私には好きな人がいる。

強くて知的で格好よくて……彼に惹かれた理由を挙げだしたらキリが無いほど、私は彼のことが大好きだ。



……けれど、これは誰にも言えない秘密の恋なのです。








「おや、なまえさん。今日も買い出しに行って下さったんですね……ご苦労様でした」

「あ、き、局長…!!いえ、そんな、私にはこれくらいしか出来ませんから……」

「買い出しも立派な仕事ですよ?いつもありがとうございます。……それでは、私はこれで」

「は、はい!!」



すれ違い遠くなっていく異三郎の背中を見送り、なまえは熱くなった頬を両手で押さえながら溜め息を吐く。

……そうなのだ。なまえが好きになった相手はあの“エリート”の代名詞、佐々木異三郎。
下っ端中の下っ端であるなまえには雲の上のような存在である。


見た目も身分も何もかも、釣り合いが取れていないのは百も承知。

でも、それでも…………、



(…………好き、です……)



決して口にすることの出来ない愛の言葉は、喉の奥に飲み込んで。今日も今日とて、なまえは雑用を熟すのであった。






――――
――





とある昼下がり。
いつものように買い出しに出掛けたなまえは、綺麗な小瓶を売っている露店を見付けた。

興味本位で近付くと、店主が人の良さそうな笑顔を浮かべてこう言った。



『この小瓶には飲むと恋が叶う、不思議な液体が入っているのさ。良かったら、試しにひとつ持って行くかい?』



冗談だと思った。そんな都合の良いものあるはず無いと。
けれど、“恋が叶う”という魅力的なフレーズになまえは恐る恐る手を伸ばしてしまい、結果―――……










「ぴ、ぴよぴよ?!(な、何コレ?!)」





その身を小さなヒヨコの姿へと変えてしまったのです。





「ぴよ、ぴよぴよ……っ(どうしよう、こんな姿じゃ……っ)」



屯所内の私室で自分の姿を鏡に映し、なまえは血の気を引かせた。
少しでもこの恋に希望の光が射すのなら……と、あの小瓶の中身を飲み干したのは自分なのだけれど……。


(だって、こんな、ヒヨコの姿になるなんて聞いてない!!)


これでは恋が叶うどころか、此処にいられることさえ危うくなってしまう。

なまえは元に戻る方法をあの店主に聞きに行かねばと、翼とは到底呼べない両の腕をばたつかせ、ぴょこぴょこと飛び跳ねながら部屋の扉に急いで向かった。



「なまえ、入るよ?」

「ぴっ?!」



問い掛けと共に目前にあった扉が唐突に開き、尻餅をつく。
見上げれば、うんと高い位置に見知った顔ぶれが並んでいた。



「……異三郎、なまえがいない」

「おかしいですね、買い出しからは戻ったと聞いたんですが…………おや?」



現れた上司達の顔を呆然と見つめていると、視線を下に落とした異三郎と目が合う。

やばい。どうしよう。

よりによって、この二人に一番最初に見付かってしまうなんて。

震える体に鞭打って何とか立ち上がると、なまえは二人から逃げる為に全力で駆け出した。



「どうしてこんな所にヒヨコが……」

「今日のおかずが逃げ出したんじゃない?とりあえず……バラした方が早い」

「ぴ、ぴぃぃぃい!!(や、やめてぇぇぇえ!!)」



…………ものの数秒で捕まってしまったが。



ころころと転がされるように異三郎の手のひらの上に乗せられ、なまえは恥ずかしさから目を回した。



(うわぁ…うわぁ…!さ、佐々木局長の手が私を……うわぁぁぁ……!!)



