うだるような暑さに耐え切れず、家へ帰るなりフラフラとソファへ倒れ込む。

年々暑さが増していく……この夏という季節を、私はどうにも好きにはなれなかった。



「あ、暑い……エアコン……冷房……っ」



俯せの状態のままローテーブルへと手を伸ばし、エアコンのリモコンを手に取ると直ぐさま電源を入れる。

これでもう大丈夫。しばらくしたら部屋中が涼しくなって、体も冷えて滴る汗だってひいていくはずだ。



「……………冷たい風……気持ちいい……でも、まだ暑いなぁ……」



ひいていくはず、なのに。



「っ……やっぱり暑い……何か、立ってないのに、フラフラ……す、る……」



いつまでたっても汗がひかない。

ぐるぐる、ぐるぐる、
目が回る感覚に気持ちが悪くなる。

あぁ、そういえば今日は……メル友の彼が家に来る予定なのに。こんな状態じゃあ何のおもてなしも出来やしない。


沸き立った体の熱を追い出すように、何度も浅い呼吸を繰り返す。
そのうち目までもがぼやけ始め、倦怠感に負けてしまった私の瞳はとうとう瞼をおろし……、


おぼろげな意識を連れて その視界を遮った。





―――――
―――





ひんやりとした感触が額から伝わり、ゆるゆると意識を手繰り寄せる。
あぁ、冷たくて気持ちが良いなぁなんて頭の片隅で考えていると、首もとに額のものとはまた違った心地好い冷たさを感じ、ゆっくりと目を開けた。



「……目が覚めましたか」

「あ、れ……異三郎…さん……」

「まったく……また施錠がされていませんでしたよ。熱を出してしまったことは不可抗力かもしれませんが、戸締まりはしっかりしていただかないと……私の心臓がもちません」

「す、すみませんでした…………って、あれ?ね、熱……?」



目を開けた先には、少し怒りつつも心配そうな表情の異三郎さんがいた。
開口早々にお説教を始めた彼にぽかんと呆けてしまったが、彼が並べた言葉の中に“熱”という単語を聞き取り、思わず疑問符を投げ掛けた。


熱?……熱って、風邪をひいた時に出る、あの熱?
私は風邪なんてひいていないし……もしかして、外の暑さがまだ体に残っていたとか?
あれ?そういえば私はいつの間にベッドへ移動したんだろう。


状況をいまいち理解していない私に気付いた異三郎さんが、手に持っていた体温計を私の目の前に差し出した。



「38度8分……なまえさん、貴女は発熱で倒れたのです」

「はつ……ねつ……」

「熱中症かとも思ったのですが、数日前からくしゃみを繰り返していたのを思い出しまして。恐らく冷房の温度の下げ過ぎで、軽かった風邪の症状を悪化させてしまったんでしょう」

「そ……だったんですか………」



確かに、ここ数日間はエアコンの温度をけっこうな低さに設定していた。
それもこれも暑い夏を乗り切る為の手段として考えていたのだけれど……。


(ま、まさか……風邪をひいちゃうなんて……!)


自分の堕落さが浮き彫りになってしまったように思えて、恥ずかしさが込み上げる。
あまりの羞恥に片手で目元を隠せば、指先で触れた額に何か貼ってあることに気が付いた。

これは…………、



「冷えペタ……あ、あの……もしかして、わざわざ買って……?」

「えぇ。随分と苦しそうでしたので、僭越ながら色々と用意させていただきました」

「っ……」



家に来て、私の状態を見て、それから買いに行ってくれたんだ。この暑い中を。

気付いてしまった異三郎さんの優しさに、胸がキュウッと締め付けられる。
温かい気持ちはやがて喉奥に染み込み、つんとした刺激が鼻を通ると同時に、ぶわりと涙が溢れ出た。



