不気味な笑顔のマークが施された黄色い潜水艦―ポーラータング号はゆったりと海上に姿を現した。飛び出すように甲板へ出てきた白熊、ベポは疲れ切った様子で汗を流している。
この船の操舵を務める男、もといオス熊だ。
大した興味もなさそうにタオルで血を拭った船長、トラファルガー・ローはため息を吐く。
「あの人すごい怪我だったね、大丈夫かなあ」
「……さあな。あいつに生きる気がありゃあ助かるんじゃないか?」
兄を喪った男が暴れ回ったことを思い出し、自らの船員にハーメルン≠ニ呼ばれていた男の印象を思い返す。落ち着き払った、どこか傍観的な男だ。
マリンフォードで戦争が起こったその日から、白ひげが討たれたその瞬間から、生きることを放棄してしまっている可能性は拭えない。
それでもビブルカードが、と。それの示す方向に舵を取ってくれ、と。船員の願いにローは応えたのだ。
「死んだらそれまでだ」
何分手遅れかとさえ思える重傷で、後は患者の生命力に賭けるしかない。以外に言葉があるだろうか。
やれることはやった。命は繋いでいる。
「……船長、助かりますよね? あの人」
気落ちした様子で船内から顔を出したキャスケット帽が力なく問いかけた。
「……やれることはやった。あとはあいつ次第だ」
「そう、ですか……あの、ペンギンが無理しないように、船長からも言ってやってくださいね」
「……ああ、そうだな」
目が覚めたとき、どんな行動を取るか分からない。もし船員に危害を加えるようであれば応戦する準備は万端だ。
「いっそ義眼も入れ替えるべきだったか」
呟いたローは再度ため息を吐いた。
ゆっくりと開かれ、数回瞬きした男は徐に起き上がる。
びりりと走った痛みと、ぎゅうと握られた手に首を傾げて辺りを見渡すが、見覚えはない。
痛みも感触もあるけれど、これは夢なのだろうか。うまく働かない頭で男は記憶の整理を始めた。
マルコは生きているだろうか。臆病者は死なないと、先に死んだりしないと言っておきながらこのザマだ。
昔渡したビブルカードは消失してしまったのだろう。
置いてきてしまった。あの、やさしい友人を。
「ごめんな、マルコ」
右手は拘束されているからと溢れ出た涙を拭おうとして左腕がないことに気が付いた。
肘があっただろう場所の数センチ上辺りまでしかないそこは厳重に包帯が巻かれている。よく見れば記憶の最後に着ていた服ですらなかった。
ガチャリと半分だけ開いた扉の向こうに見えた鮮やかなキャスケット帽が慌ててどこかへ走り去って行く。
──もしかしたら自分は生きているのかも知れない。と、思い直したのがその瞬間だった。
「……ハーメルン? 泣いてるのか」
のそのそと上体を起こし、目を擦りながら耳付き帽の男が訊ねる。
「また……生き残って、しまった」
頬を濡らす雫を拭ったペンギンは安心したように色素の薄い頭髪を撫でた。
「よかったよ。ハーメルンが生きてて、おれは嬉しい」
きっとこの先の言葉は、彼にとって呪いになるけれど。
ペンギンは笑う。
一向に名乗らなかった狂言師グロディータは死んだ。もう、誰にも譲らない。
「今度はおれのために生きて。」
「……敵わないなあ、マドモアゼル?」
困ったように笑う男の顔は、綺麗だった。
[
prev /
next ]