時計の針が天辺を越えた時間は、どこもかしこも静まり返っていた。明かりが灯っていない廊下の、遥か先は真っ暗だ。

 身も心も倦怠感に押し寄せられてるおれは、無心で廊下を突き進む。

 やっとその場所に着けば、ガラス戸から仄かに光が零れている。

 躊躇いなくドアを押して中に入った。出迎えたのはコンソメスープのいい匂い。匂いに刺激されたのか、胃袋が途端にギュルルっと盛大に空腹を訴えた。

 疲弊した体に空腹感まで襲ってきて、顔を顰めたおれにおうおう!とテンションの高い声がかけられた。青白い温度のない光をバックに、笑いながらそいつは立っている。コックコートが妙に似合わない、目付きの悪い男。

「んだよヘルメッポ。そんなに腹減ってんのか?」
「うるせえよルマンド!人の腹の音聞いてニヤついてんじゃねえ!」
「だってよー、あんまりにもいい音だったもんでな!ププッ」
「笑うなっ!!」

 恥ずかしさで顔が熱くなってるのを自覚しながら、おれはルマンドを睨みつける。けどコイツはいつも通り気にもしていない。相変わらず小憎らしい、ニィッとした顔でいやがる。

 二十四時間、三百六十五日。海軍は眠る間もなく動き続けている組織だ。昼夜問わず働く本部の海兵に合わせて、海軍本部の食堂のコックにも夜勤が存在している。
 出前形式で連絡を入れれば、例え夜中でも温かいメシを作ってくれる有難い存在だ。ちなみに、出前と言っても出来上がった料理は自分達で取りに行くルールになってる。
 そのルールに則って、このおれが態々、ジャンケンに負けてえっちらおっちらメシを取りに来ているわけだ。

 この男はその食堂のコックをしてるルマンド。

 おれやコビーがガープ中将に連れられて、雑用として下働きをしてた頃。ちょうどコイツも見習いコックとして食堂にやってきた同世代の男だ。

 典型的な三白眼に坊主頭。将来強面確定だろうと即答できる顔作りのせいか、コビーなんか遠目からでも初っ端からビビってやがった。

 同時期に片や雑用、片や見習いとして本部へ足を踏み入れたからか。洗い場で必死に皿を洗うルマンドの姿にどことなく親近感を覚えながらも、当初はまったく話すことはなかった。

 でも今ではルマンドを底抜けに明るい性格の料理バカとしか見れない。そう、おれ達の間柄はあの頃に比べて、確実にワンランクアップしていた。
 同世代が数少ない本部の中で、何回も顔を合わせていけば自然と話すようにもなるもんだ。

 ちなみに料理バカと命名してるのは本人曰く、坊主頭にしてるのは料理に髪の毛が入っちまったら切腹ものだと豪語したから。
 自分の人相とよく相談しろよ、と思わず言っちまったおれは何も悪くないだろ。あの頃のコビーのビビりっぷりを教えてやりたいくらいだ。

 でもまあ、自分の見てくれよりも料理に全力を注ぐのがルマンド。コイツはそういう男だ。


「えーっと注文は、おにぎり十個にスープ五人分。あとガープさん専用特大おにぎり二個だろ、それに濃いめの豚汁はそこのスープジャーに入ってっから……よし、完璧だ!にしてもガープさん今度は何やらかしたんだ?」
「海賊拿捕の時に他の軍艦三隻巻き込んじまったんだよ。おかげで始末書の山だ」
「アハハハ!相変わらずあの爺さん規格外だなあっ!」

 おもしろっ!と他人事みたいに笑うコイツを一発殴りなくなったが堪える。
 つか、ルマンドだっておれ達が巻き込まれ残業になったせいで仕事増えてんだよな。なんで笑ってられるんだ。

「あ、そうだ。ちょっと待ってろよヘルメッポ」

 何かを思い出したルマンドはキッチンの奥へと駆けて行った。仕事中での呼び止めは珍しい。いったい何だというのか。見当もつかないため、首を傾げるしかなかった。
 そう言えばルマンド以外の人の気配がない。どうやら今夜は一人で厨房を回してるらしい。

 それから直ぐに戻ってきたヤツは、手に白い箱を持って来ていた。上機嫌に歩み寄ってくる強面男に、当然の如く怪訝な眼差しを向ける。

「ほらよ」
「なんだこれ?」
「お前昇進したんだろ?オレからの昇進祝いだ!」

 むんずと両手で差し出された白い箱を勢いで受け取ってしまった。突然の事に冷えている箱とルマンドの顔に視線を行き来させる。目の前の男は、得意気に笑って何も答えなかった。

