最近、なまえさんの様子がどこかおかしい。
ぼんやりしていたかと思えば、ハッとして何かを振り切るように頭を横に振ったり……。意気込んだかと思えば、切なげに溜め息を吐き出したり……とにかく様子がおかしい。
……ついでに言うと、何となく私に対しても余所余所しい。
思い返せば、この不可思議な状態は先月のバレンタインデーから始まったように思える。
(……これは、どうにかして原因を探らなくてはいけませんね)
このままでは彼女との関係はぎくしゃくし続け、せっかく縮めた距離も再び離れてしまうのではないだろうか。
……それだけは避けたい。絶対に。
「そろそろ、坂田さんに事情聴取してみますか」
もうすぐホワイトデー。
その日を迎える前に、元通りにしなくては。
―――
――
「あ?なまえの様子がおかしい?」
足早に向かった万事屋で、渋々中へと入れてくれた坂田銀時に彼女のことを尋ねると、彼の表情が大きく歪んだ。
「えぇ、そうなんです。坂田さんなら何か知っているんじゃないかと思いましてね…………で。どうなんですか?」
「な、え、ど、どうなんですかって言われてもよ……お、お、俺ぁ別に何も知らっ……知らねぇなぁ……」
「問い詰めれば何かしら吐くだろうとは思っていましたが、たった一度の言葉のやり取りで動揺し過ぎですよ。もう少し冷静を装う努力をしたらどうです」
「っ……うるせーな!余計なお世話だ!!」
ソファに座り、向かい側に座る彼の表情を観察しながらも更に話を進めれば、今度はあからさまに目を逸らされた。
ダラダラと汗が流れ出した彼の顔……その表情から窺えるのは明白な“黒”だ。
なまえさんの様子がおかしい原因を、目の前の男は確実に知っている。
「タダで教えていただこうなんて思っていませんよ。こちらもそれなりに報酬を用意しました」
「……報酬?」
「ここに百万円の小切手が三枚あります」
「ひゃっ…………はぁァァ!?」
そう、こちらにも切り札がある。
どこまでも貪欲なこの男に打って付けな“金”という切り札が。
懐から取り出した三枚の小切手をこれ見よがしに机の上へ並べると、予想通り彼の目の色が変わった。
「さて。この三百万円分の小切手ですが……貴方に差し上げたいと思います」
「ま、まじでか……!!」
「えぇ、まじです。大まじです。……ただし、私になまえさんの情報を渡していただけたらの話ですが」
「!!」
「どうです、教えていただけますか?」
「っ…………お、教え……教えま……………いや、でも……いやいやいや、待て、冷静になれ、煩悩を爆発させろ俺!!」
「はい、百万円分がゴミと化しました」
「ちょっ、嘘、勿体ねぇぇェェェェ……!!」
すぐに答えようとしない彼に、小切手の一枚を容赦無く破る。
これまた予想通りに騒ぎ出した坂田銀時に、口元だけ笑みを作ると再び問い掛けた。
「貴方も何かとお金が入り用でしょう。残り二百万……欲しければ早く口を割りなさい」
「くっ……!」
「ほらほら。早くしないと、また一枚ただの紙切れになっちゃいますよ…………おっと手が滑ってしまいました、すみません」
「っ…………だぁァァァ!!いい加減にしろよてめぇ!!元はと言えば、全部自分で蒔いた種だろーがぁァァァ!!」
「……どういう意味です」
二枚目を破り捨てた途端大声で吐き出された言葉に眉をひそめる。
“自分で蒔いた種”
それでは何か、彼女のおかしな様子は私に原因があると……彼はそう言いたいのだろうか。
「人見知りの彼女に“友人関係のノウハウ”を教え、手塩に掛けて育て上げている私に、貴方は原因があるとおっしゃるのですか?」
「手塩ねぇ……見えない鎖でがんじがらめに縛り付けといてよく言うぜ。お前の教育方針に問題があるから、こうやって悪い方向に転がってんだろ」
「…………」
「それに……俺はアイツの“友達”だ。ダチを売るようなことは絶対にしねぇ。胸に手を当てて、せいぜい自分の言動を省みるんだな」
「…………そう、ですか」
原因……もし仮にそんなものがあるとするならば、それは私ではなく、目の前にいる坂田銀時などの第三者の介入が大きいのではないか?
