空がうっすらと明るくなり始めたばかりの早朝。堤防上の歩道で、思い切り深呼吸をする。

鼻先をくすぐる秋の香りにホッとしたのも束の間……ジャージに身を包んだ状態の私は、風を切って走り出した。



―――目標はただひとつ。







(ぜ、絶対に……痩せなくちゃ……!)






――――――
――――
――読書の秋、芸術の秋、スポーツの秋、

そして…………食欲の秋。


普段から色々な食べ物を私に食べさせてくれるメル友の彼は、やはり食欲の秋を推奨しているらしく。この季節にも、沢山の食べ物を用意してくれた。

しかし。彼との何気ない会話をきっかけに、この“食欲の秋”がとんでもない事態を招いていたことに気が付いたのだ。



『そういえば。もうすぐハロウィンですね』

『あ、は、はい!こ……今年は、その……私もちゃんと、お菓子用意しますよ……?』

『おや、そうですか。それは嬉しいですねぇ…………お菓子をいただいてもイタズラはしますけど』

『……え!?』

『是非、またあの可愛らしい猫の姿を見せていただきたいです。もちろん、以前差し上げた黒色のワンピース着用で』

『あ、えっと……あのっ……』

『ハロウィン、楽しみですねぇ』

『…………そ、そうですね……』



ハロウィンを非常に楽しみにしているようだった異三郎さん。
親友の期待を裏切る訳にはいかないと、後日大切にしまってあったワンピースを取り出し、予行演習として着てみたのだけれど……鏡に映った自分の姿に違和感を覚えた。

去年と比べて少し窮屈そうな胸元や腰周り。露出した手足も、よくよく見ると以前に比べて何だか―――……




(……あれ?……もしかして、私……)





「ふ、太った……?」





――
――――
――――――ろくに運動もしない私が、食欲の秋を満喫してしまえば太るのは当たり前で。

異三郎さんがくれたワンピースをこんな状態で着る訳にはいかないと、贈り主の彼には内緒で、早朝のランニングダイエットを決意したのだ。



「………はぁっ…………苦し……っ」



……決意したのは良いけれど、運動はそれほど得意ではないのですぐに息が上がってしまう。
かれこれ数週間ランニングを続けているが……走り続けられる距離は一向に伸びないし、息苦しさも変わらずだ。


せめて、誰かと一緒に走れたら……。


一人じゃないのは心強いし、何より楽しく走れるだろう。……その相手が異三郎さんなら尚更。
そんなどうしようもない夢物語を思い描けば、複数人数で走っている人達を羨ましい気持ちから自然と目で追ってしまう。



(あ、今日もいる……!)



中でも、この時間帯だと必ず一緒になる……私の遥か先を走っている黒色ジャージの集団には憧れすら抱いている。

あんなに大人数なのに、誰ひとり遅れをとることなく走り続けることが出来るなんて……きっと何か団体スポーツのチームなのかもしれない。



「っ……ごほ!ごほ!…………うぅ」



不意に咳き込み、彼らから一瞬視線が外れる。再び視線を前へと戻した時、思わず瞬きを何度も繰り返してしまった。



(…………あれ?)



いつもいつも、誰ひとり列を乱すことなく走る黒色ジャージの彼ら。
そんな彼らから一人だけ、集団を離脱してゆっくりと走る人物が現れたのだ。

その人物との距離は徐々に縮まり、あっという間に隣に並んでしまう。



(…………ど、どうしよう?!へ、へ、並走しちゃってる……!)



憧れていた人物のひとりが隣にいる事実から、途端に動悸が激しくなる。
呼吸も乱れ、息苦しさが辛い。

動揺して再び激しく咳込んでいると、隣の彼が遠慮がちに口を開いた。



「あー……鼻で二回息吸って、口から一回吐いてみろ」

「ごほっ……え?」

「呼吸法だ。多分、今より楽になるんじゃねぇか」



突然のことに狼狽えながらも、言われた通り呼吸を繰り返してみる。
すると、不思議なことに息苦しさが軽くなった。

す、すごい…!あんなにも苦しかったのに……やっぱり、何かスポーツをやってる人なんだ…!!



