「山崎、なまえの今日一日の様子はどうだった」
「今日も以前と変わりなく過ごしていました。ただ、今は……」
「…………また、泣いてんのか」
「……はい」
なまえの部屋から夜な夜な聞こえてくる小さな泣き声は、退院してから毎晩続いている。
――― 佐々木がなまえに真実を告げたあの日、このままどうかなってしまうのではないかと思うほど泣きじゃくっていたなまえだったが、翌日にはその涙はすっかり止まっていた。
赤く腫れた目元はそのままに、見舞いに来た土方達に深々と頭を下げ、
『ご迷惑をおかけしてばかりですみません。もう大丈夫です。今後も頑張りますので、退院してからもよろしくお願いします』
……以前と変わらぬ笑顔を張り付けて、そう言った。
それがただの強がりで無理をしていることくらい全員がわかっていたし、いつ見舞いに行っても腫れている目元にも気付いていないふりをすることが自分達に出来る唯一のことだともわかっていた。
それは彼女が退院してからも同じだった。 昼間は笑っているなまえが、夜になると声を殺し部屋で泣いていることは、
佐々木への想いをひたすら断ち切ろうとしている彼女の為にも、ただただ知らないふりをしなくてはいけないのだと理解していた。
―――頭では。
「副長。本当にこのままでいいんですか」
「いいも何も、なまえに真実を話したのは佐々木自身だ……俺らがどうこう言うことじゃない」
「でも……「その話はもう終いだ。さっさとあの天人についての報告書を渡せ」
「……わかりました」
苛立つ土方に渋々報告書を渡した山崎は、心の中で溜め息を吐いた。
なまえと佐々木、二人がこのままの関係でいることが最善とは到底思えない。 現に、彼女はそのせいで心身共にボロボロだ。
佐々木自らなまえを利用していたことを本人に告げたと言うが……、
(……それは、本当に真実なのだろうか)
生き残った犯人の身柄を見廻組へ渡した後、山崎は近藤の命令により一人その場に残っていた。
あの時見た、血染めの隊服を揺らして男へと近付く佐々木の、
―――あの表情。
まるで人形のような無機物を連想させる、酷く冷たいものだった。 彼から放たれる憎悪と殺意が空気を凍らせ、誰ひとり身動き出来ない程の緊張感に包まれ、
……なまえが重傷を負わされたことへの怒りが、あの場所には確かに渦巻いていた。
山崎が目にした光景と佐々木が告げた真実とやらは、どうしたってイコールで繋げることが出来ない。
何か……上手く飲み込めない、違和感があった。
「……い。……おい!!」
「っ、は、はい!!」
「ったく……ぼんやりしてんじゃねぇ。この書類の男の死因についてだが……どういうことだ」
「え?」
「奴らは地球に長期間いられないと近藤さんが言っていた。適応装置も何も使わずに拘束してたせいで死んだのなら、死因が“舌を噛み切ったことによる失血死”はおかしいだろ……一体何があった」
「それは、突然あの天人が……」
『私に殺されるか、自分で死ぬか……どちらか選べ』
ふと山崎の脳裏に蘇る、佐々木の低い声。
(違う。……ああ、そうだ。どうしてこんなにも違和感があるのか……)
あれは……あの言動は、優秀な彼にあるまじき行為。
事件の全貌、宇宙船の在処、洞窟外での仲間の有無、それら全てを明らかにする為あの時はまだ生かしておかなければならなかった存在を……
「副長……あの天人は、佐々木異三郎が、」
彼が、死に追いやったんだ。
――― ――
『事件が解決したなら貴女にもう用は無い。“友達ごっこ”はおしまいです。
……………………さようなら、みょうじさん』
「……っ」
眠れない。
佐々木さんに会えた あの日から。
―――布団の中に潜り込んで泣いていたなまえは、涙がようやく止まった目元を拭うとその重い体を起こした。
障子から差し込む月明かりが眩しい。一体自分はどれだけ泣いていたのだろうか。 瞼はヒリヒリと痛み、顔中涙でぐちゃぐちゃだ。 傍らに置いてあった手ぬぐいを引き寄せて顔を拭くと、なまえはぼんやりと枕元を見た。
佐々木がなまえへと贈った香り袋が、そこで控えめに存在を主張していた。 雨に酷く濡れてしまったせいか、あの優しい香りはもうほとんどしない。
まるで、彼と自分の関係が薄れてしまったことを物語っているようだと、なまえは悲しげに睫毛を伏せた。
