今年もやってきてしまった。
……会社の男性社員達にチョコレート(義理)を配らなくてはいけないという、大層お金のかかるイベントが。
課長、係長、主任は絶対に外せない。それに同じ課の同僚や後輩達にだってお世話になっている訳だから、こちらも外すことは出来ない。
第一、一ヶ月前からあんなあからさまにソワソワされたら嫌でも準備しなきゃって気になるわ!
(あー……出費がかさむ……懐が寒くなる……)
そもそもおかしいじゃないか。外国では男性から女性に贈り物をするというのに、なにゆえ日本では逆なのか。
「…………はぁ……」
「せっかくの日曜日だというのに、先程から溜め息ばかりですね。仕事で失敗でもしましたか」
ローテーブルに突っ伏す私の髪の毛を、クイッと引っ張りながら話し掛けてきたのは小さな彼。
顔を上げれば怪訝そうな表情の彼と目が合った。
「……仕事は順調ですよ、うん。仕事は」
「では会社で何かありましたか?悩み事があるのなら聞きますよ」
「うーん…………悩み事というか、現実逃避というか。とにかく、そんな大袈裟なものでもないので大丈夫ですよ。心配してくれてありがとうございます」
「…………」
ニコリと笑い掛けると、何故か佐々木さんはそっぽを向いて座り込んでしまった。
……あ、これは拗ね拗ねモードだ。 こうなると私が折れるまで意地でもこの状態なんだよなぁ……。いや、それにしても、小さな体で体育座りをする可愛らしさといったら、もう……!
佐々木さんの可愛さに身悶えそうになるのを何とか押さえ込んでいると、不意に彼がチラリとこちらに視線を寄越した。
「……私には言えないんですか?」
「いやいや!言えないわけじゃ……」
「人形の私はそんなに頼りないですか」
「そんなことないですよっ」
「…………なまえさんは、私のことを信用してくださっていないんですね」
「そんなこと……っ……あーもう!可愛すぎます佐々木さん!!」
「ちょっ……貴女、私の話聞いてましたか!?」
我慢できずに佐々木さんの頭に頬擦りすれば、抗議の声と共に小さな衝撃が頬に伝わる。
ペシペシと私の頬を叩いているようだけど、それ全っ……然、痛くないですからね。可愛さに拍車が掛かってるだけですからね!
「聞いてましたよ、勿論ちゃんと。信用してるに決まってるじゃないですか。あー可愛いー」
「っ……ならば、さっさと話したらどうですか。私のことを信用していると言うのなら……!」
「いっ……!?痛っ、いたたたたっ!……わかりました!話します、話しますから髪の毛強く引っ張らないでー!」
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「…………バレンタインデーの、チョコレート……?」
机上に雑誌を広げ、【バレンタインデー特集】の文字を指さして話せば、佐々木さんは拗ね拗ねモードから一変。 今度はぽかりと口を開け、拍子抜けしたような……何とも言えない表情をその顔に浮かべた。
いや、まあ。悩みの種が下らないってことぐらい自分でもわかってるけどさ……、
「…………そんなに呆れなくてもいいじゃないですか」
「別に呆れてなどいませんよ。ただ……」
「ただ?」
「男性社員というのは、その……田中くんも頭数に入っているんですよね?」
「そうですね」
「…………チョコレートは、手作りを……?」
「え?あー……」
手作り。考えてもみなかった。 毎年適当な物を人数分買って、配って、それで任務は完了だったけど……、
(そうだなぁ。今年は佐々木さんもいるし……)
「……はい。今年は頑張って作ってみようかと」
「っ!!」
笑顔で答えれば、佐々木さんの表情が今度は愕然としたような、物凄く衝撃を受けたようなものに変化した。
何だか今日の佐々木さんは百面相だなぁ……なんてぼんやり考えていると、彼が慌てた様子で開いたままの雑誌を乗り越えて駆け寄ってきた。
机の上に乗せていた私の手に、小さな手が触れる。
「わざわざ作らなくてもいいんじゃないですか?」
「え?でも……」
「むしろ今年からあげないという選択肢もありますよ」
「え!?そ、それは無理ですよ……」
「でしたらチ◯ルチョコでも投げ付けておやりなさい。それで十分です」
「投げ付けちゃうの?!」
しかもチ◯ルチョコって! 種類も沢山あっておいしいけれども!上司にそれを配るのはマズイでしょ!!
(その上投げ付けるなんて暴挙、ホワイトデーのお返しの前にリストラを言い渡されるよ!)
