部屋の隅で正座をし、水着を片手に溜め息を吐く女が一人。

彼女、みょうじなまえは、真選組で女中を勤めているのだが……それ故、現在非常に悩ましい状況に陥っていた。






――――時を遡ること、一ヶ月前。
―――
――





『え?慰安旅行……ですか?』

『あぁ、近藤さんが頼み込んで上に了承を得たらしい。ったく、どんだけ海に行きたかったんだか』

『そうですか……。では、皆さんが帰って来た時にゆっくり休めるよう、ピカピカにお掃除しておきますね』

『あ?何言ってんだ。お前も行くんだよ』

『……え?』

『真選組の女中なんだから当たり前だろ。あぁ、そうだ……近藤さんのことだ、旅行先に着いたら強制的に全員海に入らされることになるだろうから……水着、忘れんじゃねーぞ』

『えぇぇぇ!?』





――
―――
――――と、鬼の副長様に言われてしまったのだ。



慰安旅行に行くこと自体困難だというのに、海に入ることを“あの人”が知ってしまったらと思うと……溜め息が自然と零れてしまう。

“あの人”……恋人である佐々木異三郎は、大変嫉妬深い男なのだ。


しかし、もしも自分が逆の立場だとしたら、きっと彼に負けないくらい嫉妬してしまうだろう。

見送る側の彼の気持ちがわかるからこそ、今回の件は断ろうと何度か試みたのだが……近藤さんの酷く残念そうな表情や、沖田さんと山崎さんからの猛烈なお誘いに(沖田さんに至っては脅迫に近いものだった)、どうしても断り切ることが出来なかった。


慰安旅行まであと一週間……こうなったらギリギリまで絶対に隠し通さなくては。
愛してやまない彼に隠し事をするのは心苦しいが、今回ばかりは仕方ない。


なまえは水着をやや乱暴にボストンバッグへと押し込むと、もう何度目かもわからない深い溜め息と共にファスナーを閉めた。






――――
――




慰安旅行まであと三日。

事は自分が想像していたよりも遥かに上手く進んでいた。

このままやり過ごし、彼には前日にでも伝えれば何とかなりそうだ。
しかしながら、上手くいっているとはいえ隠し事とはなんと大変な事だろうか。なまえはボストンバッグを隠してある押し入れを見つめ、ひとり愚痴を零した。



「はぁ……三日後かぁ。私、楽しめるのかな…水着だってすごい久しぶりだし……」

「ほぉ……三日後、水着を一体何処で着るおつもりですか?」

「何処って……慰安旅行で行く、海…で……」



そこまで言葉を続けて、なまえの体はピシリと硬直した。

…それもそのはず。自分以外誰もいなかった部屋に、訝しげな第三者の声が響いたのだから。



「そうですか、慰安旅行で海に行かれるんですか。それはさぞかし楽しみでしょうね……なまえさん?」



いるはずのない、愛する恋人の声が。



「い、異三郎さん……」



後ろを振り返れば、案の定不機嫌な様子の恋人が立っており……なまえの顔がヒクリと引き攣る。

どうして、こうもタイミング悪く彼は現れてしまうのか。
いや、独り言を呟いた自分のタイミングが悪いのか……何にせよ、聞かれてしまったものを無かったことにはもう出来ない。
なまえはただただ注がれる冷たい視線に耐えながら、彼を見つめ返した。



「私に隠してまで海へ行こうとするとは、真選組の方達によっぽど水着を披露したかったんですね」

「え、違っ……違いますよ!」

「良いのですよ、これ以上隠し事を増やさなくても。……それで、水着姿で一体誰を誘惑するおつもりなんですか?」

「っ……誤解です……!」



対面した状態で、無表情の彼にジワジワと壁際まで追い詰められる。
踵が壁に触れ、後ろにはもう逃げ場が無いことを知ったなまえは、無意識に逃げ道を探して顔を横へと逸らした。

しかし、顔の両隣に手をつかれてしまい、左右の逃げ道までいとも容易く塞がれてしまった。
恐る恐るその腕を辿るようにして見上げれば、こちらを見下ろす双眼がゆっくりと細められる。



