転校生と。 | ナノ
あいつが私の前からいなくなって、1ヶ月の月日が過ぎた。

私のもとにはなんにも残らなかったけど、
あいつが別れ際に言った、


「また会える」


って言葉が本当になれば、

あの陶器のようなつめたい笑顔も
少しは好きになれるだろうか。



* * *



アイは誰よりも優しく残忍で、また誰よりも本当の意味で殺し屋であった。


今年のヨーロッパは至上稀に見るほどの甚大な不景気に陥っていた。
物が売れずに会社は倒産し、少ない顧客を奪い合うような熾烈を極める競争が各業界で巻き起こった。またそれに比して会社の払う犠牲も多くなり、少ない力で大きなリターンを求める思想が急速に広まった。
彼もまたその思想の犠牲になった者の一人であろう。アイは、冷めた目でその転がった男をみつめた。


森に差し込むか細い月明かりに輪郭をぼうっと照らされたその顔は、間違いなく自動車メーカー最大手会社の社長のものであった。
胸にはぽっかりと風穴が空いており、彼の体の下で波打つ木の根には黒々とした大きな染みができていた。
瞳孔も完全に開いており、明らかに生きている人間でないことが分かる。

アイは、殺しに用いた大きな刃物にべっとりついた血糊をぼろ切れでぬぐった。
盛大に刃こぼれしたそれはもう使い物にはならない。
しかしだからといって破棄すると足がつく可能性があるので、持ってきたときのように鞘におさめ、洋服の中にしまい込んだ。

「ふぅー……」

一連の動作を終え、一息つく。

「まぁ、運がなかったってことで。ごめんね、アーメン」

ふざけたような口調とは裏腹に丁寧に胸の前で十字を切ると、アイはポケットからライターを取り出した。
よく乾燥している木の根にライターを押しつけて火をつける。
引火したのを確認すると、今度は前もって隠しておいた灯油を男の体にまいた。

「うおっとっと……!」

炎はあっという間に男を呑み込んだ。
真っ暗な森の中でそこだけが昼間のような明るさを放ち、ぱちぱちと灼熱の火の粉が辺りに飛び散った。
火はどんどん大きくなり、周りの木々を巻き込むようにして広がっていく。
しばらくすると、男は見えなくなってしまった。



森を離れたアイは、携帯電話を片手にその様子を無感動に見つめた。
海のように深く青い瞳には、赤々と燃えさかる炎が遠くに映っている。
この地域特有の乾燥も手伝ってか、火災はもう止めることができないくらいの規模になっていた。

『……おい、聞いているのかアイ』           

「っえ、あ、ごめんなさい。聞いていませんでした」

思わず上擦った声が出てしまう。
アイは意識を再び携帯電話のほうに戻した。

「で、何でしたっけ。報酬の話?」

『馬鹿野郎、報酬の件は事前に伝えておいただろう。今回の始末の話だ。どこら辺に死体を置いてきた。今ウチのもんを向かわせるから、それで……』

「必要ないですよ。もう全部燃えちゃいましたから」

『………さっきから消防がうるさいのはそのためか。ったく、計画通りに行動しろよ。本当に優秀なのか無能なのか分からない奴だな』

「すみません、嫌いな毛虫がたくさんいたもので」                

『そんくらいで燃やすな阿呆』                          
「息子の商売敵の暗殺を依頼する人に言われたくないですね」           

『まぁ、そう言うな。これで車が売れるようなら安いもんだろ』          

「そういうことにしておきます」                         
『かわいげのない奴だな………だが、どうだ?これからわしの下で働かんか。そうしたらお前が一ヶ月に稼ぐ金額の倍を給料にすることを約束しよう。悪い条件じゃないはずだ』

「お誘いありがとうございます旦那。平身低頭、丁重にお断りします」 

『返事早いなおい!少しは考えてくれたっていいだろう』             

「まぁ、あれですよ。昔から考えは変わってないってやつで」 

アイは茶化すように乾いた笑い声をあげた。
近くを通った消防車のサイレンにかき消されて、携帯電話の向こうに届いたかは分からない。
人の叫び声や足音が今は大きく感じられた。

『……分かった。またそのときは頼む』  

「もちろんですよ。こちらこそよろしくお願いします」               
『その言葉、信用だけはしておく。……それはそうとお前、ここにはしばらく滞在するのか?もうここでは冬が近いしな、どこか暖かいところに逃げるってのもいいが』     
「長期滞在はしませんが、あと1,2週間はいるつもりです。人が殺されたのと同時期にいなくなるとさすがに怪しまれますからね」                   

『周到なこった。伊達に殺し屋は続けてない』                  

「これくらいは当然です。では、そろそろ次の依頼の準備がありますので」      

『おう、ちなみに次はどこだ』

瞬間、一陣風があたりを走り抜けた。
道に打ち捨てられた空き缶が、からからと音を立てて転がった。


「次は……――――日本です」


アイは静かに口元だけを歪める。
瞳はまだ、赤い色を映り込ませていた


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