(も、もらえるのかな……)
今日は3月14日 ホワイトデー。
男性が女性にバレンタインのお返しを贈る日。
買い物に出掛けたなまえは、町中の至る所に飾られた“ホワイトデー”の文字にそわそわと落ち着きを無くした。
先月のバレンタインデーには、お世話になっているメル友へ勇気を振り絞って感謝チョコを送り……いろいろとあったが結果的にはとても喜んでもらえ、非常に幸せに過ごせた。
その時は、ただただ彼に喜んでもらえたことに胸が一杯だったのだが…………
「私、バレンタインのお返しに、彼から可愛いキャンディもらっちゃったー!」
「聞いて聞いて!私は手作りのクッキーもらったの!」
すれ違う女の子達の幸せそうな会話に、“自分も彼からお返しをもらえたら……”と淡い期待を抱いてしまったのだ。
おこがましいことだと、自分でも思う。
でも……彼からのお返しを少しでも望んでしまった以上、この想いを消してしまうことは到底出来そうにない。
(みんな嬉しそう………私も、異三郎さんからお返しをもらえたら……)
想像するだけで高鳴ってしまう自分の胸を、着物の上からギュッと押さえる。
今日は5時頃会いに行くと彼からメールが来ていたのを思い出し、ふにゃりと口元を緩めた時だった。
ふと、何気なく目を向けたドーナツ屋から出て来た男女に、なまえの体は金縛りにあったかのように固まった。
出て来たのはメル友の彼と……綺麗な顔立ちの赤目の女性。白色の制服に身を包んでいるということは、恐らく彼女も彼と同じく見廻組の一員なのだろう。
しかし、何故だろうか……
二人の親しげな距離感に、
醸し出す特別な空気に、
胸の奥がチクリと痛んだ。
(……あれ?何で胸が痛いんだろう……へ、変な病気だったらどうしよう…?!)
先程とは違う意味で高鳴る鼓動を紛らわすように、爪が食い込むほど掌を強く握り締める。
どうか二人が早く立ち去りますようにという願いも虚しく、視線の先の二人は一層密着し……次の瞬間には異三郎さんが取り出したドーナツを女性がパクリと口にした。しかも、彼の手諸共。
……あんな食べさせ方初めて見た。あんなの、親友よりも親しい間柄じゃないと出来ないんじゃないだろうか。
(違う……それよりも………)
――――私、だけじゃなかったんだ。
異三郎さんは何かと世話を焼き、私に食べ物を食べさせたがる。親友同士なのだからと、それはもうありとあらゆる食べ物全てを。
……でもそれは、私だけが特別にしてもらっていることじゃなかった。
先程の雰囲気から、あの綺麗な女性もまた彼に世話を焼かれているのだろう。私と同じように……いや、きっと、恐らく、私以上に。
ぐらぐらと揺れる視界に耐え切れず踵を返す。
……わかっていたことじゃないか。
彼は、私と違って広い広い世界の持ち主。
私なんかがいなくても
彼の世界は回っていくんだ。
――――
―――
あの後……どうやって帰ったのか記憶が無い。でも、今こうしてソファに力無く倒れ込んでいるということは、きちんと自分の足でこの家に帰って来たのだろう。
時刻は約束をした時間の5分前。
メル友の彼が、もうすぐ来る。
(………会いたくない。会ったとしても、どんな風に接すれば良いのかわかんないよ……)
未だ増え続ける得体の知れない胸のモヤモヤに、どうすれば良いかわからず瞼を閉じる。
……そうだ、このまま寝てしまおう。そうすれば彼が来ても会わなくて済む。
何て名案なんだと無理矢理口元に笑みを作ってみたが、ズキズキと痛み出した胸に直ぐ様表情が歪んでしまう。
きっと今、自分は物凄く酷い顔をしている筈だ。
ドロドロとした黒い感情に侵蝕されてしまったであろう醜い自分の顔を、誰にも見られたくなくて両手で覆う。
それとほぼ同時に鳴り響いたインターホンの音に、ビクリと全身が震えた。
(い、異三郎さんだ……っ)
目をギュッと閉じ、ソファに寝転んだまま体を縮こまらせて息を潜める。
間を開けて鳴り響くインターホンに耳を塞ぎ、ひたすら彼がいなくなるのを待った。
―――暫くして、インターホンの音がぴたりと止む。
やっと諦めてくれたのだと大きく息を吐き出すが……ガチャリと扉の開く音が聞こえ、咄嗟に短く息を吸い込んだ。
し、しまった……鍵かけ忘れてた……!!