(早く、忘れないと……)
彼を、彼への想いを、今すぐに。
けれど、断ち切ろうとする度に胸が軋み、 忘れようと目を閉じればあの日の光景が蘇り、息が出来なくなる。
……このことを誰かに話せば、少しは楽になるのだろうか。
(っ……それはダメ。出来ない……)
話せばきっと、皆親身になって聞いてくれるだろう。けれどその分、相手の負担になるのは確実だ。 これ以上は誰にも、心配も迷惑もかけたくない。
自分で どうにかしなければ。
まずは今、気持ちを落ち着かせることから始めよう。 そう思い立つと、なまえは誰にも見つからないよう部屋をこっそりと抜け出した。
・
・
・
ギシリ、踏みしめた床板が小さく軋む。 月の光に照らされた縁側は、灯りが無くとも十分に歩くことが出来た。
静かな庭を見つめ、なまえは縁側に腰をおろした。
(想いを無くすには、どうすればいいのだろう……)
なまえは今まで“恋”を経験したことなど一度もない。
心臓を押し上げるような焦がれる感情も、 身を引き裂くような悲痛な別れの悲しみも、
何もかもが初めての彼女には、自分がどうすればいいのかなど検討もつかないのだ。
ましてや、その想いを消してしまう方法なんて……
『おはようございます、なまえさん』
思い浮かぶ彼の横顔に、優しい声。
途端にきつく締め付けられる心臓に、呼吸が苦しくなる。
ああ、早く、早く、 すべてを無かったことにする術を見付けないと。
『……なまえさん、』
早く、短くも彼と過ごしたあの色鮮やかな時間を、
(無かった、ことに……)
不意に、なまえの瞳から涙がホロリと零れ出た。
……無理だ。
たとえ利用されていたとしても、
あの時間が嘘偽りだったとしても、
(私は、佐々木さんを、)
彼を、こんなにも好きになった彼を、
「忘れる……ことなんて……っ」
両手で顔を覆い、耐えるように背中を丸める。
こんな所で泣いてしまうなんて。 せめて声だけは漏れないようにぐっと唇を噛み、ひとり静かに肩を震わせた。
想いを断ち切れないなまえを笑うかのように、ひんやりとした風が舞い込む。
それと同時に、震える肩に羽織が掛けられた。
「こんな所で泣いてんじゃねーや、馬鹿なまえ」
驚いて顔を上げれば、沖田がすぐ隣でなまえを見下ろしていた。
「沖田……さん……」
「毎夜毎夜、誰かさんが鼻啜ってるせいで眠れやしねェ」
「っ……!」
気付かれていたんだ。
そう思った瞬間、なまえは情けない気持ちでいっぱいになった。 謝ろうと口を開くも、カラカラに渇いた喉のせいで言葉が上手く出てこない。代わりに、涙がいくつも頬を伝い落ちていく。
そんななまえの様子に沖田は臆することなく隣へ腰かけると、少し乱暴な手つきでなまえの頭を撫で回した。
「捨て犬みてぇにひとりで押し黙って、丸まって、本当に馬鹿でさァ」
「……す、みま……せ……っ」
「呆れて何にも言えねーや。ったく……しょうがねぇから少しだけ肩貸してやりまさァ。寝不足でぶっ倒れられても困るんでねィ」
「っ…………ごめ、なさ……」
「謝るくらいならとっとと眠っちまいな。今日だけ特別にこれも貸してやらァ」
そう言ってなまえの頭を撫で回していた手を止めた沖田は、自身の懐からアイマスクを取り出し彼女の額にペシリと押し付けた。“この礼は団子10本でいいぜィ”と、ちゃっかり自分の要求も忘れずに。
渡されたアイマスクが沖田のお気に入りだと知っているなまえは一瞬躊躇したものの、彼の優しさを無駄にしてはいけないと、袖で涙を拭いそれを装着した。
広がる暗闇に少し不安になったが、背中を優しく叩かれ次第に心は落ち着きを取り戻していった。
「ありがとう、ございます……」
「いいからさっさと寝なせェ」
「……はい」
促されるまま、そっと寄りかかる。 見掛けによらずがっちりとした肩。自分よりも年下のはずの彼は、自分よりもうんと強く逞しい。 ……誰かを支えても潰れたりしないその強さが、今は無性に羨ましかった。
(温かい……)
人の温もりに触れたからか、それとも優しさに触れたからか、 先程は眠気など微塵も感じなかったはずなのに、急激な睡魔に襲われアイマスクの内側で瞼が閉じていく。
うとうとと、本格的な眠りに入る寸前、
