屯所内の廊下を歩いていた佐々木は、自分を呼び止める可愛い可愛い部下の声に気付き、ゆっくりと振り返った。



「局長、この前の書類が完成しました!」

「おや、なまえさん……ご苦労様です。今回も素早く対応して下さったようで助かりましたよ」

「いえ、このくらい当然です!」

「貴女は本当に優秀な部下ですね。そうです、まだ頼みたい仕事があるんですが……引き受けていただけますか?」

「っ……はい!もちろんです!!」




見廻組の局長である佐々木異三郎と部下のみょうじなまえは非常に良い関係である。
……と言っても、仕事上に関しての話だが。(いずれはプライベートでも良い関係を築きたいと、佐々木はひっそりと目論んでいるそうな)

聡明で冷静沈着な佐々木に、気配りに小回りの利くなまえ……二人が組めばどんな仕事もあっという間に終わってしまう程の名コンビ振りだ。

今まで幾度も熟してきた任務を通し、佐々木はなまえの良い所も悪い所も沢山見てきた。それ故、自分は誰よりも彼女を知っているし、理解していると……そう思ってやまなかった。






―――たった今、目の前で起こったやり取りを見るまでは。




「ちょいとお邪魔しやすよ」

「え……総悟!?どうして此処にいるの?!」

「おめーを連れに来たに決まってんだろ。馬鹿なまえが」

「いやいやいや、突然来て何言ってんのよ!馬鹿はアンタの方でしょ」

「チッ……なまえにしか頼めねぇことがあるんでィ。良いから黙ってついて来なせェ」

「はぁぁ!?……もう、総悟はいつも勝手なんだから……」



突然現れた沖田に、なまえはムッとしながらもやれ仕方ないといった様子で頷く。
そんな二人のやり取りに佐々木は口を挟むことも出来ず、ただただ呆然と見つめるしかなかった。


………一体、この二人の関係は?


なまえの砕けた口調も、ムスリと口を尖らす子供のような表情も……どれも自分が知らないものばかりだ。


佐々木の胸に、不穏な感情がじわりと広がった。



「沖田さん、なまえさんは私の優秀な部下です。私の許可無く彼女を連れ出すことは許されませんよ」

「そいつは初耳でさァ……なら、今この場で許可してくれませんか。急ぎなんで」

「総悟!!……きょ、局長…!あの、すみません……」

「っ……何故、なまえさんが謝るんです。貴女は別に……」

「いえ!総悟は私の幼馴染みです。不服ですが、彼の無礼をお詫びするのは当然のことかと」

「そうそう。なまえが謝るのは当たり前のことでさァ」

「アンタが偉そうにするな!!」

「…………」



再び言い争いを始めた二人に、佐々木の胸に芽生えた真っ黒な感情が少しずつ溢れ、心を締め付けていく。



知らない。



声を荒げる貴女も

困ったような表情の貴女も




そんな貴女を 私は知らない。





――――知りたく、ない。







「…………残念ですが、彼女を此処から出すつもりはありません。どうかお引き取り願えますか」



自然と口を吐いた言葉になまえと沖田がぽかんと呆ける。
二人のそのそっくりな反応すら不快に思えてしまい、佐々木は堪らずなまえの腕を掴んで引き寄せた。



「わわっ……え!?局長……?」

「聞こえませんでしたか?……帰れと、言ったんです」

「………あぁ、なるほど」

「え?何?何で納得してるの?」

「佐々木殿、悪いことは言いません。なまえはやめておいた方が良いですよ」

「……どういうことです」

「ちょ、ちょっと……総悟?」

「知らないようなんで教えてあげまさァ。コイツは昔っから俺のことを……「ぎゃあァァ!変なこと言おうとするなバカぁ!!」……チッ」



なまえの大きな声に沖田は舌打ちをして話すのを止める。しかし、佐々木は沖田が次にどんな言葉を言おうとしていたのか、何となく予想がついてしまった。



なまえは沖田を好いているのかもしれない―――……



浮かんだ考えに胸がざわめく。
そして、沖田の言葉を聞きたちまち表情を変えたなまえにも、佐々木はもう我慢の限界だった。
眉を寄せ、頬を染め……その表情はまるで恋を患う少女のようで。

それを目にした瞬間、佐々木の頭の中は真っ白になり、胸のざわめきが一層大きく響き出した。



「きょ、局長……今のはお気になさらないで下さ……」

「…………気になどしていません。さぁ、行きますよ」

「え!あ、ちょっ……」



苛立ちを振り切るかのように、なまえの細い腕を掴んだまま歩みを進めた佐々木は、一度も沖田を見ることなく彼の横をすり抜けていく。

そんな佐々木となまえの後ろ姿を見送り、沖田は口元をニヤリと歪ませた。



(なまえは昔っから俺のことを……“竹刀片手に追っかけては返り討ちあってた、じゃじゃ馬女だ”……って言おうとしたんですが……)