「ぁ……ありがと……ございま…す……っ」



……なんて、なんて幸せなんだろう。
こんなにも優しくされて、バチが当たったりしないだろうか。

目元を擦りながらぐずりと鼻をすすれば、頬を伝っていた涙を異三郎さんが優しく拭ってくれた。



「以前私が風邪をひいた際、なまえさんも色々と買って来てくれましたね」

「あ、は、はい……」

「なまえさんが私の為に尽くして下さったあの日……私は、この上無いほど幸せな気持ちになりました」

「えっ…あ、えっと……っ」



まさか、異三郎さんも同じように幸せを感じてくれていたなんて。
彼からの思いもよらぬカミングアウトに、図らずも頬に熱が帯びていく。

真っ赤になっているであろう私の頬を異三郎さんはひと撫ですると、ゆっくりと目を細めた。



「そして今日、体調を崩した貴女を見て思いました……今度は私が、あの日のお返しをする番なのだと」

「え?!いや、そんな……」

「遠慮は要りません。今日は親友である私が、貴女をしっかりと看病して差し上げますよ。まずは手始めに、添い寝から致しましょうか」

「……え」



異三郎さんの言葉に思わず固まる。
今、私の聞き間違いじゃなければ、“添い寝”という単語が聞こえた。


そ、添い寝……なんて、そんな……っ





「……なんて、冗だ……「しっ……して、下さい……!」………は?」

「添い寝……して、下さい……」



熱のせいかわからないけれど……何だか心細くて、不安で。

いつもなら恥ずかしくてどうにかなってしまいそうな異三郎さんからの申し出も、今日の私は素直に手を伸ばすことが出来るようだ。







――――
―――







「…………失礼します」



そう言って上着を脱ぎ、モノクルを外して掛け布団をめくれば、遠慮がちに……けれど嬉しそうに手を伸ばしてくるなまえさん。

いつになく素直な反応に、内心戸惑いながらもその手を掴んでベッドへと横になれば、細い腕が腰に巻き付き距離が縮まる。

……こんなにも積極的な彼女を、今まで見たことあるだろうか。


いや、それよりも…………



(これはいささか、積極的過ぎるのではないか……?!)



詰めた距離を更に縮め、私の胸元へと頬を寄せるなまえさんの表情は、とろけるような笑顔で。
そのあまりにも可愛らしい様に、不覚にもどぎまぎしてしまう。

何故、エリートである私がこんなにも悩ましく過ごしているのか。私はただ、真っ赤になって狼狽える彼女をからかいたかっただけだというのに……!



「……なまえさん、あの、少しくっ付き過ぎではありませんか?」

「え?で、でも……異三郎さんも、このくらいくっ付いてましたよ?

あっ……も、もしかして……嫌、ですか……?」

「っ…………」



こちらを見上げる彼女の瞳がうるりと揺れる。


…………可愛い。非常に可愛い。


熱で赤くなった頬も、震える睫毛も、ギュッと抱き着いて離れない小さな体も、全てにおいて可愛すぎる。

この際、彼女が熱に浮かされているのを利用して手を出してしまおうか。



「あ、あの……異三郎…さん……?」

「………………………嫌ではありませんよ。どうぞ安心して休んで下さい」

「は、はいっ……ありがとう…ございます……!」

「…………」



………………無理だ。

こんなにも真っ白で眩しい笑顔を見せ付けられて、果てしなく真っ黒で欲望にまみれた行為など出来る訳が無い。

それに……何より……、



「具合が悪い時……こうやって誰かが傍にいると、すごく安心するんですね……」

「えぇ、そうですね」

「その相手が……し、親友の異三郎さんだから……こんなに幸せに感じるのかな……な、なんて……」



この笑顔を、築き上げた信頼を、壊すことなんて絶対にしたくない。



「……そう言っていただけて光栄です。貴女を幸せにすることが出来るのならば、いくらでもこうして傍にいましょう」



今日は、いつものようにからかうのはやめておこう。
こんなにも素直に……純粋に手を伸ばしてくれる彼女へ、私も素直な愛情で返すことにしよう。

そう思い立って自然と口づけを落とした彼女の頭の頂きは、いつもよりずっと体温が高く熱いくらいだというのに……何故か、とても心地好く感じた。



「あ………」

「さぁ、もう寝てしまいなさい」

「は、はい……」














「………………………あ、あれ!?い、い、い、い、今……き、キスっ……キスし…て……?!」

「おや」



今日のなまえさんはいつもと違いとても積極的である……けれど。

口づけに驚き、目を回して気を失うところは、床に伏せっている時も変わらないようだ。



そんなところも、酷く愛おしい。
やはりなまえさんはこうでなくては。







(高熱でぼんやりしていても、口づけはアウトでしたか……目が覚めたら林檎でも剥いてあげましょうかね)


((それにしても……))


((今までに無いほど素直で積極的ななまえさん……臆せずもっと堪能するべきでしたね。惜しいことをしました))




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