軍人として、殉職というものは華々しい最期なのだという。
二階級特進は殉職者への賛美なのだという。
しんと静まり返った石碑の乱立するそこはいわゆる墓場だった。戦死した海兵を弔う場、後悔と自責の念が渦巻く空間。
海上戦死者に行われる葬礼は火葬でも土葬でもなく水葬であり、更に言えば百パーセント確実にそれが行われるわけではないことをライは知っていた。
刻まれる名前と墓石の数が噛み合わない理由は、土地の広さが足りないという至極単純なことで、けれどそんなことで殉職者の存在を消してはいけないと、大きな石碑が二つ三つと並ぶ。そこに年々増える名はどれも、志半ばで敗れた下っ端海兵だった。
死体も遺灰も残されず、海へ還った同職者の親族の心内は、ライには分からない。
しかし、彼は知っていた。
へらりと星が瞬くように笑う一家の大黒柱がこの世を去ったと知らせを受け、何とか海軍と話をつけて駆け付けた自分に向けられた言葉と酷く冷徹な眼差しは忘れようもない。
予兆もなく突然奪われた命に直面し、すぐさま感情が追いつくはずもない時頃に、親が死んで泣きもしない不気味なガキだと謗られ、それが引き金となって崩れ落ちた一家の行く末など、誰も気には留めないのだ。
つ、と黒の革手袋が石碑に記された名前をなぞる。
最終階位中将、ライル・D・アルバ。
それはライルード大佐と呼ばれていた父親の本名で、フルネームだった。実父である男のファミリーネームは、本来ならライも名乗らなければならないものである。
「おれは、あんたとは違う」
死ほど人を不幸にするものはないはずなのに、死を名誉とされる殉職など、二階級特進など滑稽だ。
握り締めていた仏花を墓前に落としたライの瞳から一筋、雫が落ちる。
もし父が死ななければ兄は死ななかっただろうか。義姉を幸せにできただろうか。
全て取り返しのつかない過去のことだと分かっていても、分かっているからこそ考え始めればキリがない。
生前の父の階位は越えた。これ以上は要らない。
あとは安全に、安定した給料の入る海軍で生き抜くことが大切なのだ。徹底的な正義を掲げる、海軍大将サカズキの懐刀である気高く優しい海軍少将、ライ・ファルセダーは殉職しない。殉職してはいけない。
苦労をかけた母のために、幸せを掴み取った義妹のために。
義務感か依存か定かではないそれに必死に縋り、心にもない正義を背負う道を選んだ本心は、父、アルバへの憧れも含まれていたのかも知れなかった。
海賊との戦闘で倒れた男のあまりにも綺麗な亡骸に、今にも目を開けて起き上がりそうな躯に、ただただ茫然と立ち尽くし、まともに働かない頭で何を口走ったのかは記憶していない。
父の亡骸と共に帰郷し、執り行った葬礼は火葬で、あんなにも大きかった父は気づいた頃には灰になっていた。傷痕を誇りと言ったアルバの腕にできた痛々しいケロイドも、失明理由がありありと分かる片目も、全てが名誉の負傷だったのならば。
それまでの努力や評価は度外視で、結局のところ結果が大切という群集心理の渦巻く場所に於けるその負傷は、死は。
毎日誰かしらがどこかで死んでいく海軍という場所に於いて、最も軽視されてしまうものは遺族の感情に他ならない。
残念ながら、軍の恩恵に与る一般市民が紙切れ一枚で済まされかねない命のやり取りに混ざり込める理由はないのだ。
童心ながらに抱いた海軍への猜疑心が消滅したわけでは、決してない。戦闘能力のない一般市民が何を喚こうと、取り返しのつかない命の行方を訴えようと、軍人人生を華々しく終えたのだと処理することの、何て理不尽で残酷なことか。
それでも、戦いの中で最期を迎えるということは名誉だという。
海軍という組織にそこまで期待も執着もなければ、海兵でなければならないという崇高な理由も持ち合わせていないライにとって戦死は不名誉極まりない最期だった。
――偶然、聞いた話によれば、アルバの、父の最期は下士官を庇ったことによる一発の銃弾だったという。
滑稽なことだ。
自分の身も守れない男に、上官に、同業者に庇われた下士官は。
「あわれな先達に追悼の意を、か」
アルバと同じ時を生きた軍人は、カモメを背負った後ろ姿が酷似しているという。
「おれは、あなたとは違う」
ライル・D・アルバという男は、とうの昔に終わった命に縋り、遺された言葉に縋り、未来を望まない男ではなかった。
救うべき命をみすみす見落とすような男では、善悪判断を他人に投げるような男ではなかった。
『階位だけ越えても意味がない』
そんなことは、分かっている。
自分を探す声を拾い上げたライは暮石に向かって微笑んだ。
「おれは父さんを越えるよ。」
喪った過去は不運であって不幸ではない。
押し殺して凍えた幼い感情が、少しずつ、融解温度を迎えていた。
言葉にするには、もう少し。
海軍少将ライ・ファルセダーは笑っていた。
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