「こんな面白ぇことになるとは……言わなくて正解だな、こりゃあ」




ぽつりと呟いた沖田の言葉は、足早に去っていった二人に届くことはなかった。







――――
――






長い長い廊下を、二つの足音が慌ただしく過ぎていく。



「局長!…っ…局長!!」



なまえが何度声を掛けても、佐々木はその足を止めようとはしなかった。
むしろ少しずつ歩くスピードが上がり、もつれそうになる足を何とか動かして、なまえは彼に手を引かれるまま歩き続ける。

佐々木が何故こんなにも怒っているのか、なまえは見当も付かないでいた。
いや、それよりも、彼が激しく怒っているところなんて初めて見たのだ。

自分が知らなかった彼の一面に、なまえの心がざわりと波立つ。



(そっか……私は佐々木局長のこと、全部知ってる訳じゃないんだ……)



そう思えば途端に悲しくなり、少し前を歩く佐々木の背中から視線を逸らし俯いた。

彼と沢山の任務を熟してきたことで、彼の全てを知った気でいた自分が酷く恥ずかしい。
自惚れや浅ましさから込み上げてきた涙が、ほろりと零れたその刹那。真っ直ぐ進んでいた体が、不意に右へと傾いた。

……俯いていて気付かなかったが、どうやら何処かの空き部屋へと入ったらしい。



「……局、長…………あの……」



部屋へ入るやいなや、佐々木の冷たい視線がなまえを貫く。
空気が凍ってしまいそうな程冷ややかな彼の瞳に、なまえは無意識に体を震わせた。



「……どうして、お怒りになられているのか……お聞きしてもよろしいですか……?」

「怒っている?……私がですか?」

「……は、い……」



喉の奥でくつりと笑った佐々木は、怯えた表情のなまえにゆっくりと近付く。
立ち尽くしていた彼女が後退り、その背中にトンと固い壁が当たったのを合図に、佐々木は彼女の顔の横へと両手をつき逃げ場を無くした。



「しいて言うなら、そうですねぇ……私以外に向ける貴女の“知らない顔”を見てしまったから、ですかね」

「ど、いう……意味でしょうか……」

「わかりませんか?」



ぐっと顔を近付けて話し出した佐々木に、なまえの頬がみるみるうちに赤くなる。
真っ赤に染まった彼女の頬をひと撫ですると、佐々木は視線を合わせたまま言葉を連ねた。



「……なまえさん、貴女は私の部下です。よって、私は貴女のことを全て知る義務があります」

「っ……」

「同じように貴女にも……私に全てを見せる義務があるんですよ。喜びや悲しみ、怒り…それと……」


―――そうやって頬を染め、瞳を揺らす艶やかさも。


「…………貴女が沖田さんへどのような感情を抱いていようと関係ありません。……今後、私以外にこのような表情を見せることは絶対に許しませんよ」



佐々木の低い声になまえはクラリと目眩を覚えるも、囁くように落とされた言葉の端々に、嫉妬心が含まれているのを感じ目を見開いた。
まさか…と驚き、彼の顔をまじまじと凝視すれば、数秒間見つめ合った後すぐに目を逸らされてしまった。

……これは、もしかしたら……。



「あの……局長、失礼ですが、お怒りの理由はもしかして……ヤキモチ……ですか?」

「………!!」



おずおずと伝えると、彼はキッとなまえを睨み付けバツが悪そうに口を一文字に引き締めた。

その表情は、まるで子供のようで。

彼もまた自分と同じように、相手の知らない表情を見てヤキモキしていたのかと思うと、なまえの口から思わず笑いが零れた。



「ふふっ……でしたら局長も、私以外の人にこんな表情……見せないで下さいね?」



さっきの恐ろしく冷たい彼はヤキモチが原因だったとは、なんて可愛らしい人なのだろうかとなまえが微笑めば、眉間に皺を寄せた佐々木が面白くなさそうに目を伏せる。



「……こんな情けない姿、貴女にだけは見られたくなかったです」

「それは困ります。私には……大好きな局長の全てを見たいという、果てしない願望がありますから!」

「……………は?なまえさん、今何て……」

「さ、まだ仕事があるんですよね?今日も素早く終わらせちゃいますよー!」

「ちょっ……ちょっと、なまえさん!?」



狼狽える佐々木に、無邪気に笑うなまえ。
見慣れぬ表情の相手を目の前に、沸き起こった感情はただひとつ。


――知らない“あなた”を 今よりもっと沢山知りたい。


この時、お互いが同じように思い願ったことを……二人は知る由もない。







(そういえば……沖田さんがあの時言いかけた言葉は……)
(あ、あれはっ……き、き、気にしなくて良いことです!!)
(おや、局長である私に隠し事ですか?)
(う……で、でも!それとこれとは話が別で……)
(……そうですか、私には言えないんですか………残念です……)
(っ……うぅ〜…!!)

((あぁ……なまえさんのこの、困り果てて今にも泣きそうな表情……))

(…………もっと見せてもらっても良いですか)
(へ!?な、何をですか?!)





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