おれの船長は、ゴール・D・ロジャー唯一人である。彼は素晴らしい人だった。軽率に過去形にしてしまうけれど、本当に。
両手で抱える紙袋一杯に詰まった食料にこれからの航海を考える。まだまだ抱える余裕があることを考えれば、これだけでは一週間も持たないだろう。いつ宴があるか分からない。酒も大量に用意しておかなければならない。おれにはよく分からないけれど、あの人たちは楽しそうに、幸せそうに沢山飲むから。
ここの記録はどのくらいで溜まるんだったっけ。記録指針なんて持たないから記憶が曖昧だ。もしかしたら他の船員がある程度調達していて、出港の準備が整っているかも知れない。そう思うと自然と足が早まった。
「おお、ルマンド! 生きてたのか!」
にゅっと視界に現れ、あろうことか話し掛けてきた赤髪の男は「ローグタウン以来じゃないか、これはそろそろバギーにも会えるかな」なんて言っているけれど、記憶に思い当たる人物はいない。偶然名前が同じであっただけで人違いだろう。
船着き場へ行くにはやや遠回りになるが仕方ない、と一人で話し続ける赤髪に背を向け駆け出す。別にやましいことがあるわけではない。単に急いでいるだけだ。勘違いだと気付かずに話し掛けてきたあの男が悪い。
「あっ、おい! 待てって!!」
必死に呼び止め、迷惑なことにぐい、と腕を掴んできた赤髪のせいで地面に着地した食料を見つめる。この野郎、何してくれやがる。
何も逃げることないだろ。そんな風に見ず知らずのおれを叱責した赤髪は足元に転がる食料には興味がないようだった。人違いに気付かぬばかりか謝罪も出来ないとは、一体どういう環境で育ったのだ。
段々と力の入る赤髪の手はおれの腕を折る気なのではないかとさえ思う。勘違いで腕を折られては堪ったものではない。キッと睨みつけ、出来うる限りの全力で手を振り切り、どすりと一発蹴りを入れてやる。うまく当たった感触はなかったが構わない。それよりも落とした食料の方が心配だ。
しゃがみ込んで無事そうなものと駄目そうなものを分けながら紙袋に戻していく。そんなおれをどこか確信したように見る赤髪にため息を吐いた。どうやらこの男は言ってやらないと分からないらしい。
「おれとテメェは知り合いでも何でもねェだろうが」
事実を吐き捨てたはずなのに、瞠目した男の顔にはどこか見覚えがある。けれど、思い出すには今一つ情報が足りない。至極、大切なものだったと思うのに。
「何言ってんだルマンド。おれとお前は、ロジャー船長と一緒に旅した仲だろ?」
顔を歪めた髭面の男が再度おれの腕を取って言う。
「お前の慕うゴール・D・ロジャーは……もう、この世にいねェんだよ」
ロジャー船長がこの世にいないのなら、零れ落ちた食料は果たしてどこへ運ぶというのだろう。飲めない酒は、一体誰が消費するのだろう。
記録の溜まる時間は、次に向かう島は、出港時間は、いつだった?
「訳の分からないことを言ってんのはテメェだろ。悪ィがおれは急いでるんだ」
悠長に拾っていたらまたこの赤髪に難癖をつけられるから、落ちてしまった食材はなかったことにしてしまおう。もう一度腕を振り払い走り抜ける。
ぶわりと翻ったマントの下、結ばれた左袖にはやはり見覚えがない。
赤髪で、顔に傷があって、片腕。
そんな特徴のありすぎる男を忘れるはずがないのだから、見覚えがあるのは他人の空似で、あの男がおれの名前を呼ぶのは偶然同じ名前の男がいたからだ。
「ルマンド!」
遠くから、赤髪の声が聞こえる。
バシャリと撥ねた水滴に、ぐらりと身体が傾いた。
大きな水の音。包まれるように音が掻き消え、ぶわりと体温を奪う独特の感覚に海に落ちたと理解する。
早く浮上しなければと上を向き、煌々と輝く満月が揺れた。麦わら帽子をかぶった赤い髪の少年が、シャンクスが手を伸ばしている。その手を取ろうとして、ようやくおれは馬鹿げた妄想だと気がついた。
ロジャー船長は何年も前に死んでいて、シャンクスとバギーの誘いを断ったおれは、海賊をやめて、一般人として生きることを選んだのだ。
戻る海賊船などどこにもない。
海へ落ちたところで助けに来る人だって、もうどこにもいない。いなくていい。おれは、ロジャー船長を救えなかった世界で生きていたくない。
だから。
「(諦めてくれ、シャンクス)」
掬い上げようとする手に捕まらないことを願い、おれは意識を手放した。
戻る