今日は厄日だろうか。


月が優しく照らす夜道を歩きながら、佐々木はぼんやりと思った。



「佐々木局長ぉ〜!私、まだまだ飲み足りないれす……もう一軒行きましょうよぉ〜!」



耳に飛び込んできた陽気な声に自然と深い溜め息を吐いた佐々木は、隣でケラケラと笑いこける部下を一目見て……また溜め息を吐いた。



(違う……こんなはずでは……!)



そう、こんなはずではなかった。

今日は部下であり想い人でもあるなまえと、楽しい楽しい食事会の予定だったのだ。

……いや、楽しい食事会だった…………途中までは。





――
―――
――――




落ち着いた雰囲気が人気の名高い料亭……そこが今夜の舞台だった。

彼女はこういった店にはあまり来ないようで……机を挟んで向かい側に座るなまえの酷く緊張した様子が可愛くて、笑いを堪えるのが必死だったのを覚えている。



『きょ、局長!あ、あ、あ、あのっ……この度は食事にお誘いいただき、ま、誠にありがとうございまする…!』

『っ……』

『その、えっと、あ!お酌っ……します!』

『……ありがとうございます。そうです、なまえさんも飲まれますか?』

『…………え?』



……あの時、酒を飲むかと聞かなければ。



『あぁ、もしかして飲めませんか?』

『え、あ、えっと……』

『無理しなくとも大丈夫ですよ。ジュースでだって乾杯は出来ますからね』



いや、それよりも……この言葉がいけなかったのかもしれない。



『……飲めます!わ、私……佐々木局長とお酒を飲みたいです!是非ご一緒させて下さい!!』



よかれと思って掛けた何気ない一言をきっかけに、彼女は小さな拳を勇ましく掲げ、酒を飲むとすっぱり言い切ったのだ。

無論、無理強いはしたくなかった佐々木は本当に大丈夫なのかと何度も尋ねた。
その都度彼女から返ってきた答えは“自分はお酒が大好きで、沢山飲めるから大丈夫”……と飲酒に関して肯定的なもの。それも可愛い笑顔を添えてだ。

それならば是非一緒に酒を楽しもうと、次々と酒を頼み、酌をし合い、その結果……



『ふふ……ふふふふ……』

『……なまえ……さん?』

『あははは!局長が二人もいます!さては……影分身が出来るんれすねぇ〜?さぁっすがエリート!』

『なっ……』



見事な酔っ払いの出来上がりだった。
それも笑い上戸で大変喧しい。

場所が何の変哲もない居酒屋だったなら良かったかもしれないが、此処は静かな雰囲気が売りの料亭。

一層大きくなったなまえの笑い声が店中に響き渡ったのを合図に、佐々木は逃げるようにして彼女を連れて店を飛び出した。




――――
―――
――





そして、今に至る訳だ。



(酒など注文しなければ、こんなことには……)



“後悔先に立たず”とは、まさにこのこと。

なまえの笑い声をBGMに長い長い溜め息を吐いていると、ギュッと腕に何かが纏わり付くの感じた。

何事かと目を向ければ、抱き着くように自分の腕を絡めるなまえと目が合う。
酒のせいで潤んだ彼女の瞳は見たこともない妖艶さが漂い、佐々木は無意識にゴクリと唾を飲んだ。



「……何を、しているんです」

「えへへー、腕を組んでるんれすよ?」

「それはわかっています。どういうつもりでこんな……腕を離しなさい」

「イヤれす!」



人の気も知らないで!と、佐々木は何とかしてなまえを離そうと試みるが……なまえはなまえで意地でも離れない!と、一層力を込め佐々木の腕に抱き着き続ける。

お互い一歩も引こうとしない。
そんな不毛な攻防戦を繰り返す内に、佐々木の中の誠意ある感情がぐらりと揺らぎだす。



「離しなさい」

「イヤれす」

「……なまえさん、いい加減に……」

「イヤ!絶対に離しません!」



なまえが力を込める度に、彼女の体の柔らかさが腕から伝わり目眩がしそうになる。

このままではいけないと立ち止まって諭すように見つめれば、熱っぽい視線を返され思わず息を呑んだ。

そこには先程まで馬鹿笑いしていたなまえはおらず、ましてや部下としての面影なんて皆無。
代わりにいたのは、どう取り繕っても誤魔化しようのない……女の顔をあらわにしたなまえだった。



「っ……貴女は危機感が足りなさ過ぎです。酔った勢いで男性に密着し続けるなんて、どうなっても知りませんよ?」

「……局長………私……」

「理解したのなら、さっさと……「わ、私…!どうなっても、良い……です……」……は?」



今、彼女は何と言った?


…………どうなっても良い……?



