サッチが死んだ。

 数週間滞在し、年単位で離れる海賊船の船員と言えど、友好的な関係だったコックコートの男にはもう二度と会えない。
 こんなことになるならば、あの新入りにもう一度会いに行けばよかったと後悔して、サッチほどの剣士が一体誰に負けるのだと剥ぎ取った眼帯を海へ投げ捨てた。

 ──くだらない。無力だ。無能だ。そして何より白ひげ海賊団の船員から信頼されていない。
 ただの一般人だ。何の変哲もない、守られていることしかできない意味のないクズだ。

 白ひげ海賊団の、エドワード・ニューゲートの家族を殺めた報復の規模はどの程度のものになるだろうか。

「……加勢しよう。それがスジというものだ」

 青みを強めた紫眼が睨みつけた青空からの来客は望めない。そんなことは知っているのだ。
 ブーツから取り出した命の紙ビブルカードの親は船長──つまりエドワード・ニューゲートの居場所を示している。問題はそこまでどう向かうか、であるが、停泊している海賊船を乗っ取ってしまえばいい。

 勿論、一番楽で一番早いだろう移動手段は不死鳥を利用することであるが、恐らく非常事態だろうこのタイミングで一番隊の隊長がモビーを離れるとは思えない。

 そう結論付けたグロディータがどの海賊船を拝借しようかと査定を始めたところで随分とマヌケなコール音にコートの内ポケットを探った。

「はいハイ、誰だい?」
『グロディータか。お前は……動くんじゃねえぞ』
「は? 正気かエディ。おれだってはらわた煮えくり返ってんだよ、首謀者は誰だ」
『グララララ……家族ダチ想いの良い奴だなァ。グロディータ、お前は生きろ』
「エディ? アンタ何言って、っオイ! ニューゲート!!」

 ガチャと声を上げて目を閉じた電伝虫に舌打ちしながら元の場所に仕舞い葉巻を取り出す。
 恩人たるエドワード・ニューゲートは動くなと言った。生きろ、と。まるで死のうとしているような言い方だ。

 深く息を吸い、火器の類を持っていないことに気がついたグロディータは水平線を睨みつける。
 こういうときこそ感情で動くべきではないというのは分かっている。分かっているが主犯格を捕まえてこの世から葬り去ってやりたい、という苛立ちはそう簡単に消し去れるものではない。

 目を閉じて、暫し思案する。
 先ほどニューゲートは何と言った?

「……おれは=H」

 わざわざ電話をかけてくるほどだ。既に制御の利かない誰かが動いている可能性は大いにあるし、おれ動いてはいけないというわけではなく、おれ動くなという意味に取れないこともない。

 無鉄砲に飛び出していたとして、彼らは仮にも有名な大海賊の船員だ。彼らの実力を信用して世情を追うべきかも知れない。
 自分に言い聞かせ、起こり得る最悪を考えないようにしたグロディータはしかし、ニューゲートの言葉に納得もできなかった。

 殺されたサッチの魂はどうなる。

 加勢に向かおうにも情報収集から、首謀者が割り出せた次はそいつの足取りを集めなければならない。そこから追いかけて、先遣隊に追いつける見込みは万に一つもないだろう。

「日が、ねえな」

 加勢するには遅すぎて、悲観的になるには早すぎる。
 葉巻を咥えた直したグロディータは前触れなく映り込んだ橙色に瞠目した。

「なァに驚いてんだよハーメルン」
「……いや、驚くだろう。いきなり火が付いたら」
「話しかけても無視してたのはそっちだろ。それにさっき火がないって」
「ああ……それは悪いことをした、考えごとをしていてね。そう言えば火もなかった」

 小さく笑った男の赤いマントが風に靡く。
 どこか物憂げな表情に首を傾げたペンギンはじりりと距離を詰め、葉巻を奪い取った。

「ハーメルンもそんな顔するんだな」
「……そう、たまには真剣にものを考えなくちゃあいけないからね」

 数歩後退したグロディータの腕を掴んだペンギンに深い理由はない。
 ただ、ここで何もしなかったらどこか遠くへ、二度と会えなくなってしまうのではないかという不安があっただけだ。

 主に物資調達や換金目的で立ち寄る島で出会った一般人でしかないグロディータにそのような感情が湧く理由は皆目見当がつかないが、掴んだ腕には何かしらの言い訳をしておかなければならない。

「きみは煙草を吸う?」
「え、ああ……たまに」
「そうか。その姿も似合いそうだ」
「アンタはなかなか似合ってたぜ。ほら、返す」

 奪い取った葉巻を半ば押し付けるように握らせたペンギンは自らの潜水艦へ駆け込んだ。
 驚いて見開かれた、うるさい前髪の奥から覗く瞳の色を見逃さなかった彼は調達してきた物資を床に落とす。

 そういえば唇のピアスもなかったように思えるし、折角の端正な顔を隠しているのには理由があったということだ。
 しかしよく考えてみればもっとおかしいことがある。

「何でここでも会うんだよ……」
「そりゃああいつがおれ達を付けて来てるからに決まってるだろ。間違いねえ、あいつは狂言師<Oロディータだ」
「何言ってんすか船長。ハーメルンは一般人ですよ」
「本当にただの一般人が義眼嵌めて海賊船追って来るか? 早い話、騙されたんだな」
「義眼? 騙す? ハーメルンはそんな奴じゃない!」
「何も知らねえんだろ、なあ、ペンギン? 確証はどこにある」

 確証などどこにもない。ペンギンはぐうと口を閉ざした。

「おい! どこに行く!! もう出港するぞ」
「ハーメルン探してくる!!」

 床に転がる物資を避けて船房から飛び出た船員を敢えて見送ったローはため息を吐く。お世辞にも隠しているとは言えない気配に鬼哭を構えて舌を打つ。

 残念ながらペンギンは気が付かなかったようであるが、隠す気もなかっただろう男はふらりと影から姿を現した。

 海賊船に入り込んでおきながら危機感の足りない男の臙脂色が揺れる。
 きらりと光を反射した赤い義眼には、かの有名な大海賊の船員であることを証明する印が刻まれていた。


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