「……なまえ。もう寝やしたか?」
沖田のぽつりと呟く声が、静寂を震わせた。
「?いえ、まだ……「寝ちまったようなんで、これは俺の独り言になりやすが」
寝ていないと返そうとするなまえの言葉を遮り、沖田は変わらぬトーンで話を続ける。 彼の意図が読めず、なまえは黙って耳を傾けた。
「今回の事件、お前を囮にした佐々木殿には何回切腹してもらおうと腹の虫が治まる気がしねェ」
「……」
「けど…………お前が望むなら、この状況をどうにかしてやれねーかとも考えてる」
「……え?」
「どーせ馬鹿なまえのことだから、“迷惑かけたくない”だのなんだのって一人で気持ち抑え込んでパンク寸前なんだろィ。
……偶然聞いちまった寝言なら、迷惑なんてかかりゃしねェ」
―――お前は、どうしたいんでさァ。
「っ……!」
優しく問われた瞬間、堰を切ったように再び溢れ出す涙。
“どうしたい”? そんなの、望んではいけないことなのに。
行く宛てのない自分を真選組に置いてくれて、 数え切れないほどの優しさをもらって、
……これ以上の我が儘は、許されるはずがないのに。
「わ、たし……は……」
でも、それでも、
「………………佐々木さんに……会いたい、です……っ」
会って、どうなるかはわからない。
だけどこのままじゃ、何もかもがもっとダメになる気がして。
「出会ったことすら忘れようと、思いました……それが、きっと、誰にも迷惑をかけないで済む唯一の方法だから…………でも……っ」
あの日見た 彼の瞳。
冷たい、無感情な仮面を被ってしまう前の……ほんの一瞬。
『………………なまえ、さん……』
悲しげに揺れていたのは、見間違いなんかじゃない。
今、この瞬間も、一番傷ついているのはきっと、彼自身だ。
「…………佐々木さんに伝えたいんです。きちんと、伝わるまで」
私は確かに、貴方に救われたのだと。
―― ―
先程までの冷たい風が嘘のように、穏やかな風が廊下へ吹き抜ける。 沖田にもたれ掛かり、スヤスヤと寝息をたてるなまえの髪がふわりと揺れた。
「……ようやく眠ったか」
そこへ現れたのは土方だった。 なまえの背後で立ち止まった彼は、火の着いていない煙草を銜えたまま呟いた。
「なげぇ寝言だったな」
「あらら、土方さん。盗み聞きたぁいい趣味してますねィ」
「べ、別にっ、盗み聞きなんざ……喫煙所に行こうとしたら偶然聞こえてきたんだよ!」
「なまえが寝入るのをわざわざ待ってた癖によく言いまさァ。……それで?さっきの寝言を偶然聞いちまった土方さんはどうするつもりで?」
おどけた様子とは裏腹に真剣な声色の沖田を一瞥した後、土方は月を見上げた。
優しい月の光。それはまるでなまえの笑顔のようで……自分には眩し過ぎる輝きに、土方は思わずその目を細めた。
……これ以上なまえの傷付く姿を見たくなかった。 見たくなくて、なまえと佐々木を遠ざけた。
時が経てば彼女はすべてを忘れ、この出来事は解決するだろうと。 そう思っていたし、そう思いたかった。
けれど現実は、土方の思惑とは真逆の方向へと進んでいく。 水気を失い、みるみる枯れていく花のように、なまえの心と体は弱っていった。
(…………俺は……ただ……)
なまえが、絶えず笑顔でいられるようにと、
『……例えなまえさんが攫われてしまったとしても、エリートであるこの私が無傷の状態で助け出しましょう』
信念を持って行動していたはずだ。
『副長……あの天人は、佐々木異三郎が、』
それなのに、
『………………佐々木さんに……会いたい、です……っ』
どうしてこんなにも、胸がざわめくのか。
沸き立った得体の知れない苛立ちに、自然と土方の口から舌打ちが漏れる。 沖田の問いには答えぬまま背を向けると、足早にもと来た廊下を戻っていく。
その後ろ姿は、怒りを纏っているようにも落ち込んでいるようにも見えた。
去っていった土方に沖田はやれやれと溜め息を吐き、自分の肩に乗っているなまえの頭をぽんぽんと優しく撫でつけた。
「……お前のお陰で土方さんがこれ以上ないってくらい葛藤してるぜィ。一生ネタにしてやりまさァ」
沖田が見上げた先で、絶えず月が光り輝いていた。
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