 訝しげに思いながらも、おれは手渡された箱をテーブルの上に置く。そしてちょっと緊張しながら、ゆっくりと箱を開けた。

 ルマンドからの昇進祝いはワンホールあるムースケーキだった。

 箱を開けた途端、みずみずしいオレンジの香りが鼻腔をくすぐる。肉厚でジューシーな見た目のオレンジと、フワフワで柔らかそうな白いムースで彩られた一品だ。

 おれの為にルマンドが用意してくれたもの。むず痒い感情がモヤモヤと燻る。だがどっかのピンク頭みたいに素直に嬉しさを伝えられるほど、おれの性格は真っ直ぐじゃねえんだ。

「お前なあ、男がケーキ貰って喜ぶと思ってんのか?」
「祝い事と言えばケーキだろ!オレお手製の、祝いの気持ちをたっぷり注いだ自信作だ!あと一応言っとくけど自費だからな!」
「……その面でケーキも作るんだな」
「うるせぇ!オレの見た目に似合ってないのは百も承知なんだよ!!」

 だがオレは料理と冠するモノは何でも作るっ、とルマンドはドヤ顔で腕を組み、トドメとばかりな荒っぽく鼻息を吹き出した。こういう事をするからコイツは料理バカなんだよ。

 まあ、強面野郎が可愛らしいケーキを真剣に作ってる様は、想像するだけで実に面白いから構わねえんだがな。後で思い切り笑ってやろう。さっき笑われた仕返しだ!

「友達は祝って然るべき。んで、その祝い事は友達と分かち合って然るべきだ。夜食のデザートにみんなで食えよ」

 ドヤ顔から一変。いつもより優しい表情でルマンドが言った言葉は、さも当然と言いたげな雰囲気で。するりと入り込んできて、やけにおれの胸に響いた。

 突然の話に正直面食らってしまう。面と向かって友達だなんて、言われ慣れていないからだ。きっとそうだ。

 少しはにかんだ様な笑みを浮かべたルマンドは、そう言い残して背中を向ける。
 いそいそとサービスワゴンに夜食を乗せ始めた坊主頭に、今度は顰めっ面をして声をかけた。

「おいルマンド。皿とフォーク寄越せ」
「あ?なんだよ今食うのか??」
「お前も一緒に食うんだよバァーカ!」
「はぁ?!」

 素っ頓狂な声を上げるアホに、おれは意地悪く笑ってやった。だからお前は馬鹿なんだよルマンド。

「ひぇっひぇっひぇ。祝い事は友達と分かち合って然るべきなんだろ?だったらまず目の前のお前が、おれを祝って然るべきだろうが」

 お前だっておれの友達だろ。嫌味混じりに、そう意味を込めた。

 なんでお前は自分が食う側になるって考えつかねえんだよ。これだから料理バカは。ポカンとしているルマンドに言ってやりたいことはたくさんある。でもまあ、今日は勘弁してやるよ。

 言葉の含みを理解したのか、今度こそ照れ笑いをしたルマンド。それを見て、何とも言えない擽ったい感情が背中を駆け巡る。
 フンッ、とそっぽを向いたのは恥ずかしいからとかじゃない。断じて今更気恥しくなったとかじゃないからな!

「道草くってるとガープさんにドヤされっぞ」
「いいんだよ。祝い事なんだからな」
「アハハ!確かに!祝い事に水を指すのは野暮だ!」

 出された白い皿に乗っけられたケーキは、鮮やかなオレンジが映えた。フォークを通せば見た目通りの柔らかさ。口に含めば爽やかで甘酸っぱい、柑橘類の味と香りが駆け抜ける。アールグレイ風味のムースと、仄かな甘さのチョコレートのムース。二層に分かれていたムースはメインのオレンジの味を邪魔しない、絶妙なバランスが取れた味付け。

 繊細で上品な味に、コイツの腕の良さを初めて実感した気がする。

 美味ぇ、と口にすれば当たり前だっての!と目の前の友達は得意気に笑った。

「昇進おめでとな、ヘルメッポ!」



 執務室に戻れば案の定ガープ中将に遅いと怒られたが、そんな事は屁でもないくらい、おれは気分が良かった。

 白い箱に入った、欠けたワンホールケーキ。食後に出したソレの欠けた部分を見て、おれは何処と無く誇らしく思った。

 おれとあいつの友情の証みたいだなんて感じた事は、おれだけの秘密だ。


ぼく達のオレンジハーツ
(ヘルメッポさんは食べないんですか?)
(おれは先に食ってきたからいいんだよ)

(おれへの祝い品なんだから味わって食えよ、コビー!)



『cyan』の夢中様から相互記念に頂きました。
わたしにも一切れちょうだい!と言いたくなるケーキの表現とヘルメッポの見栄や親しみの込もった感情描写が可愛らしいです。


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