呆然としながら彼女を凝視すれば、艶やかな唇が遠慮がちに動く。



「局長にだったら……良い、ですよ……?」



限界だった。


想いを寄せる女に、溜め息混じりに魅惑的な言葉を囁かれ……何処の世界に我慢し続けられる男がいるだろうか。

佐々木はなまえの絡み付く腕をやや乱暴に掴むと、近くの路地へと引きずるように連れていく。
そのまま彼女の両腕を壁に押し付けるようにして距離を縮めれば、濡れた瞳が微かに揺れ動いた。



「っ…………」



このまま、本能の望むまま口づけてしまいたい。

彼女の髪を乱し、呼吸を乱し、息吐く間もなく唇を重ね……いっそ意識を失ってくれても良い。

そんなよこしまな考えが佐々木の頭を乗っ取ろうと、次々とイケナイ想像を駆り立てる。



「なまえさん…っ……貴女が、悪いんですよ……」



例え、酔い痴れた彼女の戯れ事だとしても。

一夜限りの過ちになってしまったとしても。

もう、本当に、どうなってしまおうと構わない。


粉々に散った理性の欠片を排除しつつ、佐々木はゆっくりと顔を近付けていく。

高まる興奮に心臓が激しく動き出す。
しかし、そんな欲望に忠実な体とは裏腹に、小さく残っていた理性が佐々木自身に問い掛けた。


(………本当に、これで良いのだろうか。酒に酔った彼女に勢いで手を出し……自分は、本当にこれを望んでいたのだろうか……)



ふと見下ろした先のなまえの細い肩。
先程までは気付かなかったが、小さく震えている。
ハッとして彼女の全身を見渡せば、強く閉じられた目元も、掴んでいる手首も……怯えるように小刻みに揺れ動いていた。

途端に、佐々木の頭に冷静さが舞い戻る。



「……なまえさん……」

「………局、長……?」

「手荒な真似をしてしまい、すみませんでした」



手を離し、なるべく怖がらせないよう優しく言葉を掛けると、みるみるうちになまえの瞳に涙が浮かぶ。

……酔った勢いとはいえ、やはり怖かったのだろう。

小さく嗚咽を漏らすなまえの頭を撫でながら、佐々木は目線を合わせるように膝を折って言葉を続けた。



「お酒も、本当は飲めなかったんでしょう?どうしてこんな無茶をしたんです……」

「っ……らって……局長は、大人の男の人…だか、ら……!」

「…………?」



なまえの言葉を要約すると、こうだ。


佐々木に憧れを抱くも、大人な彼と子供っぽい自分では釣り合いが取れないと悩んでいた。

そんな中佐々木から食事に誘われ偶然にもお酒を勧められた為、これは大人っぽさを見せるチャンスだと飲めないお酒をがぶ飲みし……酔った勢いのまま色仕掛けまでもを実行したのだと言う。


彼女のあまりに極端な思考に、佐々木は思わず頭を抱えた。
そんなことをしなくとも、自分は十分過ぎる程彼女に惹かれているというのに。

……そこまで考えて、はたと思い出す。


“なまえは自分に憧れを抱いている”


ということは……、



「なまえさん、貴女……私を好いてくれているのですか……?」

「……!?」



佐々木の小さな呟きを、近距離にいたなまえが聞き逃すはずもなく。佐々木の言葉を聞いた瞬間、なまえの頬は瞬く間に赤く染まっていった。

純真ななまえの様子に佐々木の口元がやんわり緩む。



「こんなに頬を赤くして。本当に可愛い人ですね貴女は……」

「や、こ、これは…違っ……!!」



真っ赤な頬に手を添えれば、涙目のなまえが狼狽える。
否定こそしているが、それが上辺だけのものだということは明らかだった。

彼女は間違いなく、自分に好意を寄せている。



「ねぇ、なまえさん……私の話も聞いてもらえますか?」

「へ?あの……は、い……」

「貴女はご自分を酷く卑下して物を言いますが……そのように思ったことなど、私は一度もありません」

「…………」

「なまえさんは今のままで十分魅力的です。……………私は、そんな貴女のことを……」



好きなのだと、言おうとした……言おうとしたのだが、言えずに口を閉じた。

なまえが震える手で、佐々木の隊服を掴んできたのだ。
再び泣きそうになりながら、縋るように。



「なまえさん……?」

「局長……私………」



想いが通じ合ったのを察して、泣きそうになっているのだろうか。はたまた、彼女の気持ちは自分の思い過ごしだったのだろうか。

色々な考えが頭を巡り焦燥に駆られるが、なまえの言葉を遮らないよう、口をつぐんでぐっと堪える。



「……きょく……ちょ……っ」

「……はい」

「……………………吐きそう……」

「…………は?!」



何を言うのかと待ち侘びれば、彼女の口から零れたのは予期せぬ……むしろ最悪な展開を呼ぶ言葉。

ギョッとしてなまえの表情を窺うと、真っ青な顔が眼下でふらりと揺れた。



「っ……ま、待ちなさい!近くに公園が……」

「……も、無理…………っ……」

「……!!」






―――あぁ、やはり今日は厄日だった。



楽しい食事会も、告白するチャンスも、全て流れてしまったのだ。


月が優しく照らす中……苦しそうに悶えるなまえの背中を甲斐甲斐しく摩りながら、佐々木は一人げんなりと項垂れた。









(局長……あの、昨日はその……すいませんでした……)
(いえ、気にすることはありません)
(私……お酒飲んだ後の記憶もほとんど無くて……)
(………仕方ないことです)
(っ……も、もし良ければ!今夜また飲みに……(絶対に行きません。なまえさん、貴女はしばらくの間禁酒です。これは局長命令ですよ)
(そ、そんなぁ……!)


((局長に大人っぽい私を見せるチャンスがぁ……!))

((如何なる時もなまえさんにお酒を飲ませてはいけない……見廻組内の法度にでもしてしまいましょうか……))






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