顰めた。
 あまり遭遇することのないその船員は、先日むしゃくしゃしたとサッチにドロップキックをかましたとんでもない男である。
 甲板の柵を飛び越え、空を蹴って敵船の甲板に乗り込んだ男は見事な手さばきで軽快に敵をなぎ倒していく。

「おーおー、まァたやってんのか」

 見張りの声を聞いてなお武器を手にしていないコックコートのリーゼント──もとい理不尽にドロップキックされていたサッチが呑気に呟いた。
 モビーディック号に乗り込んでから日の浅いエースには初見だったが、隊長を任されるサッチが「また」と言うのだから珍しい光景ではないらしい。

「加勢に行かないでいいのか?」

 腕を組んで静観の姿勢を取るリーゼントに問いかければ、男は大して考えた様子もなく「ああ」と頷いた。
 信頼しているようでいて、どこか投げやりな瞳に首を傾げ、視界の端で傾いた海賊船に制圧完了を知る。同時に勢い良く飛んだ青色の炎は、一番隊隊長マルコのものだろう。

「……強いんだな」
「失って困るもんがねえ奴ってのは、躊躇わねえからな」

 どこか寂し気に呟くサッチは青色の炎に乗って甲板に降り立った男の頭に拳骨を落とした。
 情け容赦のない鈍い音を聞いたエースの顔は痛そうに歪められたが、拳を食らった本人である男は平然と欠伸を零している。おれだったら絶対避けるのに。とか、痛いと文句を言うのに。という個人的な感情を一旦飲み込み「初めて話すよな?」そう問いかける。

「……さあ? どうだろう。記憶にない顔は多いからな」
「んじゃあ初対面ってことで。おれはエース! よろしくな」
「ああ……噂の新入りか。で? 反抗期は終わってんの?」

 面倒臭そうにエースからサッチへ視線を移した朱殷しゅあん色の頭に再び拳が振り下ろされた。マルコからの追撃だったこれもまた避けることなく受け止め「何事だよ」と不満を零した男がサッチを見上げる。
 拳を振り下ろしたのはマルコだ。けれどマルコには一瞥も与えなかった。

「挨拶は大切だぞ〜ってことを伝えてえんだよ。お前も名乗れ、印象最悪だぞ?」
「……ああ、そうか。そうだな、悪かった」

 エースを見た男がぎこちなく笑う。

「ルマンド、だ。覚えておく努力はする」

 すいと差し出された不健康に白い手は戦闘員であることを疑うものだ。
 しかし不自然なまでに傷の多いそれは、戦闘を差し引いた日常生活でできるものでないということくらいエースにも分かる。分かるのだが、先程まで敵船で大暴れしていたはずのルマンドには返り血が付いていない。刃物を用いていなければそれもあり得るのだろうが、日の光を反射して度々煌めいていたのはサーベルの刃であり、鮮血はさながらカーテンのようだった。そしてそのカーテンを作り出すサーベルを振るっていたのはルマンドである。

「……傷跡なんて珍しくもないだろ。楽しいか?」
「意外と苦労してんだなって」
「意外と……? 何が」
「いや! 何でもねえ、忘れてくれ」

 ああ、と一言だけ返したルマンドは興味なさげに船内へと姿を消した。



 ──珍しいな。と言ったのはサッチだ。
 一体何が珍しいんだと聞き返せば「誰に誘われても昼間に食堂なんて来なかったルマンドが飯食ってんだもん」と少し嬉しそうに答えられ、朱殷色の頭を見たエースは炒飯の上にダイブした。

「……何、眠剤でも混ぜたの?」
「馬鹿かお前は。うちのコックがそんなことするわけねえだろ!」
「お前マルコにしてただろ」
「おれはコックじゃないからノーカン」
「それは料理好き≠ニしていいのか……? まあそんなサッチの飯は好きだけどな」
「そんな、真顔で言われたらお前、照れるじゃねえか!」

 だらけ切ったサッチの顔に半笑いしたルマンドがむにりと頬を抓る。「だらしねえぞ」と続いた声は彼のものではなかった。
 炒飯を枕に寝落ちたエースの頭を叩いた声の主は、未だ頬を抓まれたままのサッチにため息を零す。