「あっ……あのっ……あ、ありがとうござ……っげほ!ごほっ…!!」

「お、おい、大丈夫かよ?」

「っ……だ、大丈夫で…………げっほ!げっほ!」

「とりあえず止まれ!止まってから喋れ!」



激しい咳込みに涙が溜まり、視界が揺らめく。
言われるがまま立ち止まれば背中を摩られ、さりげない優しさに溜まった涙がほろりと零れた。



「慣れてねぇのに走りながら喋るんじゃねぇよ、窒息するぞ!……………ったく、……ちゃんと息整えろよ」

「は……はい……………っ!?」



涙を拭いながら相手の顔をちらりと盗み見て、呼吸が止まる。

…………ど、瞳孔開いてる。
っ……お、お、怒ってるんだ…!鈍臭い私に、怒ってるんだ……!!

もしかして、私、



……とんでもない人に迷惑掛けちゃってるんじゃ…!?



「お前……本当に大丈夫か」

「えっ!?」

「いや、顔色が悪ぃからよ……」

「えっ……あ、だ、大丈夫です!!あ、あ、あ、あの、それでは!私はこれで……」

「待て。そんな状態で走って倒れたら大変だろうが。少し休んだほうが良い」

「いや、あの、私……っ」

「あのベンチにでも座るか……おら、行くぞ」



これ以上、この人の手を煩わす訳にはいかない。

そう思い立って踵を返そうとしたのだが……私の腕をガシリと掴んだ彼に、いとも容易く進行方向を変えられてしまった。
その上、支えるようにそっと肩を抱かれてしまい、体中が沸騰してしまったかのように熱くなる。



(い、い、異三郎さん以外と、こんな……!)



見知らぬ男性とのスキンシップに、近い距離感。

慣れない出来事からのぼせたように頭がクラクラして、視界が白く霞んでいく。



「……おい、どうした」

「っ…………」





――――あ。ダメだ。





「…………気持ち……悪い……っ」





ぐらりと揺らいだ体を支えてくれたのは、親友の彼ではないのに。

頭に浮かんだのは、異三郎さんの酷く心配そうな顔だった。







――――
――







「っ……バカかお前は!ダイエットだか何だか知らねぇが、朝食も食わずに走るなんざ貧血起こすに決まってんだろーが!!」

「ひっ…!?…す、すみませ……っ」

「いいか?体を動かすにはエネルギーが必要なんだ。それを摂取するには、まず朝食をだな―――……」



気分が悪くなり、倒れ込んでしまいそうになった私にベンチまで肩を貸してくれた強面の彼は、私が回復するまでずっと付き添ってくれた。

わざわざ買ってきてくれたミネラルウォーターを有り難くいただき、漸く落ち着いてきたところで今度はお説教が始まり……あまりの怖さに正直泣きそうだ。



「大体、何でダイエットなんかしてんだよ。見た感じそんな必要もないだろ」

「えっ………あ、そ、その………」



……怖いけど、言動の端々に優しさが垣間見えるこの人は、何だか坂田さんと似ている。

そう思うと自然と肩の力が抜け、私の口から今までの経緯がするすると零れ出した。









「………何つーか、女は大変だな。洋服ひとつでこんな……」

「で、でもっ……も、元はといえば、運動しなかった私が……悪いし……」

「…………」

「せ、せっかく、プレゼントして貰った洋服……着れなくなるの、嫌なんです……っ」



親友の彼がプレゼントしてくれた大切なワンピース。私にとってそれは、唯一無二の代物なのだ。

着れなくなってしまうなんてことには、絶対にしたくない。



「……まぁ、そこまで目標がしっかりしてるなら、これからも頑張れば良いんじゃねぇか」

「は、はい……!頑張ります……!!」

「時間が合えば一緒に走るのも悪くねぇかもな」

「!!……い、良いんですか?!」

「良いも何も、誰かと一緒に走った方が効率が上がるだろ。お前ひとりだと、ちょっと走っては咳き込んでの繰り返しで全然進まねぇしよ」

「っ……う。で、でも、仲間の方と走らなくて良いんですか?その……団体スポーツは、ち、チームワークが大切なんじゃ……」

「あ?……何か勘違いしてるみてぇだが、俺達は団体スポーツのチームなんかじゃ……」

「そうですよ、なまえさん。彼らはスポーツを愛する爽やかな人間の集まりとは程遠い……もっと野蛮で、むさ苦しい、獣のような男達の集団です」



ベンチに座って話す私達の背後から、聞き慣れた低い声が響く。


あぁ、あぁ、

どうして私は こんなにもタイミングが悪いのだろうか。


錆び付いたぜんまい仕掛けの玩具のように、ゆっくりと……恐る恐る振り向けば―――



「おはようございますなまえさん。朝早くから楽しそうな様子で何よりです。

ここ最近、貴女の様子がおかしいことには気付いていましたが……まさか私に内緒でランニングダイエットをされてるとは」



案の定、無表情の中に微かな怒りの感情を滲ませた…………親友の彼が立っていた。



(は、話まで聞かれてたなんてっ…………んん?)



