人見知りの私に初めて友達ができました。
彼の名前は佐々木異三郎さん……元々はメル友だった方です。
異三郎さんに友人関係のノウハウを教えてもらうようになって早ひと月。
時にはランチを食べに行き、時には私の家で映画鑑賞をしたり……彼とはあれから頻繁に会うようになりました。
そして今日、珍しく彼は事前連絡も無しに突然私の部屋を訪れた。
「なまえさん、どうもこんにちは。突然訪ねたりしてすみません」
「あ……い、異三郎さん……こ、こんにちは…!す、すいません…今日ちょっと、散らかってて……」
「貴女の“散らかってる”は全く差し支えない程度なので大丈夫です。お邪魔してもよろしいですか?」
「は、はい…!どうぞ……」
もう何度も此処を訪れている彼は、慣れた様子で部屋へと上がり込む。
彼の定位置となりつつあるリビングのソファへ腰を下ろすと、まるで家主のように私に手招きをして隣に座るよう促す。
…いつだって堂々としている異三郎さんと違って、私は彼が来る度脈が速くなり…煩く鳴り出す心音に押し潰されてしまいそうになる。
「あう…し、失礼します……」
「どうぞ」
特に、こうやってピッタリと密着するように二人で座る時は、本当に卒倒してしまうんじゃないかと思うくらい心臓が飛び跳ねる。
そんな私の様子に気付かない彼は、追い討ちをかけるように毎回私の腰を抱き寄せ…とんでもなく近い距離で話し始めるのだ。
「さて、なまえさん。今日が何の日かご存知ですか?」
「へ!?…あ、き、今日…ですか?えっと………」
「これを言えばわかりますか?……トリック・オア・トリート」
「あっ…!は、ハロウィン…!!」
勢いよく答えれば、正解ですと微笑んだ彼に頭を撫でられドキリと心臓が揺れる。
あ……もしかしなくとも、彼は私とハロウィンを過ごす為に来てくれたんじゃ…!
頭を過ぎった夢のような話に思わず胸が熱くなる……が、しかし。
自分は今、人に渡せるようなお菓子を持ち合わせていないことに気付き、なまえの瞳から一瞬で喜びの色が消えた。
「ごめ……なさい……私、お菓子、用意してなくて……」
「おや、そうでしたか。では、私が用意したお菓子を一緒に食べましょう」
「え…?い、異三郎さん……お菓子、わざわざ用意してきてくれたんですか…?」
「えぇ、大切な友人である貴女とハロウィンを過ごしたくて」
「大切な…友人……っ」
異三郎の一言になまえの瞳がみるみるうちに潤みだし、数秒経たずして大粒の涙がホロリと落ちる。
それを見た異三郎はなまえの涙を指先で優しく拭うと、懐から可愛らしくラッピングされた包みを取り出した。
中身はクッキーのようで、そこから摘まみ取った一枚をなまえの口元に近付ける。
ふわりと、バターの香りがなまえの鼻先をくすぐった。
「楽しいイベント事に涙は禁物ですよ。さぁ、これを食べて可愛らしい姿を見せて下さい」
「あ…えと……あ、ありがとう…ございます…」
言われるがまま口元に寄せられたクッキーを遠慮がちに小さくかじる。……同時に、口一杯に広がる甘い香りに自然と笑顔が零れた。
何て美味しいクッキーなんだろう…!
なまえは続けて一口…もう一口とクッキーを頬張り、あっという間にその一枚を平らげた。
「美味しかったですか?」
「は、はい!とっても美味しかったです……にゃ!………うにゃ!?」
「おや」
何故か自然と語尾に付いてしまった猫の鳴き真似のような言葉に驚き、目を真ん丸にして異三郎を見る。
彼も大層驚いているだろうと思いきや、その顔はどこか満足げで…恍惚とも言えるものに変化していた。
「これはこれは、本当に可愛らしい」
「な……何で、こんな…猫みたいにゃ…!?」
「変化したのは言葉だけではありませんよ……ほら、どうぞ鏡を見て下さい」
異三郎に手を引かれ部屋の隅に置いてある姿見の前に立ったなまえは、更に吃驚した。
……鏡に映った自分の頭に、真っ黒でふわふわとした猫耳が生えていたのだ。
それは紛れも無く本物で……触れれば温かく、擦るように撫でればくすぐったくも心地良い感覚が体を走り、猫耳も連動してピクリと動いた。
「ど、どうして……異三郎さん…わ、私、猫になっちゃうのにゃ……?!」
「一時的なことですから、心配いりませんよ。なまえさんに差し上げたクッキーは、ハロウィン用の悪戯グッズですから」
「う…にゃ……?悪戯、グッズ……?」
「えぇ、“食べれば猫のような姿に早変わり”…天人が地球に持ち込んだバラエティーグッズのひとつです。貴女がお菓子をくれなかったので、こちらを使って悪戯させていただきました」
「そ、そんにゃあ……」
「トリック・オア・トリート。この言葉通り、これがハロウィンの決まりですから。
ついでにこの洋服を着ていただきたいのですが……よもや、友人のお願いを断るはずありませんよね?」
そんな、そんな風に言われたら……!
