雫の音
『お風呂…久しぶり…』
「そうなの? じゃあいつもはシャワーだけ?」
『はい…1人だからお湯沸かすの、面倒。』
広い女湯のお風呂場には今、若菜と凛のみしかいない。いつもなら数人の女妖怪がいてもおかしくはないのだが、客人である凛に遠慮してか…今は貸し切り状態だ。
「ねぇ、凛ちゃんのご両親はどんな方なの? もし嫌じゃなければ…話してくれる?」
先程の賑やかさとは逆に、静かだが安らぐ雰囲気の中…そう話をもちかけた若菜。今までほぼ強引に話を進めてきたのに対し、今回は内容が内容だからか…遠慮気味にそう言う。
『……母は……全く分かりません。生きてるのかどうかも、分からない。』
「……そう…」
『……父、は……今海外にいます。とある会社の社長で忙しい人です。』
「……会いたい?」
『……会いたい……。』
「…きっと、優しい方なのね…」
『……昔は…よく褒めては、私の頭、撫でてくれました…』
「……今は……離れてるから、ね…」
『…………………違う…』
「…………」
『……きっと…私が、父様の期待に応えてない、から…』
ぽつぽつと、静かに響き渡る2人の声。
お風呂のお湯には、眉をハの字にした若菜と…眉を寄せる凛の顔が映っている。
「……凛ちゃん」
今まで前を真っ直ぐ見たまま話を聞いていた若菜が、顔を凛の方へと向ける。髪から落ちた雫は波紋をよび、水面に映った2人の顔を消した。
「きっとね…今凛ちゃんが感じてるもの……
それが、寂しい、っていう気持ちだよ」
鎮まった波紋が見せた水面…そこに映っていたのは先程とは違い、目を見開いた凛の顔。
「何があったのかなんて聞かないわ。
でも…何かとても辛いことがあったのでしょう?
だから感情を、心を、捨てたのでしょう?」
『……辛い、こと…?』
「……でもね、どんなに辛いことがあっても、心だけは捨てたらダメ。辛いなら涙を流していいし、腹が立った時には怒ってもいい。その代わり、心を捨てるのはダメ…人間でありたいなら尚更ね。」
『……でも、私、もう何も感じない……』
「ううん、そんなことない。
凛ちゃんの心はまだ消えてないよ、ただ感情を忘れてしまってるだけ。だから、今ならまだ間に合うから…ちょっとずつ、ちょっとずつ、一緒に取り戻していこう?」
『……一緒に?』
「えぇ、一緒に。
これからたくさん、うちに遊びにいらっしゃい。たくさん笑って、時にはたくさん泣いて…そしたらきっと、いつか思い出すから…。」
ニコッと微笑み、茫然とする凛の頭を優しく撫でる若菜。その眼差しと撫で方は、まるで本当に我が子を愛する者のそれと同じで…
『……あ、…れ……?』
「……ほら、言ったでしょ?
まだ心は消えてないって…。」
水面に落ちる幾つもの雫は、
静かなお風呂場でポタン…ポタン…と
しばらくの間、綺麗な音色を奏で続けた。
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