私の計画は完璧だった。
彼女の全てを手に入れる為の手筈は済んでいて、後はひたすら時間を掛けて追い込むだけだったのだから。
「ま、まぁ?どーしてもって言うんなら、ヒントくらいは教えてやっても良いけど?小切手も受取人がいなきゃ処理に困るだろうし、俺が……「ありがとうございます、坂田さん」……え?」
「貴方のお陰で目が覚めました。彼女のことは私自身でどうにかするべきでした」
「え?あの……」
「第三者の介入など、元より必要無いものでしたね。今回の件は忘れて下さい」
「あ……、あぁぁァァァァ……!?」
立ち上がりながらビリビリに破いた最後の小切手を、紙吹雪のように机へ散らす。
それを見て顔を引き攣らせた坂田銀時に、沸き立った苛立ちがほんの少し治まった気がした。
「申し訳ありませんが、このゴミ捨てといてもらっても良いですか」
「おま……!ほんっと性格悪ぃな!!」
「何とでも言いなさい。ろくにメールも返さないメル友をひとり失ったところで、痛くも痒くもない。
……私は、なまえさんがいて下さればそれで良いのです」
固まる彼を横目に玄関へと向かう。
扉に手を掛け外へ出る間際、“また来ます”と一言添えれば、“二度と来るな”と即座に返事が返ってきた。
(メールもそれくらい素早く返してくれれば良いものを……)
さりげなくソファの隙間に挟んで置いてきた真新しい携帯電話にメールを打ちつつ、万事屋を後にする。
情報収集はもう十分。
次の目標はなまえさんといつも通りの接触。
……いや。いつも以上慎重になるべきなのかもしれない。
私に原因があるとするならば、尚更。
―――
――
あれから数日が過ぎ……とうとう迎えてしまったホワイトデー。
万事屋へ行ったあの日から、何ともタイミングが悪いことに任務が重なってしまい、なまえさんとは会話はおろか、暫くまともに顔を合わせていない。
(彼女と会うのに、これ程までに緊張するとは……らしくないですね)
彼女の家の扉の前で誤魔化すように隊服を軽く整えれば、手に掛けていた紙袋がカサリと音を立てる。
その音に意を決するも、懐から取り出した合い鍵を見て、今更ながら勝手に開けていいのだろうかと悩み込む。
“自分で蒔いた種”
脳裏にちらつくあの言葉に、どうも思考が定まらない。
いくらか悩んだ末…………合い鍵を握りしめた右手でインターホンを押した。
「……は、はぁーい!!」
バタバタと慌ただしい足音がした後、元気な返事と共に勢いよく扉が開かれる。
扉の向こうから現れたのは、会いたくて会いたくて仕方なかったなまえさん。
思わず抱きしめてしまいそうな衝動を押さえ込み、極めて冷静な自分を装って言葉を発した。
「どうも、お久しぶりですなまえさん。お元気そうで何よりです」
「あ、お、お久しぶりですっ……い、異三郎さんも、お元気そうで……」
「えぇ、お蔭様で。早速ですが、中に入れてもらっても?」
「は、はい!ど……どうぞ……」
相変わらずおどおどとした態度のなまえさんに言われるまま、彼女の家へと上がらせてもらう。
ふむ……此処までは以前とあまり変わらぬ様子。あの余所余所しさは、私の勘違いだったのだろうか。
そんなことを考えながら定位置となったソファへと腰掛け、隣に腰掛けるであろうなまえさんの為に少し場所を空ける。
「…………」
「…………」
……空けた、けれど。座らない。
何故……!?