気を抜けば卒倒しそうなほどの羞恥。けれど、そんなこと知るはずも無い異三郎は、構わずなまえをころりと弄びながら言葉を続ける。



「いけませんよ、信女さん。もしかしたら、なまえさんが我々に内緒で飼っていたのかもしれません」

「……なまえが?」

「えぇ。ですから、彼女が戻るまで我々がこのヒヨコを保護しておきましょう」

「ぴ………ぴよ?(え………保護?)」

「あの子が飼ってるヒヨコなら、保護するのは賛成。でも、もし違ったなら…………」

「ぴよぴよ……?(今井副長……?)」

「…………今夜は、焼き鳥が良い……」

「っ……!!」






―――かくして、ヒヨコになったなまえの身柄は、異三郎と信女の二人が保護することとなった。

当の本人はというと、異三郎の手の上で一日でも早く元の姿に戻れるよう心から祈り続けた…………信女から降り注がれる、鋭い眼差しに体を震わせながら。














そして、あれから一週間……。





「さぁ、“なまえさん2号”。ご飯の時間ですよ?」

「ぴよっ!ぴよぴよ〜(局長っ!お腹ペコペコですよ〜)」




未だ、なまえは元の姿へと戻れずにいた。




「炊きたての白飯を喜んで食べるヒヨコとは……何度見ても不思議な気分になりますね」

「ぴよぴよ(そうですよね)」

「それにしても………………はぁ……」



机の上でご飯を頬張るヒヨコを見つめ、異三郎は小さく溜め息を吐いた。



「なまえさん……」

「ぴよ?(はい?)」

「……あぁ、すみません。アナタのことではなくて…………私の可愛い部下のことです」



物憂げな表情の異三郎に、なまえの胸が苦しくなる。

……これで何度目だろうか。
ヒヨコになったなまえの世話をしている異三郎は、ふとした瞬間に溜め息を吐いてはなまえの名を呼ぶ。
見たこともない、それはそれは寂しげな表情で。



「あの子が姿を消してから一週間……連絡も無し、目撃情報も無し、事件に巻き込まれた形跡までもが無い。

……一体、アナタのご主人は何処へ行ってしまったんでしょうかね」


(局長…………)




自分のせいで、彼に心配をかけている。


自分の、軽はずみな行動のせいで。




(私……局長にこんな顔させたかった訳じゃないのに……)



すっかり沈み込んでしまった心を表すかのように、なまえの頭が項垂れる。
そんな彼女の様子を勘違いした異三郎は、当たり前のようにその頭を撫でた。



「アナタは頭を撫でてもらうのが好きですね。それとも……彼女が恋しいですか?」

「ぴよ……(局長……)」

「…………私も……アナタと同じで、彼女が恋しいです」

「………ぴ?(………え?)」



ぽつりと呟かれた異三郎の言葉に、なまえの思考が停止する。

今、彼は…………何と言った?

未だ頭を撫で続けている異三郎の手から逃れつつこっそり彼を見上げ……今度は心臓が停止しそうだった。



(う、わ……すごい、柔らかい表情……っ)



「あまり接することも無いので、あの子は気付いていないと思いますがね」

「ぴよ、ぴよ……(あの、えっと……)」

「いつもひたむきに頑張る……なまえさんのことが、私は愛おしくてしょうがないのです」

「っ……!!」



あの子には内緒ですよ?と微笑んだ異三郎に、なまえは堪らず白飯を放り彼に近付く為机の端へと駆け寄った。



―――私も同じなんです。


貴方のことが好きで…………愛しくて愛しくてしょうがないんです……!!



思いの丈を一生懸命口にするも、なまえの口からは何とも情けない鳴き声が零れるばかりで。
こんなにも近い距離の彼に、その想いは少しも届かない。



「そんなに鳴いてどうしたんです。もうご飯もいらないんですか?」


(違う、違う、そうじゃなくてっ……)


「……では、もう寝てしまいましょうか。明日もなまえさんの捜索を朝から行いますからね」



(私は…………私は此処にいるんです……!!)






