正義を象るカモメを背負った彼の姿はいつだって独りぼっちだ。ヒナはそんな男の隣に立ちたくて、寄り添いたいと考えている。
 彼の手を引くのも、彼の背を押すのも自分の役目ではないことを理解して、高潔で誠実かつ孤独な男を独りにさせまいと、彼が次々と手放して行かなければならなかった大切なものを拾い上げていく。
 あまりにも純真な正義感に、彼の心が手折られてしまうことがないようにと。

 ──ライ・ファルセダーという少将は、もはや当たり前のように刷り込まれたそれには恐らく気が付いていて、少なからず救われていることも知った上で「物好きなヤツだ」と吐き捨てるのだ。けれど、僅かながら安堵を滲ませる声に心底安心したヒナの胸中を知ることはないだろう。
 黒の革手袋に隠された薬指に嵌る指輪の存在に痛んだ心は元より、それが兄夫婦の形見であると知ったときの感情にさえ興味を持ちはしない。そういう男なのだ。それを分かった上でライの言動に一喜一憂し、あわよくば特別になりたいと思っていることは間違えようのない事実である。

「ライ少将。少し休息を取ってはいかがかしら?」
「……ああ……明日は非番なんでな。問題ない」

 黄金色の瞳がちらりとヒナを捉え、疲労と眠気を綯い交ぜにした声で受け答えたライの手が文字を綴っていく。
 書類仕事を溜めるような人ではないから、恐らく何かの始末書か認可書類の記名だろう。漠然と予想しながら、どうにも違和感のあるペン先の動きにヒナは首を傾げた。
 数秒、その手を見つめ「ああ」と。左手で右から左に流れていくインクに相変わらず器用なものだと感心してしまう。

「字は左から右に書くものよ」
「……ンなこと知ってるよ」

 じっとりとヒナを見上げた黄金色の瞳が困惑を示していた。
 まるで返答を待つかのような、早く職務に戻れと言いたげなそれに苦笑し「ライ少将の字はいつでも綺麗で格好良いわ」と言葉を転がして、僅かに曇った表情から目を逸らす。
 もともと貴族階級の生まれであるライが記す文字たちは明らかに教養のある者のそれだ。過去に言われたことがないのならそれが当たり前であったのかも知れないけれど、様々な環境で育って来た者の集まる海軍に於いては十二分な評価点であることを拾い上げる。

「おれの好きな字ではねえけどな」

 知っているわ。という台詞を呑み込み、ライの記憶には鮮明なのだろう故人の文字を想像したヒナは微笑を浮かべた。
 きっと、彼の好きな文字を書くその人も、彼へ同じ言葉を贈っただろう。けれどこうして過去の片鱗に触れるたび、ライは喪ってきた数々の人を思い返し、もう二度と進まない彼らの時間に夢を見ざるを得なかった。

 もしその時、その場に今の自分が配置できるのなら。
 その選択をしなかったのならば、過ぎた時間が巻き戻せるのならば、と。

 サカズキを絶対正義とし、多くの支持者を持つその上官を独りにできない≠ニ苦笑した彼が何を見たのかは皆目見当がつかないが、多くの哀傷を抱えたまま海軍の勝利と世界の安寧のためだけに自己を切り捨てる男を、ヒナは幸せにしてやりたいと思ったのだ。

「ワタクシは、あなたを置いて逝かないわ」
「幸せになりてえなら他を当たれ」

 ライ・ファルセダーという男は幸せになりたいのではなく、愛されたいのではなく、自分以外を愛して幸せになってほしいと願う男だ。自分に他人を幸せにする能力などないのだとでも言いたげなそれは、長い後悔がそうさせたのかも知れない。

「ヒナ、心外。今のままでも充分幸せよ」

 瞠目した黄金色の瞳へ彼女は不敵に笑う。
 ──沸き上がったのは、この男に愛されてみたいという感情。

「……随分と殊勝な心掛けだな」

 甘い茶菓子と不眠に効果があると聞く紅茶を執務机に並べ、逃げるように退室したヒナが向かう先はそれでも問題児な同期のもとだ。
 何も言わずにもてなしてくれるだろうたしぎに甘え、いい加減諦めたらどうなんだと呆れる男にお見舞いする拳を用意して。

「ああ……参った」

 傷つかないように何年と積み上げた壁が、ガラガラと音を立てて崩壊していくことを感じながら背凭れに身体を預け、穏やかな微睡みに瞼を閉じたライは完全敗北を認めるのだ。


#リプで指定された花の花言葉で小説書く
竜胆(勝利・悲しんでいるあなたを愛する・誠実・正義)


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