―――あれから数日。


なまえの意識は、相変わらず戻らぬままだった。

唯一変わったことといえば、集中治療室から個室へと移動したことくらいだ。





「ねぇ、なまえ。今日も買ってきたの」




酸素マスクを着用した状態でベッドで横になっているなまえに話し掛けながら、信女は傍らにある小さな机にマスドの箱を置いた。
もうこれで何箱目になるだろうか。信女は此処を訪れる際に必ずそれを持ってくる。


……なまえが眠っている間に発売してしまった、“一緒に食べよう”と約束した期間限定のドーナツを。



「人気があるからすぐ無くなる。なまえが目を覚まさないと、私も食べられないんだから」

「ホントに人気あんのかィ……とてもじゃねーが美味いとは言えねぇ食感ですぜ、このドーナツ」



不意に背後から伸びてきた他者の手が箱をまさぐり、中からドーナツをひとつさらっていく。
その手の主は、信女の後を追うように病室に入って来た沖田総悟。彼は手にしたドーナツを躊躇うことなく頬張った。



「勝手に食べないで。アナタに買ってきたんじゃない……私がなまえと食べる為に買ってきたの」

「こんなパッサパサの干物みてぇなもんまでなまえに食わせる気か」



沖田が手に取ったドーナツは、信女が今し方持ってきた物では無く……その横にある、昨日彼女が持ってきた箱から取り出した物。
時間が経ち、水分も蒸発してしまい、お世辞にも美味しいとは言えない代物だ。

それをむしゃむしゃとひたすら頬張りながら、沖田は言葉を続けた。



「どーせ毎日買ってくるんだ、俺が食った所で何の問題もねぇだろーが」

「毎日……?アナタ、もしかして…………もう勝手に食べないで」

「うるせー女だな。おめーは黙ってなまえの為に新しいドーナツ買ってくれば良いんでさァ」

「……ドーナツの食べ過ぎで激太りすれば良いのに」

「……はっ、お生憎様。俺ぁ太らねぇ体質なんでね」

「…………うるさい、チビ」

「…………うるせぇ、ガキ」

「…………」

「…………」




言い争う二人にピシリと空気が凍ってしまったかのように思えたが、それも長くは続かず、すぐに元通りになった。

……結局、二人が今一番気掛かりなのは目の前のなまえのこと。言い争いをしている場合ではないのだ。

ベッドの傍にあった丸椅子を手繰り寄せ、そこに腰を下ろした沖田は、眠るなまえを見つめながら呟いた。




「……おめーんとこの大将はどうした。ほぼ毎日来ちゃいるが、一度も見掛けやしねぇ」

「異三郎は昼間には来ない」

「来ない?」

「日中は狂ったようにひたすら仕事。日が落ちてから病院に来て、それから夜通しなまえの傍にいる」

「おいおい……そんじゃ佐々木殿は一体いつ寝てるんでさァ」




なまえを見下ろして淡々と告げる信女に、沖田は目を見開き彼女に視線を向けた。

驚く沖田を一瞥し、信女が再び口を開く。




「…………寝てない。異三郎はあの日から、ほとんど」

















―――――眠れない。

あの日から、私はまともに眠ることが出来ていない……。





日も暮れて、昼間には身を潜めていた虫達がこぞって鳴き出した月夜。
佐々木は今日もまたひっそりとなまえの元を訪れた。

病室に入れば、一定のリズムを刻む機械音となまえへ送られる酸素の音が佐々木を迎える。



「なまえさん…………」



無意識になまえの名前を呼ぶが、当然眠ったままの彼女から返事は返ってこない。
ゆっくりと近付き、なまえの枕元に立った佐々木は、そこにあった椅子へと腰を下ろした。



「……また、信女さんがドーナツを買ってきたようですね」



「えへへ……信女さんってすごく優しい方ですよね!」



「そうそう、信女さんといえば。毎回置いていったはずのドーナツが次の日には忽然と消えてしまうんだと首を傾げていましたが……どうやら沖田さんが犯人だったようで」



「えぇ!そうなんですか?!」



「ねぇ、なまえさん…………早く目を覚まさないと、またドーナツ食べられちゃいますよ」



「心配して下さったんですか?ふふ、ありがとうございます…………佐々木さん」



「………………なまえ……さん……っ」









声が、聞きたい。


その柔らかな声で、名前を呼んで欲しい。




……この、無性に縋りたくなるような、焦燥にも似た感情を何と呼べばいいのだろう。


返事は無いとわかっていながらも、以前そうしていたように佐々木はなまえへ何度も話し掛けた。その度、聞こえるはずのないなまえの声が頭の中で反響し佐々木の胸を締め付けていく。

無意識に佐々木は閉じられたままのなまえの目元へ触れようと手を伸ばした。



「っ………」



……けれど、あと少しで触れそうになったところで我に返り、触れずに元あった位置に手を戻す。目一杯力を込めて拳を作ると自身の膝の上へ置き、小さな声で再びなまえに話し掛けた。