恋は確かに叶ったのかもしれない。

でも…………、






こんな残酷な結末、おとぎ話でだって見たことないよ。






―――
――






「……ゆっくりとお休みなさい」



寝床として用意された箱になまえを下ろし、異三郎は彼女の頭を撫でた。
相変わらず優しい彼の手に恥じらいながらも、なまえは何とか自分がなまえ本人であるのだと気付いてもらう為身じろぐ。

鳴いて、飛び跳ねて、彼の顔を見上げる。

これを何度も繰り返すうち異三郎も不思議に思ったようで、一定の動作を繰り返す目の前の小さな体を両手に乗せ首を傾げた。



「先程から鳴き通しですね……やはりお腹が空きましたか?」

「ぴよ!ぴよぴよ!(局長!私はなまえです!)」

「ふむ…………何を言いたいのかさっぱりわかりませんが、少し落ち着きなさい」



呆れたような笑みを浮かべた異三郎は、ゆっくりとなまえの頭に唇を寄せる。
そんな彼との急な接近に驚いたなまえが慌てて顔を上げ……―――、


異三郎の唇となまえの小さなくちばしが、かすかに触れ合った。







「っ……な、何するんですか!!」

「は……?」

「さっきも言いましたけど、わ……私、局長のこと好きなんですから、そんなことされたら……っ」

「なまえ、さん……?」

「そうですよ、私はなまえです!2号じゃないです!早く気付いて下さいっ………………あれ……?」



唇がかすり、ぽんと控えめな破裂音が鳴った後のこと。鳴き声しか出ないはずのなまえの口から、スラスラと飛び出る言葉達。
懐かしい目線の高さから異三郎の顔を見上げ、なまえは自分が元の姿に戻ったことに漸く気が付いた。



「っ…戻ってる……!!」

「…………」

「きょ、局長!私、元の姿に戻って…………え?!」



はしゃぐなまえの声がくぐもる。
不意に異三郎が彼女を力強く抱きしめたからだ。

背中に回った逞しい腕や体を包み込む温かい体温に狼狽えるも、耳元で聞こえた弱々しい声になまえは動きを止めた。



「あの……局長……っ」

「…………った……」

「え……?」

「…………無事で、良かった……」



声を詰まらせ、必死に絞り出したかのような異三郎の呟きに、なまえの胸がトクリと高鳴る。



「っ………わ、私……」

「…………何も言わなくとも結構です。貴女が無事なら、それだけで……」

「……局長………」

「あぁ、しかし…………先程の言葉の真意だけは、今……聞かせていただきましょうか」

「へ?先程の……言葉……?」

「えぇ。確か……私のことを“好き”だとか、何とか……」

「え!?あ、えっと、あれはっ……その………」



ゆっくりとなまえの体を離し、異三郎は赤く染まった彼女の頬に手を添えて顔を寄せる。
距離が近付くにつれて頬の赤みが増していくなまえに、やんわりと微笑んだ。



「相思相愛だと……自惚れてしまっても?」

「っ………」



戸惑いながらも微かに頷いたなまえが返事の言葉を口にする前に、彼女の唇に異三郎のそれが重なる。

優しい口づけと共に再びきつく抱きしめられ、体中の血液が沸騰してしまいそうな感覚に襲われるも……そこからじわりじわりと沸き起こる愛おしさに、彼女もまた彼を抱きしめ返すのであった。









――――こうして、元の姿へと戻ることが出来たなまえは、長い間くすぶらせていた恋心を叶えることが出来た。


後日、事の発端となった小瓶の液体について異三郎に説明したところ…………なんと、あれは取り締まりの対象となっている天人特製の秘薬の一種だったことが判明。
その上、小瓶の底面に注意事項がきちんと書いてあったのだ。



“飲むとたちまちヒヨコの姿に!あなたのことを愛してやまない人からのキスで、元の姿に戻してもらおう!”



おとぎ話さながらのふざけた注意書きを読み返し、なまえは元に戻れて本当に良かったと改めて胸を撫で下ろした。

無論……今回の件について、異三郎にこっぴどく叱られてしまったのは言うまでもない。









(あ、あの!今井副長、この度はご心配をおかけしてすみませんでした……!)
(別に、なまえが無事なら何だって良い)
(うぅ……せめて、何かご馳走させて下さい!ポンテリングでも何でも……!!)
(……何でも?)
(はい!何でも……(……焼き鳥)……へ?)
(焼き鳥が食べたい)
(………っ……!!)

((ほ、本気で狙ってたんだ…!元に戻れて良かった!本当に、本当に良かった…!!))





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