捧げ物 | ナノ
悪夢


どこだか分からない夢の世界で、彼女の長い後ろ髪を見た。

「桃井……?」

ふわふわと浮かんでいる気がした。
柔らかな光が優しく体を包み込み、遠くに見える空がぼうっと薄桃色に光っていた。
風も温度も匂いもなく、現実味は全くない。
けれど、声だけはいやにはっきりと耳に届くのだった。

「かがみん……」

桃色の空から溶けだすように、桃井が振り返った。
曖昧だった境界線が光を帯び、彼女を形づくる。
いつもの見慣れた微笑みを浮かべる彼女に火神は少なからず安心を覚えた。
しかし、彼女の傍らに知らない男が寄り添っているのに気づくと、火神は途端に心に影が差すのを感じた。
陰りはどんどん大きくなる。
心地よかったこの暖かな空間でさえ淀んで濁っていきそうだった。

なんとか彼女に向かって手を伸ばした。
桃井は微笑んでいる、知らない男に向かって。
それでもなんとか掴もう、なぜかそう思って腕を伸ばすと、彼女の細く淡い一筋の髪に触れられた気がした。


* * *


「あぁー変な夢見た……」

重い瞼を擦り、先程見た薄れかけの夢を反芻する。
結局、あの出来事は夢であった。
しかし夢というのはおかしなもので、自分が本当に経験したように錯覚したり、そのことが本当になるのではないかという不安に襲われるのだ。
火神もまた桃井が知らない男と並んでいる光景を思いだし、少し落ち着かない気持ちになった。

暗がりの中、体を起こすとベッドのスプリングが軋んで音をたてた。
起こしてしまったかと横を見やると、彼女は穏やかにすやすやと眠っていた。
さらりと髪に触れると、夢とは違う確かな感触がそこにはあった。

「………やっぱ、ねーよな」

一人呟き、口元を僅かに歪めると彼女の頬にそっと口づけた。
不安はもうすっかり消え去っていた。

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