今日の異三郎さん、どうして真っ白なジャージ姿なんだろう。

いつもとは異なる出で立ちの親友を凝視していると、隣にいた強面の彼が物凄い剣幕で話し始め、思わず肩がビクリと跳ね上がる。

……二人は知り合いだったようだ。それも、あまり宜しくない関係の。



「誰かと思えば……見廻組局長、佐々木殿じゃないですか。その格好……こんな朝早くから走り込みですか?」

「えぇ、そんなところです。土方さんも見たところ走り込みの途中のようですね……どうやら、今度のスポーツ大会の狙う所は同じのようで。まぁ、走り込みをしたところで私達には到底及ばないでしょうが……無駄な努力を重ねるのは自由ですからね」

「はっ……無駄な努力はどっちだか。まさか優秀なエリート様が走り込みとは……案外、運動は苦手なんじゃねぇのか?無理せず棄権したらどうだ」

「私は自分の為に走っているのではありませんよ。部下の士気を上げる為一緒に走っているんです。私、運動面においてもエリートですから。

……それよりも、私が気に掛けているのは貴方の隣にいる彼女のことです」

「あぁ?…………お前、佐々木とどういう関係なんだよ」

「あ、わ、私はっ………へ!?」



訝しげに私を見つめる強面の彼に問われ、慌てて答えようとしたのだが……。

異三郎さんが体を屈め、ベンチの背もたれ越しから私を片腕で抱き寄せたことに驚いてしまい、言葉が引っ込んでしまった。



「彼女とはこうした触れ合いをしょっちゅう交わすような仲です。よって、貴方が彼女のランニングに付き合う必要はありません。後は私が付き添いますので……帰ってもらって結構ですよ」


ねぇ、なまえさん?

先程よりもうんと低い声で……それも耳元で囁くように同意を求められ、反射的に何度も頷いてしまう。

っ……いけない、また異三郎さんのペースに流されて……!



「……おい、怯えてるじゃねぇか!脅してまで頷かせるたぁ、相変わらず卑劣なやり方しやがって……すぐにその手を離しやがれ!!」

「えっ、あ、あの……」

「勘違いしないで下さい。なまえさんのこの、そこはかとなく感じられるドM臭は元からの才能であり、私が開花させたものですから問題ありません」

「どっ…!?えぇ……?!」

「本人は不本意な表情してるのが見えねぇのか!おい、こんな奴の言いなりになる必要はねぇ、行くぞ!!」

「あ、あ、あのっ……ま、待って下さっ…………うぐっ!!」

「なまえさん。貴女は私と一緒に走りたいですよね?私達の事情を知らないバカガキの言葉なんて気にすることはありませんよ」



黒色の彼に腕を引かれベンチから立ち上がるよう促される。そこへすかさず白色の彼が抱き寄せる力を強め、ベンチに座らせたままにしようとする。

両者の強すぎる力に意識が遠退きそうになるのをなんとか耐え、私は思いの丈を言葉にして吐き出した。



「わ、私…………私っ…!!」







――――
――





ランニングを始めて幾日目かの早朝。
ジャージに身を包んだ状態の私は、今日も今日とて風を切って走り出す。



…………右に白色ジャージ、左に黒色ジャージの男性に挟まれる形で。





「はっ……はっ…………あ、あのっ」

「何だよ」

「どうかしましたか?」

「……本当にっ………良かったん、ですかっ……?」




―――後から聞いた話でわかったのだが、黒色ジャージの集団は警察組織の真選組で……一緒に走ってくれたのは彼の有名な鬼の副長、土方十四郎さんだったのだ!

