海軍本部少将、ライ・ファルセダーは毎年七夕の季節に有給を取る。

 サカズキ曰く、この時期に有給を使うために普段休みを取らないらしいが、月末と月初めに彼がいないというのは些か不便でもあった。
 けれど、ワーカホリックを疑われるライが仕事より家族を優先することは海軍上層部の者たちには知れ渡っていることで、この時期はマリンフォードにすらいないことも知られている。

 サカズキやボルサリーノ、センゴクといった上位階級の海兵に伝書鳩のように使われる都合の良い男が一人いないだけで、その日の予定はいとも容易く崩れてしまう。本当に伝書鳩程度の役割ならば誰でも代わりは務まるのだが、同時に文官や下士官に指示を飛ばし時間通りに進められる海兵となると限られてしまうのも当然だった。
 そもそもそれはライが主として任されている仕事であるから成立することで、時には中将までもを動かし欠片の躊躇いもなく大将へ意見を求めることのできる海兵などいないも同然である。

 そんな彼がいない穴を埋めるのは本来の職務とそれを掛け持ちしなければならない中将らであり、降りかかる仕事量とストレスは計り知れない。
 最初こそ「この忙しいときに休むなんていい身分だな」と反発や不満の声が多かったが、二年、三年と時間が進むにつれてその声も収束していった。

「今年もまた忙しい時期が来ましたね」

 特徴的な長い頭の海軍本部中将、ストロベリーの小さな呟きを拾ったモモンガはなんとなく同意する。

 ――忙しいのは、彼の働き分で。海軍本部大将赤犬の懐刀と呼ばれるのは紛れもない実力で。

「……マリンフォードの七夕祭りは、今年も欠席か」

 あの男が主席したのなら、民間人もさぞ喜ぶだろうに。
 モモンガはため息を吐きつつ一枚の書類に名前を書き入れた。


+++


 暗闇の中で小型船から飛び降りたライは取り出した煙草にマッチで火をつける。
 海軍コートと海兵服を自室のクローゼットに押し込み、仕事を完全に忘れられる土地に足を踏み入れた解放感から否応なしに心が踊った。

 人生で初めて愛した人も、たった一人の兄も愛したこの故郷を、彼が愛せない理由は存在しない。煙管と同じ喫煙方法で紫煙を吐き出したライの表情はひどく儚げで、誰も彼をライ少将≠ニ慕われる海軍本部所属の海兵だとは思わない雰囲気を纏わせていた。

 毎年己の誕生日に合わせて帰郷するこの地は、殉職した父が、唯一の兄が眠る場所で、愛した女性ひとに出逢わせてくれた土地。一時の幼い不純な感情で、兄夫婦の幸福を奪ってしまったけれど、それでも。

「過去を悔やむのは、生者の特権なのだから」

 大好きな故郷に仕事は持ち込まない。負い目も後悔も潰えることはないけれど、際限なく渦巻くその感情を、時間は解決してくれないけれど。

 三百六十五日、八千七百六十時間の中で一日、二十四時間だけを切り取って。

 自然と足が向かう慣れ親しんだ生家の変わらない玄関の扉を開けた瞬間に感情が溢れ出した。膨大な無力と哀しみを収容しておける器など、本当は初めから持ち合わせていないのだ。ぼろぼろと頬を伝う雫を止める術は、理由は、どこにもない。
 取るに足らないプライドなんて投げ捨てて、負い目も不幸も後悔も、切り取ったその時間の中だけは抑え込まなくても許される気がしていた。

「おれが、もっと、つよければ。」

 願いを込めて書く短冊には、未だ、何を願い、何を書くべきなのか分からない。

 七月七日の数時間。それは溜まり溜まった感情をリセットする特別な日で、幼い感情こころはそれでも来年こそこの日が来ませんようにと願うのだ。

 己の感情を押し殺して選んだ選択肢に投げつけられた鋭利な言葉の棘は癒えないけれど、兄の、義姉の、最期の願いを裏切ることもできなくて。
 しかし言葉もおもいも受け止められない幼いままのそれは、決して未来を望めもしなかった。


『誕生日ありがとう。生まれてきてくれて、本当に』

 天に流れる無数の光よ、ああ、どうか。



 泣き疲れて眠りに落ちた男の、僅かに赤みを帯びてくすんだ紫髪を指に絡めた老婦は愛し子を抱き締めた。

「我慢ばかりを強いて、ごめんなさい」

 この不器用で優しい愛息子が未来を望めますように。


 ――どうか、どうかあなたが幸福しあわせでありますようにと。


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