 いや、何でおれがため息吐かれなきゃなんねえんだ。と真っ当な文句を紡げなかったのもだらしないと言われたのも偏にルマンドのせいだ。
 目覚めたエースが「寝てた」と呟きながら炒飯を口へ運ぶ。

「……食欲より睡眠欲って?」
「まァそんなもんだ。お前よりよっぽど健全だよい」
「……健全、ねえ。それにしては同類臭が強いぜ、お兄様方・・・・?」

 サッチの頬から指を離したルマンドが小さく笑う。内容を理解しないまま「笑った」と呟いたエースに朱殷色の頭髪が揺れた。くつくつと呆れたように肩を震わせるルマンドにサッチが苦笑いを零す。

「おれだって笑うさ」

 ──主に、戦闘中。ぐっとその台詞を呑み込んだマルコに同意を求め、食堂から退室した男の手首は傷痕が乱立していることを白ひげ海賊団の隊長たちは知っていた。ともすれば他にも知っている船員がいるやも知れないが、話題に上ることはない。
 一体どこのタイミングで、どういった話の流れで切り出せば良いのか分からない、という理由で黙っている可能性は充分に考えられたが話題にしない≠ニいうことが暗黙の了解と化している節もあるようだった。得てして避けられているルマンドという船員が孤立しなかったのは、若干の構いすぎを心配するサッチの努力が成した結果である。

「不思議だよな、ルマンドって。白ひげ船員みんなと壁がある感じ。砕けねえかな」

 ぼそりと呟くように吐き出した言葉に首を傾げたのもまた、サッチだ。黙り込んだマルコにからりと笑ったエースの台詞に深い意味はきっとないのだろう。
 ルマンドという男が何よりも求めているその言葉は、白ひげ船員の誰もが口にすることを躊躇い、ついに伝えなかったものだ。それをあっけらかんと言ってしまえるポートガス・D・エースという新入りの影響でルマンドにも変化が訪れたのだろう。

「……できるもんなら砕いて見せろよい」
「? おう。任せろ」

 二つ返事で引き受けたエースはいそいそと食堂を後にしてルマンドを探した。広いモビーの中でも目立つ朱殷色の頭はなかなか見当たらず、ならば部屋かと立ち止まる。

「大部屋、なわけないよな……?」

 幾ら隊長でないといえ、船員として歴の長いらしい彼が大部屋にいたら新入り隊員は些かやりにくいだろう。加えてあの戦力だ。さすがにオヤジも相部屋くらい与えるだろう、と床を見たエースは目を見張った。

 慌てて扉を開けようとするが何かが扉を押さえているようで開くことは叶わない。その間にも赤い液体が侵食し、とても人を呼んでいる時間の余裕などなさそうだ。
 船の修繕が、と小言を言われることは百も承知で扉を蹴破る。

「何があった! 大丈夫か!」

 床に寝転がったままゆるりとエースに焦点を合わせた男はわざとらしくため息を吐いて体を起こした。

「随分騒がしいと思えばお前か……折角いい気分だったのに台無しだ。扉の修繕どうすんだよ」
「はァ!? それがわざわざ心配して駆けつけた仲間に言う言葉かよ!!」
「ああ……はいはい、分かった分かった。駆け込んで来ていただいてどうもありがとうございます」

 全く欠片も感情の籠っていない声に掴みかかれば、両手にべっとりとした液体を感じ取り顔が引き攣る。加えて怒る気力も失せてしまいそうな血臭に目を眇めた。
 急激に怒りが冷却化され冷静になったエースの耳にバタバタと騒がしい足音が届く。

「……お前、何で死にてェんだよ」
「死を体感するのって、心地良いだろ?」

 直後、ルマンドが浮かべた歪な笑顔に、安請負したマルコからの挑戦は棄却すべきものだと知る。

 けれど、と。

「死に急ぐのもいい加減にしろよ」
「お前に言われたくはねェな」

 ルマンドの双眸に映る男は真一文字に口を引き結び眉間に皺を寄せた。


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