「……………なまえさん。貴女がこうして眠っている間、私は貴女のことを考えない日は一日もありません。ふとした時に貴女の笑顔が浮かび……眠ろうと目をつむれば、傷付いた貴女の姿が浮かび……、


……四六時中、貴女のことで頭が一杯だ」



お陰で眠ることが出来ないのだと、珍しく弱々しい様子で佐々木は零した。

自分だけではない。

信女も、真選組も……皆が皆、気もそぞろになまえの目覚めを待っている。



「…………?」



何気なく視線を動かした佐々木は、違和感を覚えた。視線の先……なまえの細い指先が、微かに動いたように思えたのだ。

恐る恐る身を乗り出し、先程よりも近い位置からなまえの名前を呼んでみる。



「なまえ、さん……?」

「…………」

「……!!」



彼女の指先がまたピクリと動く。
今度は確かに、佐々木はその目ではっきりと見た。



「……なまえさん…!」



なまえが目を覚ますかもしれないという期待、このまま再び深い眠りについてしまうのではないかという焦り……この二つの感情に奮い立たされた佐々木は、立ち上がり無我夢中で彼女の名前を何度も繰り返す。

その必死な呼び掛けに応えるかのように、今度は頑なに伏せられていた彼女の睫毛が震え……やがて、ゆっくりとした動作で瞳をあらわにさせた。



「なまえさん!」

「…………っ……」

「………………あぁ、良かった……っ。……なまえさん……私が……私のことがわかりますか……?」



待ち侘びていた、なまえの目覚め。

ぼんやりと天井を見遣るなまえと目を合わせ、佐々木は声が震えるのも気にせず問い掛ける。
瞳を動かし、佐々木へ視線を返したなまえは、返事をするように酸素マスクの向こう側で渇いた唇を動かし何かを呟いた。



「……っ…」

「…………もう、大丈夫ですよ。何も心配することはありません。すぐに担当医の方を呼んできますから」



彼女が何を呟いたのか聞き取れなかったが、意識がしっかりしていることがわかっただけでも十分だ。
直ぐさま医師を連れてこようと、その場を離れる為佐々木はなまえに背を向けた。



「ん……?」



瞬間、隊服の裾が小さく引かれる。

手摺りにでも引っ掛けたのだろうか。そう考えた佐々木はベッドへ顔を向け背後を確認し…………、


息を、呑んだ。


なまえの華奢な手が隊服を掴んでいたのだ。こちらが動けばすぐにでも振りほどけてしまえそうな程の、弱々しい力で。



「なまえさん……」

「っ……」

「……どうかしましたか?」



佐々木の視線が再びなまえに向くと、彼女の手は隊服から離れていった。
何かを伝えようとしているのか……何度も荒い呼吸を繰り返すなまえに、佐々木はゆっくりと踵を返し彼女の枕元に屈んだ。

なまえの唇が震え、酸素マスクが曇る。

今度は聞き逃すまいと、佐々木は彼女の口元に耳を寄せた。




「……―――――。

――――――……―――――……」



「っ……!?」




耳を寄せ、なまえの掠れた声を聞き取った佐々木は目を見開き、言葉を失った。



(……何を、言って…………私は…………貴女を……っ)



じわじわと胸に広がる動揺。ドクン、ドクン、と、徐々に大きくなる心臓の音がそれを更に増長させる。

思わず身を引けば、弾みで足に椅子が当たりギギッと嫌な音を立てた。





「…………担当医の方を、呼んできます」





何とか声を振り絞り伝えた言葉は、この場から逃げ出す口実だった。

自分を見つめる真っ直ぐな瞳から目を逸らし、佐々木は再度彼女に背を向け足早に部屋を後にした。








―――
――






「…………どうして……」



病室を出た佐々木はモノクルを外すと、扉に凭れ掛かりながら揺れる視界を片方の掌で覆い隠した。


震えるのは心臓か、心か。


自分の気持ちが追い付かず、ただただ呼吸が苦しくなっていく。





「なまえさん……貴女という人は、どうして……っ」





目覚めれば、もう二度と会わないと……そう決めたのに。





彼女の声が、瞳が、


…………言葉が、心を揺さ振る。





『……佐々木さん。

助けてくれて……ありがとう……』





胸が痛い。息が出来ない程に。

痛みに紛れて沸き起こるのは…………無性に縋りたくなる、焦燥にも似たあの感情。





(あぁ…………そうか、これは……)





長い間忘れていた、この感情は、














「……なまえさん。私は、こんなにも、


…………………………貴女が……愛おしい……っ」











求めていた答えは、彼女の目覚めと共に。

……そして。

彼女の目覚めは、別れと共に。








気付いたところで

もう、傍にはいられない。











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