「やっほー、ニューゲート! お金ちょうだい!」
モビーに着くなり発せられた言葉にマルコは勢い良く踵落としを食らわせた。
当然のように受け身を取ったグロディータはけろりと笑う。それにもう一発蹴りを入れようとしたマルコの腕を引きバランスを崩させた男は涼しげな顔で「金品を勝手に持ち出そうとはしていないよ」と言ってのけた。
確かにグロディータの言う通り勝手に℃揩ソ出そうとはしていないが、船長に金品をたかっている時点でこの制裁は覚悟の上だろう。
「ちょっとした資金難なんだ。二番隊に新しく隊長さんが就任してめでたいんだから、金の一銭や二銭強請ったって許されると思わないかい?」
「思わねえよい」
「相変わらずおれに厳しいんだから。仕方ないね、諦めよう」
わざとらしくため息を吐いたグロディータは警戒しながらじりじりとにじり寄って来る男の存在に気がついた。
以前来た時には見かけなかった顔に首を傾げれば、その船員はにっと屈託なく笑う。
「お前がグロディータさん≠ゥ? おれはエースだ。ポートガス・D・エース!」
「そうだよ、隊長就任おめでとう。これでやっと肩書きが変わる」
「肩書き?」
首を傾げたエースにマルコは四つ折りにされた手配書を見せた。
白ひげ海賊団二番隊隊長 狂言師・グロディータ
確かに白ひげ海賊団二番隊隊長と記されている手配書の写真は目の前の男と同じ顔をしている。
しかし比較的新しい手配書であるそれにエースが言葉を失ったのは、二番隊の隊長は長い間空席だった、と聞いていたからだ。
二番隊隊長が既にいるのなら、自分が隊長に任命されたのは、あまり船に帰らない隊長の代理ということだろうか。と裏切られたような気持でエースはグロディータを見上げる。
「これは海軍の早とちり、でっち上げだよ。おれはそもそも海賊ですらない」
「は、」
「だからそんな捨てられた子犬のような顔をしないでほしい」
困ったように笑い、癖の強い黒髪を撫でた男の左目にはマルコの胸にある刺青と同じ印が入れられていた。──海賊ですらないという言葉は、にわかに信じ難い。
けれどマルコの「コイツは善良な盗賊だからねい」という台詞が嘘のようには思えず、また、尊敬する船長がそのようなことをするとも考えられなかった。
「子ども扱いすんじゃねえよ」
「おや、これは失礼」
言われてみれば確かに海の男とは思えない綺麗で華奢な手を払い除け、文句を言ったエースにグロディータは微笑んだ。
「白ひげ海賊団じゃないってんならお前、オヤジの何なんだよ」
「うーん……難しいところだね。おれにとっては恩人≠ゥな。純粋に尊敬しているよ」
眩しそうに目を細め、フレアコートをはためかせたグロディータは船房から出てきたコックコートの男を押し倒す勢いで飛びついた。
それを事も無げに受け止めたコックコート──サッチは至極迷惑そうな顔で「おかえり」と心の籠っていない台詞を吐き出した。
大して気にした様子のないグロディータはサッチの「離してくれねえか」という声さえ無視して上機嫌に口を開く。
「可愛らしい海賊に会ったんだ。きみはいつも美味しそうな香りがするね、昼飯は何? ご飯を食べながら話を聞いてくれ!」
「海賊って言ったら敵じゃねえか。オヤジとエースに会ったんならさっさと酒場に帰れよ」
「サッチは相変わらずおれに酷いな! もっと歓迎してくれよ!!」
「歓迎してほしいならまず食料盗んだことへの詫びからじゃねえのか? なあ、狂言師グロディータさんよ」
人相が良いとは言えないサッチの眼光が鋭さを増し、へらりと距離を取ったグロディータは反省した様子もなく首を傾げた。
「ちゃんとエディの許可はとったから無断拝借はしていないよ」
「そりゃあお前、オヤジは許可するだろうよ。気に入られてんだから」
「それじゃあこれはヤキモチかい? 随分と可愛いじゃないか」
振り上げられたサッチの拳を躱し、スパンと軽やかな音が甲板に響き渡る。水を打ったように静まり返ったが、グロディータが噴き出したことにより笑い声が広がった。
「お前の、頭はっ、何にも入って、ねえのかよい」
「他人の頭を叩いておいて、とんだ暴言だと、っふふっあはははは!」
──グロディータが愛される理由はこの凡庸さからくる親しみやすさなのだろうと漠然と考えたマルコはモビーへ戻る前に投げかけられた言葉を反芻した。
大海賊エドワード・ニューゲートが死んでからでは遅い。そんなことは分かっている。
求めるものが海賊王という称号ではないということも、次の時代を担う若い海賊の到来を望んでいることも分かっていないわけではない。けれどエドワード・ニューゲートをオヤジと慕う船員は、これから先も偉大な大海賊として率いて行ってほしいと思っているのだ。
「おれはねマルコ。何にも考えてないよ」
にっこりと笑ったグロディータに回し蹴りをしてため息を吐く。
「お前が何も考えてないことくらい分かってんだよい」
マルコは自分が現実から目を逸らしていることも、分かっている。
家族として幸せである時間が長ければ長いほど喪うことが怖くなることも、今のありきたりな日々を安穏に暮らせると思ってしまうことも知っている。
──何だかんだ理由を付けて一週間ほどモビーに滞在したグロディータは、奇しくも世界が揺らぐ瞬間を見逃していた。
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