寂しそうな表情で首を傾げる異三郎さん。
彼が差し出してきた紙袋を、私は受け取る以外の選択肢を見付けることが出来なかった。
――――
―――
受け取った紙袋に入っていたのは、黒色のフリルたっぷりのワンピースだった。付属のパニエも手伝ってメルヘンチックで可愛らしいデザインだ。
なまえは大切な友人の願いを聞き入れるべく、恥ずかしさを押し殺し脱衣所で着替えたのだが……どうも下腹部がスースーとして落ち着かない。
と、いうより。先程からずっと尾てい骨辺りに違和感がある。
(何だろう……むず痒いような変な感じが……)
脱衣所の鏡で後ろを確認しようと振り返り……
思わず言葉を失った。
スカートから裾をたくし上げるように伸びる真っ黒でふわふわなそれは、見紛うことなく猫の尻尾で。焦る心とは裏腹にゆらりゆらりと気ままに揺れている。
ほ、本当に元に戻れるのだろうか…!?
もしもこのまま猫になってしまったら?!
「いっ、異三郎さぁーん!!…ふにゃ!?」
「おっと……そんなに慌てて、どうかしましたか?」
「あっ…あの……えっと……!」
不安になって脱衣所を飛び出せば今し方叫び呼んだ彼が目の前におり、そのまま勢いよく彼の胸へと飛び込んでしまった。
慌てて離れようとしたなまえだったが、異三郎がそれを許すはずもなく……逆に離れないよう強く抱き込まれてしまう。
「うにゃっ……異三郎さ…は、離して下さ…!」
「嫌です。こんなにも愛らしい子猫が自ら飛び込んできて……それをわざわざ離してしまうような愚かしい人間などいませんよ」
「うぅ…っ」
「さっきは着物でわかりませんでしたが、やはり尻尾も生えていたんですね。耳も尻尾もよくお似合いで……もちろんこの洋服も」
「ひにゃあ…!し…尻尾、触らにゃいで…!」
前から抱きしめられている為、後ろは全くの無防備。それを良いことに、異三郎はゆらめく尻尾をやんわりと掴むように撫で始めた。
彼が撫でる度その箇所から伝わる敏感な感覚が背中を走り、なまえは堪らずブルブルと体を震わせる。
猫が尻尾を触られて嫌がるのはこういうことだったんだ!と猫に同情しつつも、何とかこの状況を打破出来ないかと考え込んでいると…不意に拘束を解かれた。
(よ、良かった……!!)
ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間。今度はひょいと抱き上げられ、思わず情けない声が漏れる。
そのまま移動しソファへと腰を下ろす彼の膝上に向き合うような形で座らされ、なまえの頬はこれ以上ない程真っ赤に染まった。
「あぁ、本当に可愛らしい。どうですか、このまま私の家で飼われるというのは」
「え!?そ、そんなの嫌です!せっかくお友達になれたのに……そんな主従関係みたいな……っ」
「……冗談ですよ。そうです、せっかくなので写真を撮ってもよろしいですか?」
「えぇ?!しゃ、写真はちょっと……」
「おや…なまえさん、知らないんですか。巷では、ハロウィンで仮装した友人の写真を携帯の待受にするのが流行っているんですよ。それと、写真の数は友情の深さを意味するとか……」
「そ、そうなんですか…?」
またひとつ、友人関係のノウハウを彼から教わってしまった…!
写真はどちらかと言うと苦手な方だが、彼との友情を深めるためなら……頑張ってみようかな。
異三郎から再びよろしいですかと問われ、なまえは暫く考えた末とうとう首を縦に振る。
「……よ、よろしくお願いします…にゃ…」
「そんなに緊張しなくとも大丈夫ですよ。ちゃんと可愛く撮りますから」
あぁ、恥ずかしい……!
穴があったら入ってそこから一生出たくないくらい恥ずかしい…!
(…でも………)
―――楽しい。
「さて、ポーズは……「あ、あの!異三郎さん…!!」……何ですか?」
「あの……えっと………ありがとう、ございます………は、ハッピーハロウィン…!」
「!……こちらこそ、ありがとうございます。ハッピーハロウィン」
初めての友人と、初めてのハロウィン。
来年はきちんとお菓子を用意して、二人でもっとハロウィンを楽しめたら……。
なまえは喜びを噛み締めながら、まだまだ遠い来年のハロウィンをひっそりと待ち遠しく思うのであった。
(あ、あの!私も写真撮って良いですか……?)
(私をですか?……私は仮装してませんし、写真を撮った所で何の意味も……)
(っ…意味、あります!わ、私も……待受にしたいんです)
(………は)
(異三郎さんの写真見たら…毎日、楽しく…過ごせそうな気もするし……)
(…………)
(あの……ダメ、ですかにゃあ……?)
(………一緒に暮らしましょうか)
(へ!?な、何……えぇ?!)