「誤解……?誤解しているのは貴女の方ですよ、なまえさん」

「わ、私……?」

「えぇ、そうです。貴女は誤解しています……男という生き物の実態を」



そう言って壁に手をついたままなまえと目線を合わせるように屈んだ異三郎は、そっと耳元に唇を寄せて囁いた。



「夏という季節は人を開放的にさせます。特に海などの激しい露出を要求される場所は、理性のリミッターが壊れやすい。
男共はそれを狙っているんですよ……その場の雰囲気に酔って大胆な行動をとる女性をあわよくば食べてしまおうと……ずーっと、狙っているんです」

「っ………」

「そんな危険な場所で、私以外の男と無防備な水着姿で過ごそうとするなんて……」



―――いけない子ですね。



一層低くなった声が鼓膜を揺すったすぐ後に、チュッと耳元に口づけられ……なまえは恥ずかしさのあまりその場にへたり込んでしまう。

その様子を見て、異三郎はさも愉快だと言わんばかりに意地悪く笑うと片膝をついてしゃがみ込み、力の入らないなまえを抱き寄せた。



「異三郎さんっ……あ、あの…私……!」

「わかっていますよ。貴女の性格上、私の気持ちを汲み取り一度は断って下さったんでしょう?」

「……はい」

「しかし、断った際に見た相手方の残念そうな様子に、意思を押し通すことが出来なかった……違いますか?」

「うぅ…その通りです……」

「まったく……貴女のお人好しで従順なところは私も気に入っていますが、その対象は私だけにしていただきたいものですね」



甘えるように首筋へ顔を埋めながら抱きしめてくる異三郎に、思わず胸が高鳴る。
まるで大きな子供みたいだと背中をそっと撫でれば、なまえを包み込むように抱いていた彼の腕に力が篭った。



「なまえさん……慰安旅行、どうぞ楽しんできて下さい」

「良いんですか……?」

「えぇ。その代わり……もう私に隠し事はしないと、約束して下さい」

「っ……はい」

「私の知らない所で貴女に何かあったらと思うと、普通ではいられないのです。
煩わしく思うかもしれませんが、貴女のことは例え目を背けたくなるような悪いことでも、全て知っておきたいんです……」

「煩わしいだなんてそんな……私も、逆の立場なら同じ気持ちです。
異三郎さん、隠し事してごめんなさい」



抱き合いながら約束を交わした後、ゆっくりと体を離す。
先程とは違い、こちらを見つめる異三郎の瞳に温かみを感じ自然と笑顔になれば、釣られるようにして彼も小さく微笑んだ。

彼のその表情を前に、隠し事は今後絶対にするもんかとなまえは心に誓った。





「……そういえば、慰安旅行はどの辺りの海に行かれるんですか?」

「それが、偶然にも前に異三郎さんが連れて行ってくれた場所なんですよ!」

「おや、そうでしたか。それはそれは、素敵な偶然ですね。
……そうです、その手がありました。
なまえさん、その偶然に更なる喜ばしい偶然が重なれば、もっと素晴らしい旅行になると思いませんか?」

「……え?」




意味深な言葉を私に投げ掛けてきた彼は、表情にこそ出ていなかったが……ご機嫌そのもの。

彼の機嫌の良さの理由がわからずなまえは首を傾げたが、頬に落とされた優しい口づけによって、そんな疑問は瞬時に脳裏から消されていった。




結局……彼の言葉の意味を知ったのは、慰安旅行当日になってからのことだった。








(野郎共!海だぞォォォ!!……さ、なまえちゃんも楽しんでくれよ!)
(はい!近藤さん、ありが……(なまえさん、貴女はこちらですよ)……あれ!?異三郎さん?!)
(なっ……佐々木!何でてめぇが此処にいやがる!!)
(私はプライベートビーチに“偶然”来ていただけですよ。それにしても、こんな所でなまえさんに“偶然”お会い出来るなんて……これはもう運命としか言いようがありませんね。……という訳ですので、彼女はこちらで預からせていただきますね)
(((……はァァァァァァ!?)))


(さ、行きますよ……なまえさん)
(え?あ、えぇ!?)


((はっ……異三郎さんの言ってた“更なる喜ばしい偶然”ってこれのこと?……すごい!こんな偶然、本当に運命みたい…!!))

((愛しい人を猛獣の群れの中に放っておくなんて、耐えられませんからね……間に合って良かった))






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