……なんて、心の叫びを口に出す勇気はないので、諭すように佐々木さんを見つめるも睨むようにして見つめ返されてしまい、ちょっとたじろいでしまった。 けれどすぐに肝心なことを聞いていなかったとハッとする。
「あの、佐々木さんは手作りよりそっちのほうがいいんですか?」
「私……ですか?」
「はい。毎年市販のチョコで済ませてたんですけど、今年は佐々木さんがいるので手作りにしようかなって思って……」
「……私が、いるから……」
「でも、佐々木さんが嫌なら……「嫌じゃないです」……へ?」
「なまえさんが私の為に作ってくださるんでしょう?嫌な訳、ないじゃないですか……」
もごもごと口籠もりながら佐々木さんが目を逸らす。 その素っ気ない態度とは裏腹に、小さな手は変わらず私の手に触れていて……言い知れぬ、温かいものがじんわりと胸に広がった。
「……よかった。それなら張り切って作れますね。何かリクエストはありますか?」
「…………どんなリクエストでもいいんですか?」
「もちろん!……あ、でも、なるべく簡単なモノで……」
「………………ガトーショコラは作れますか?」
「ガトーショコラ……はい、それならなんとか!」
「では、それをお願いします。それと、あとひとつリクエストがあります」
「え?」
思いがけない申し出に目を見開く。
もうひとつのリクエスト?何だろう……生チョコとかトリュフとか、簡単に作れるものならいいんだけど……。
ハラハラしながら佐々木さんの言葉を待っていると、彼がこちらを見上げながら私の小指をギュウッと抱え込んだ。
「佐々木さ……「作ったガトーショコラは、私にだけください」…………え……」
「他の人にはあげないでください」
「…………わ、わかりました……」
真剣な面持ちに思わず何度も頷いて返事をすれば、安心したように彼の表情が緩む。
……知らなかった。佐々木さん、そんなにガトーショコラが好きなんだ。
「……じゃあ、他の人にはトリュフでも作ればいっか」
「……は?」
彼の新たな一面を知ることが出来た喜びを噛み締めつつ、何となく呟いた一言。 この言葉に、佐々木さんの表情が凍り付いた。
「トリュフ……作るんですか?」
「はい。簡単だし、量産出来るし、会社で配るなら打って付けかなって思って」
「…………」
「あ、もしかしてトリュフも食べたいですか?それなら多く作ればいいだけだから……」
そこまで言って、口を閉じた。
佐々木さんがあんまりにも悲しそうな顔をしていたから。
ガラリと変わってしまった私達の間を流れる空気。どうしたらいいかわからないまま見つめ合っていると、一文字を描いていた佐々木さんの口がゆっくりと開かれた。
「……なまえさん」
「は、はい……!」
「ガトーショコラでもトリュフでも、貴女が作ったものならなんだって食べたいです。けれど、私が言いたいのはそういうことではありません」
「はぁ……」
「私は、貴女が作ったものを私ではない他の誰かが食べるということが嫌なんです」
「は……」
迷いのない言葉と同時に、真っすぐ私を射抜いた眼差しに息を呑んだ。
先程よりもきつく抱え込まれた小指が、ドキドキと脈を打つ。
……なんで、なんでこんな急に、
(っ……ちっちゃい癖に、等身大の時みたいな雰囲気かもさないでくださいよ……!)
真っ先に浮かんだ可愛いげのない言葉は、衝撃のあまり声にもならず。
頭も体も、あっという間に熱を集めて―――……
「ねぇ、なまえさん。約束してください。私以外に手作りは渡さないと」
身勝手にも思えるような約束事に、うまく機能しない頭が知らず知らずにコクリと縦に揺れた。
「!…………約束、しましたからね」
私の返事に満足げに笑った小さな彼。
その笑顔を見て、きっとこれから先バレンタインデーを迎える度にこの出来事を思い出すんだろうなぁ、なんて……。
少女漫画にありがちなフレーズをごくごく自然と思い浮かべてしまった自分に、どうしようもなく恥ずかしくなった。
――――― お ま け ―――――
「あ、いたいた……柴ちゃん!はい、どーぞ。友チョコです」
「あら、どーも……って、あれ?今年は手作りじゃないの?」
「へ?何で?」
「や、何でって……今年は佐々木さんがいるから、てっきり手作りかと思ってたんだけど……」
「え!?」
「まぁ、そういう関係でもなさそうだし。佐々木さんも手作りにはこだわらないか」
「そ、そうだよー……手作りなんて……「なまえさぁーん!!何で佐々木さんにだけ手作りチョコあげてるんですか!?写メ付きの自慢メールばっかりくるんですけど?!うわ、またきた……!」
「ちょっ、田中くん声でかっ!あんな遠くから……あ、いや、柴ちゃん、違うからね?これはそれなりの経緯があって……」
「…………あー、あー、あー、なるほど。本命にだけ手作りをあげるという粋な計らいね」
「ち、違っ……!ほ、本命とかじゃっ……佐々木さんが自分以外には手作りを渡すなって言うから……」
「きゃー!何それ、少女漫画!?ちょっとみんなー!なまえがリアル少女漫画体験してるよー!!」
「やめてー!お願いだから黙って柴ちゃん!!」
――――― お わ り ―――――
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