徐々に近付く静かな足音。
ゆっくりと起き上がり、ソファ越しから恐る恐る扉の方を覗き見れば……少し怒った様子の異三郎さんとばっちり目があってしまった。
「鍵もかけずに居眠りですか?………無用心ですよ」
「あ……ご、ごめんなさい………」
「まったく……まぁ、小言を言うのはやめておきましょうか。今日はせっかくのホワイトデーですからね」
「っ………」
“ホワイトデー”
彼の口から飛び出した単語に、ぐっと息が詰まる。あの光景を見る前だったら、きっと嬉しくて嬉しくて……飛び跳ねてしまいそうなくらい喜んでいただろう。
でも……今の私には、喜ぶ気力が無い。
「なまえさん、知っていますか?ホワイトデーには親友から贈られたお菓子を食べさせてもらうのが流行りなんです。
マシュマロにクッキー……チョコレートも用意しました。さぁ、どれが食べたいですか?私が食べさせて……「………………親、友…って………」
「…………はい?」
「親友って……私だけですか…?異三郎さんがお菓子を食べさせてあげる人は…………私、一人だけですか……?」
彼が連ねるホワイトデーの流行り事に、思わず口を挟む。
私は親友。だからこうして、異三郎さんは私にお菓子を食べさせてくれようとしている。
……それなら、あの人は?
ドーナツを食べさせてあげていた、あの綺麗な女性は―――……?
「…………何を言い出したかと思えば……そんなこと当たり前でしょう。………私の親友は、貴女一人だけですよ」
微笑みながら隣に腰掛ける異三郎さんに、そっと頬を撫でられる。
その優しい手つきにホッとしたのも束の間……彼の手にくっきりと残る歯形を見付けた瞬間、私の頭の中は一瞬で真っ白になった。
…………嘘つき。嘘つき。嘘つき…!
「……嘘………っ」
「なまえさん……?」
「い、異三郎さんの嘘つき…!!」
「っ…!?」
頬に触れていた彼の手を強く払い除ける。驚いた表情の異三郎さんに、お腹の底から迫り上がってきた知らない感情がふつふつと煮え返り……堪らずかざした握り拳を、彼の胸へと力一杯振り下ろした。
「嘘つきっ……嘘つき…!!」
「っ……嘘なんてそんな……」
「わ……私以外にも、お菓子食べさせてあげる子が………い、い、いる癖に…!嘘つき…!!」
「落ち着いて下さい!私は嘘などついていません…!!」
大きな声に、涙が零れた。
思わず力が緩み、何度も彼の胸元を叩いていた手も安易に掴まれてしまった。そのまま強い力で引き寄せられ、真正面から抱きすくめられる。
泣きじゃくる私を落ち着かせるように“大丈夫ですよ”と囁きながら背中を摩る異三郎さんに、私の涙はますます溢れ出した。
「私には貴女しかいません。この言葉に嘘偽りは一切ないと断言しましょう」
「っ……で、も…………」
「なまえさん、貴女を不安にさせてしまうようなことがあったのなら、話していただけませんか…?」
抱きしめる力を強めた異三郎さんに胸がキュウッと狭くなる。
絶えず私の背中を優しく摩り続ける彼に、昼間見た出来事をぽつりぽつりと説明した。
「――――――それで、その、なんだか胸が痛くて……モヤモヤして………」
「…………」
「あ、あの女性は……本当に、お友達じゃないんですか……?」
「…………」
「……?異三郎さん?あの………わぁっ」
質問を投げ掛けても沈黙が続き、不安になって彼の顔を見上げようとしたところ、物凄い勢いで頭を押さえ付けられた。
お陰で異三郎さんの胸板に思い切り鼻をぶつけた………い、痛い…。
「………なまえさん」
「は、はい……っ」
「貴女は、ご自分が今何をおっしゃったのか理解していますか?」
「えっと……ど、どういう意味ですか……?」
「………無自覚とはまた…。とりあえず、誤解は解いておきましょうか。
貴女が見た女性は見廻組副長、今井信女……私の部下です。それ以上でもそれ以下でもありません」
「じゃ、じゃあ……ドーナツは……」
「すぐに食べると言ったので渡そうとしたところ手ごと食らい付かれました。あの子はドーナツのこととなると見境が無くなるんです……」
異三郎さんの言葉に全身の力が抜けていく。良かった……食べさせてた訳じゃない。嘘、ついてなかったんだ……。
…………いや、良くない!