「…………座らないんですか?」
「え?!あ、いや、その……!!」
私の問い掛けに大袈裟なくらいに肩を揺らしたなまえさんに、自然と眉間に力が入る。
この反応……坂田銀時が言ったように、私に落ち度があったということだろうか。
人知れず落ち込む私の様子を、どうやら怒っていると勘違いしたらしい彼女が慌てて隣に座る。
その怯えたような動作のひとつひとつにも気分はますます下降し、心がえぐられるようだった。
「あ、あの……モタモタしてごめんなさい……!私……っ」
「貴女が謝ることなど何もありませんよ。むしろ、謝罪すべきなのは……」
「え……?」
「いえ、何でもありません。……さ、今日はホワイトデーです。私からのお返し、受け取っていただけますか?」
「っ……は、はい!もちろんです……!!」
紙袋を受け取り、嬉しそうに笑みを浮かべたなまえさんに気持ちが少し浮上する。
けれど、一度滲み出た疑心は簡単には消せず……いつもは嬉々として“食べさせてあげる”という行為を行ってきたというのに、今回は手を出すことが出来なかった。
袋から取り出した箱を開け、目を輝かす彼女。
中身はホワイトチョコレートの生チョコ……以前、彼女が食べたそうにしていた物だ。
「うわぁ……おいしそう……!」
「喜んでもらえたようで何よりです」
「はい!あ、ありがとうございます!」
「えぇ、どういたしまして」
「…………」
「…………」
てっきりこのまま食べてもらえるだろうと思っていた生チョコは、蓋を開けた状態のままローテーブルの上に置かれた。
…………何故だ!?
一度ならず二度も私の予想を裏切る行動を取った彼女に動揺が広がる。
あまりの衝撃に、もはや言葉を発することすら出来ない。
そんな…………このままでは、私のやり方では、彼女は離れていってしまうのだろうか……。
「あ……あの…………い、異三郎、さん……」
打ちひしがれる私に、なまえさんが遠慮がちに声を掛ける。
何でしょう……これ以上何かあれば、本当に再起不能になってしまいそうなんですけど……。
「…………何ですか……?」
「あ、えと……あの……」
「……?」
「っ………た、食べさせては、くれないんですか……?」
「…………は?」
突然のことで思考が追い付かず、ぽかんと呆けてしまう。おずおずと私の腕に添えられた華奢な手の温かさに、漸く言葉の意味を捉えた。
「……そういったことを、しても良いんですか……?」
「だ、だって!友情の証……なんですよね?し、してくれなきゃ……嫌、です……」
「っ……」
私を覗き込むようにして見つめる彼女の顔は、それはそれは真っ赤で。
図らずも、自分の顔が酷く熱くなるのを感じた。
「そ、それと……!今日は、まだ……異三郎さんから、一回も触れてもらって……ないです……」
「なまえ、さん……?」
「あ、頭撫でてくれたり……ほっぺ、さすってくれたり……」
「…………」
「ぎ……ギュッて、してくれ…たり……………わっ…!」
たどたどしく言葉を並べるなまえさんのいじらしさに、堪らずその体を強く抱きしめる。
何て……何て愛おしいんだろう……。
耳まで赤く染めて恥じらう姿も、そうして恥じらいながらもしっかりと抱きしめ返してくる素直さも……彼女の全てが愛おしい。
「会えない間も、私にずっとこうして欲しいと……そう思って下さっていたんですか?」
「……は…い……っ」
「…………ありがとうございます」
(なまえさんは私を必要としている……やはり、私の行いに間違いはなかったのだ)
……そうとわかれば、もう遠慮はいらない。
腕の中の温もりを逃がさぬようしっかりと抱きしめ、次の計画に思いをはせる。
「…………異三郎、さん」
「?……どうかしましたか?」
「あの…………ずっと、ずっと親友でいて下さいね。こうやって……友情の証を、二人で確かめながら……ずっと一緒に過ごせるように……」
不安げに揺らぐその声に、思わず笑みが零れた。
「…………えぇ。親友でいましょう」
なまえさんの中に私という存在がしっかりと根付く……その日まで。
「あぁ、そうです……チョコレート、お望み通り食べさせて差し上げますよ。……さぁ、口を開けて下さい」
疑うことを知らない 純真な貴女へ。
ホワイトデーのプレゼントに、ありったけの愛情と底抜けな下心を込めて。
(おいしいですか?)
(はい……すごく、おいしいです…!)
(それは良かった…………ねぇ、なまえさん)
(は、はい……!)
(実は私、明日休みなんです。なので、今日は泊まらせていただきますね)
(は…………え!?あのっ……)
(着替えなどのことはご心配なく。この前来た時にいくつか置いていきましたので)
(え……えぇェェェ…?!)
((い、いつの間に……!?))
((今後はなまえさんの態度がどう変化しようとも関係ありません。追い詰めて追い込んで……“良い方向”しか見えないようにするだけです))