桃栗三年柿八年



枝から落ちるか、落ちないか、その瀬戸際でせめぎ合っている柿を見ていた。それはまだ、熟れていなかった。
「何を見てるいるんだい」
先を行く太宰の声がして、彼女は目線を前に戻す。いつもと同じ、つまらなさそう顔が此方を見ていた。空はもう暗い。
街灯がぽつぽつと灯りはじめて、どこかから味噌汁の匂いが漂っていた。早いうちに家に着かないと、夕飯の支度が間に合わなくなるだろう。
「柿を見てた」
「柿?」
怪訝そうに眉をひそめて、数秒躊躇った後、太宰は来た道を引き返した。彼女が動かないからである。
「…ああ、落ちそうだね」
折れそうなほどの枝にぶら下がった柿を太宰は指でつついたが、枝は枝でも案外丈夫らしい。暫く揺れただけで遂に落ちることはなかった。
「柿って言えばなんか諺があったよねえ」
「桃栗三年柿八年、ってやつかい?」
「そんなかんじ」
聞いているのか聞いていないのか、彼女は頭を穏やかに揺らしながら曖昧に応えた。さては眠いのだろう。
おいおいおい勘弁してくれ、君が寝たら今夜の夕飯は誰が作るんだ、面倒臭い予感を感じて太宰は腕を引いた。
「梅は酸いとて十三年」
ぽそり、彼女が目を瞑りながら呟いた。いよいよ眠いことを隠そうともしない様だ。
「…柚子は九年でなりかかる」
「柚子は九年の花盛り」
「柚子の大馬鹿十八年……君、ちゃんと諺の先まで知ってるじゃない」
う〜ん、とまたも曖昧な反応をしながら彼女は頭を揺らす。一体全体、太宰治はこの女の真意が掴めなかった。それとも、真意など最初から無く、ただ眠かっただけなのだろうか。この女のことだけは、何年経っても理解出来ない気がした。
「桃栗三年柿八年、君の隣には五億年いても理解出来なさそうだよ、私は」
君はどう思う。
太宰の目線を感じたのか、彼女は薄らと瞳を開けた。だがその視線は太宰を捉えてはいなかった。遥か遠く、雲に隠れた星を見ている。あの光は何億光年先から来るのだろう。
「……たかが五億年で理解されてたまるかと、私は思うよ」
月が雲に隠れて路地は一層暗さを増したようだ。人の目に映る宇宙は、全体の四パーセントらしい。今見ている空は、全体の何割を占めるのか。
見えぬと知っていて、それを知りたくなるのは人の性。何をしても理解出来ないものを、どうしようもなく追いかけていきたくなるのも人の性。
百年後、「嫌い」も「好き」も、そんな言葉は無くなっているのだろうか。五億年経てば、相手を好きだの嫌いだの、思うことすら無くなるのだろうか。

そうであるなら、随分とつまらなくなるねえ。太宰はそうボヤいて今にも寝落ちそうな彼女の頬を叩いた。
「ほら起きて。君を背負って家まで帰るのは嫌だよ私」



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