ポカポカと穏やかな陽気の昼下がり。
…突如現れた人物の一言により、真選組屯所は氷河期の如く凍り付いた。
「……あ?…てめぇ…今何て言った…?」
いつになくドスの利いた声で話す土方に、周りにいた隊士達は体を震わせる。
……そんな彼に動じない人物がひとり。
彼の名前は佐々木異三郎。
言わずもがな、真選組を見事一瞬で凍り付かせた張本人である。
「おや、聞こえませんでしたか?
……こちらで女中を勤めているみょうじなまえさんを、私の妻として迎えたい……そう言ったんです」
シラッとした態度で言葉を並べる佐々木に、土方の苛立ちは倍増。
ただでさえもいけ好かない人物。
そんな人間が急に現れ“此処の女中を嫁にくれ”などと言い出した所で、誰が快く頷けようか。
ましてやなまえは真選組唯一の女中。
簡単に渡すわけにはいかない。
「……大体、なまえはそんなこと望んじゃいねぇだろーが。独りよがりも大概に…「そのことならご心配なく。彼女とはもう話がついています……と言うより、彼女はもう私にぞっこんです」
「はぁぁ!?おい、どういうことだ!
……誰かなまえを呼べ!!」
佐々木の発言に青筋を浮かばせた土方に、隊士達が慌ててなまえを呼びに部屋を出ていく。
…程なくして襖が開く。
そこから現れたなまえを見て、皆目を丸くした。
彼女の着物はいつもの安っぽい物ではなく、素人が見ても上等だとわかるくらい高級な物へと変わり……
適当に纏められただけだった髪は綺麗に結い上げられ、
いつも飾らない顔には化粧が綺麗に施されており……まるでどこかの令嬢のようであった。
「ちょっ……お前……何だその格好…」
「佐々木さんがくれました。ドーナツもいっぱいくれました。これからも美味しい食べ物いっぱいくれるって……私、幸せです」
「な!?……おい、なまえ…お前まさか、食いもんに釣られて結婚を承諾したんじゃねぇだろうな…」
「…………」
ドーナツを頬張りながら土方から目を逸らすなまえ。
それを見た土方は、信じられないといった表情で彼女を見つめた。
「あぁ、なまえさん…とてもよく似合っています。やはり私の見立てに狂いは無かったようだ。
…どうです、土方さん。彼女が如何に私を好いているか…貴方にもわかるでしょう」
「いや、わかんねぇよ。完全に食いもん目当てじゃねーか」
――もぐもぐ もぐもぐ
「わからないのですか?ならば、あの表情を見なさい…あんなにも嬉しそうに…「ドーナツだよ!ドーナツ食ってるからだよ!!どんだけ都合の良い脳みそしてやがんだてめぇは!!」
――もぐも…「お前も食うのやめろ!!」
ゼェゼェと肩で息をする土方を、佐々木となまえは飄々とした様子で見つめる。
そんな二人を見て土方は困惑する。
あれ?俺が異常なの?
結婚って相手へ贈るドーナツの数が重要なの?
いやいや、おかしいだろ……結婚っつーのは愛し合う二人がするものであってだな……
(…愛し合う………)
「……つーか、てめぇらいつから……その、そういう関係なんだよ……。
……不服だが、お互い好き同士で結婚を決めたんだろ?」
「え?……私、佐々木さんとお付き合いなんてしてませんよ」
「……はぁぁぁぁぁ!?」
「エリートは恋愛においても飛び級です」
「その飛び級はエリートじゃねぇだろ!!むしろ劣等生だよ!!」
「……一目惚れなんです。傍に置いておく為に飛び級くらいしたって良いでしょう」
…あの冷酷非道の佐々木が一目惚れ!?
思わず銜えていた煙草を落としてしまい、慌てて拾い上げる。
「………まさか、なまえも…!?」
「……はい。私も、初めて彼と会った瞬間目が離せなかったんです…………
……彼の持つドーナツの箱から」
「いや、それ違うから!!一目惚れなんて綺麗なもんじゃねぇから!!私利私欲に目がくらんでただけだから!!」
「私となまえさんがラブラブ過ぎてヤキモチですか?みっともないですよ、土方さん」
「……っ…」
何なんだコイツら。頭いてぇ。
もう、何か、どーでもいい……。
「はぁ………勝手にしろ。俺はどうなろうと知らねぇからな」
「貴方が話のわかる人で良かったですよ。
さぁ、なまえさん…式の日取りやドレスを決めに行きましょうか」
「はい、佐々木さん。……土方さん、お祝いは霜降り牛肉ステーキで良いです」
「“で良いです”じゃねぇ!!さっさと行きやがれ!!」
堪らず怒鳴れば、はいはいと馬鹿にするようにゆったり出ていく二人。
そんな二人に土方はまた長い長い溜め息をひとつ吐いた。
―――――
―――
「……本当に良かったんですか」
「はい?」
真選組屯所を出て、つかず離れずの距離を保ちながら肩を並べて歩く二人。
佐々木は先程のやり取りを思い浮かべ、なまえにずっと言えずにいたことを口にする。
「数回顔を合わせただけの人間に、突然結婚して欲しいなんて言われて困惑したでしょう。
………その場の流れで返事をしてしまっただけなら、今この場で断ってもよろしいんですよ」
前を見据えて話す佐々木の横顔を、じっと見つめるなまえ。
いくらか歩みを進めてもこちらに向けられたままの双眼に、佐々木は無視することが出来ずに視線を返す。
「……何ですか。そんなに見つめて…」
「いえ、佐々木さんって格好良いですよね」
「なっ…!?」
「身長も高くて、お家柄も良くて……気品もあるし」
「……何を、急に………」
突然始まった想い人からの賞賛の嵐に、佐々木の顔はみるみるうちに赤くなっていく。
それを見たなまえはくすりと笑うと、触れそうな位置にあった彼の手に指を掛ける。
「それに……私、知ってますよ。
佐々木さんが、すごく優しい人だってことを。
………私、佐々木さんが好きです」
嬉しそうに微笑まれ、佐々木は触れられていた手に力を込めて彼女の手を握る。
「……ありがとうございます…。
そうだ、これからは貴女も佐々木です。私のことは下の名前で呼んでいただけませんか」
「はい…………えと…異三郎、さん」
恥ずかしそうにはにかむなまえを見て、この先彼女のいろいろな表情を見ていけるのか…と、佐々木はひとり幸せを噛み締める。
一方なまえもこれから彼のことを沢山知っていけるのかと、同じように幸せを噛み締めていた。
――二人の幸せは まだまだこれから。
(…なまえさん)
(何ですか、異三郎さん)
(………いえ…何か、良いですね)
(ふふ、そうですね)
(これから先、どうぞよろしくお願いします)
(はい、こちらこそ!)