何でも、今度警察官同士の訓練を兼ねたスポーツ大会があるらしく。走り込みはそれに向けての特訓だそうだ。

見廻組である異三郎さんもそれに参加する為、早朝に走り込みを行っていたようで……あの時、彼が私の元へと現れたのは、その途中で偶然私を見掛けたから。


そんな二人が私と一緒に走ってくれているのは……あの日の私の発言が原因だ。




『わ、私…………私っ…!!』



『お二人と……い、一緒に走りたいっ……です!!』




何て図々しいことを言ってしまったのだろうと、すぐに後悔したのだけれど……二人から返って来た答えは意外にも“OK”。

……こうして、アンバランスな三人での早朝ランニングがスタートした。



「別に構やしねぇよ。それよか、お前……本当に脅されたりしてねぇのか?」

「さっ……されてなっ……げほっ!げほっ!」

「土方さん、いい加減にして下さい。貴方のせいでなまえさんが咳き込んでしまったじゃないですか。……なまえさん、この男の言葉に耳を傾ける必要はありませんよ。私達の仲に嫉妬しているだけですから」

「っ……誰が嫉妬なんてするかァァ!適当なことばっかり言いやがって、大会の前にぶっ潰すぞまじで!!」

「お、お二人共っ……やめっ……ごっほ!げっほ!!」

「良いでしょう、ならばランニングのタイムでも競いましょうか。この堤防をいち早く一周出来た方が勝ちとします。

……なまえさん。申し訳ありませんが、ほんの少しの間こちらで待っていてくれませんか。土方さんが喧しいので、彼と一勝負して、けちょんけちょんに打ち負かしてから戻って来ますので」

「っ……あの……」

「上等だコラ、返り討ちにしてやらァァァ!!……おい、なまえ!お前スターター役やれ!」

「えぇぇ!?で、でも……っ」

「私からもお願いします」

「う、あ、えっと……………うぅ……じゃ、じゃあ……位置について……………よ、よぉーい………どんっ!」



突然の振りに戸惑いながらも、スタート合図の掛け声を張り上げる。
同時に、物凄いスピードでスタートした二人を呆気に取られながらも見送れば……どうしたことか、異三郎さんがくるりと向きを変えこちらに戻って来た。



「あ、あれ?い、行かないんですか……?」

「行きますよ。その前に……貴女にお伝えしなくてはと思いまして」

「わ、私?」



何だろうと首を傾げれば、彼は目の前で片膝をつき……まるで王子様のような身のこなしで私の手をとった。

優しく握られた手が熱くなる。



「今回の件、私の配慮不足をお許し下さい。美味しそうに食べ物を頬張る貴女が可愛くて……つい、色々と買ってしまうのです」

「や、あの……そ、そ、そんな、気にすることは……!」

「ただ、ひとつだけ心に留めておいて下さい。

今の貴女にダイエットは必要ありませんし…………例え、なまえさんの姿が変わることがあろうとも、貴女を想う私の気持ちは変わりません。今も、これからも……ずっと」

「…………え?」

「それでは、いってきます」



“いってきます”の言葉と同時に落とされた手の甲への口づけは、私の腰を抜かせるには十分過ぎるほどの出来事で……、

彼が走り去ってしまっても尚、私は座り込んだ状態から暫く動けずにいた。


……それに、



(ドキドキ、止まらないし……指先、痺れて……震える……っ)



初めて起こった不可思議な症状……これは一体何なのか、異三郎さんなら知っているかもしれない。



「も、戻って来たら、聞いてみようかな……」



今までとはどこか違う、激しい胸の高鳴りに戸惑いながらも……私は異三郎さんが戻るのをひたすら待ち望んだ。

彼の温度が残る手を、もう片方の手の平でギュッと包み込みながら。







(っ……佐々木、てめぇ……っ……んで、もう、追い付いてんだよ……くそっ!!)
(はっ……愛の、力……ですよ……っ)
(あ゙ぁ゙!?……くっ……意味、わかんねぇ……っ)
(っ……早く、戻らないと……っ……なまえさんが、悩ましく……過ごしているでしょうから、ねっ…!)
(てめっ……アイツに、何かしやがったな……おい、待ちやがれコラ……!……っ…ごほ!……げほ!)
(私に勝ちたければ……禁煙を、オススメしますよ……っ)
(っ……うるせ…!げっほ!!げっほ!!)





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