勝手に誤解した挙げ句、私は……私は……!!
「い、い、異三郎さん!叩いたりしてごめんなさい…!
わ、私……こんなぐちゃぐちゃな気持ちになったの初めてで………どうしたら良いか、わ……わからなくて………本当に、ごめんなさい……!!」
彼の背中へと腕を回し、思い切り抱き着く。
自分からこんなことするなんて、心臓が爆発しそうなくらい恥ずかしかったけど……こうする以外に、この想いを伝える術が見付からなかったのだ。
そんな私の突然の行動にビックリしたのか、異三郎さんの体が硬直し私に触れていた両手が離れた。
「…あ……の……「……なまえさん」は、はぃぃ…!」
「貴女を悩ませた感情について、私が教えて差し上げましょう。
………それは“ヤキモチ”ですよ」
「………やき、もち……?」
「えぇ。特定の人物において沸き起こる、相手を独占したいという感情……貴女は嫉妬したんです。私の部下である信女さんに」
再び背に回された温かい手に、心臓が一際大きく音を立てた。
……嫉妬?私が、あの女性に?異三郎さんを取られたくないと、彼を独り占めしてしまいたいと……し、嫉妬…!?
「え……えぇぇえぇ…!?し、嫉妬なんて……わ、わ、私っ……そんな図々しくっ……ごめ、ごめんなさ……!!」
異三郎さんの言葉に酷く動揺した私は、慌てて彼から離れようとしたのだが……私を抱き込んでいる逞しい腕はびくともしない。……どうやら離すつもりは毛頭無いようだ。
「い、い、い、異三郎さん…!あのっ……」
「ヤキモチ……嬉しかったです」
「え……?」
「貴女が私のことで一喜一憂する様は、見ていてとてもいじらしく……とても愛おしい」
「っ……?!」
溜め息混じりに囁かれた言葉に頭がカッと熱くなる。
い、い、愛おしいなんて……は、初めて言われた…!!
体験したことのない甘い甘い囁き……その、あまりの衝撃に目が回りそうになる。
「あ……い、い、異三郎さん……私……っ」
「……また、いつでも嫉妬して下さい。私も貴女にヤキモチを妬いてもらえるよう、いろいろと頑張りますので」
「………え…」
聞き捨てならない台詞におぼろげだった思考がはっきりする。思わず見上げた彼の顔は、それはそれは意地の悪い笑顔で。
「あ……あんな苦しい想い……もう懲り懲りです……!」
必死に叫んだ私の想いは、珍しく声をあげて笑ったメル友の彼に届いたのか……届いていないのか。
……………どちらにせよ、
二人で過ごす今が幸せなら、それだけで―――
―――今日は3月14日。私が“ヤキモチ”という感情を初めて知り、泣いたり怒ったり……相手を想う心に振り回された日。
そして……大切な親友から素敵なお返しをもらった初めてのホワイトデー。
来年はヤキモチなんか妬かずに、平和に過ごせたら嬉しいなぁ……。
((それよりも…………異三郎さん、いつまでギュッてしてるつもりなんだろう…っ))
((……あぁ、なまえさん……ヤキモチなんて可愛過ぎます。暫くの間こうでもしていないと、いろいろと耐えられそうにないです……))