隊士達を引き連れて病院を出た土方は、前方からこちらに向かって歩みを進める人影に足を止めた。



「……よくもまあ、のこのこと来れたもんだな」



現れたのは、佐々木異三郎。
血染めひとつ無い真っ白な隊服をひるがえし、彼は土方の目の前で立ち止まった。




「これはこれは、土方さん。貴方が病院から出てきたということは、なまえさんの手術は無事成功したようで…………良かったですね」




―――“良かったですね”


まるで他人事のように言葉を投げ掛けてきた佐々木に、土方の表情がみるみるうちに怒りで歪み出す。



「っ……てめぇ…。なまえをあんな目に遭わせておいて、何平然としてやがる……」

「…………」

「お前がなまえを囮に使ったりしなけりゃ、こんなことには……!」



怒鳴りつけても尚、変わらぬ飄々とした態度の佐々木にカッとなり咄嗟に手が出る。

しかし、どこか虚無感を漂わせた彼の瞳に見つめられ、土方は掴み掛かろうとした手を強く握りしめ寸での所で押さえ込んだ。



「…………んだよ……その顔……っ」



全てに絶望してしまったかのような、思わず理由を問いただしてしまいそうになるほどの悲痛なその表情。



―――まさかコイツ、なまえのことを……?



あるひとつの可能性が浮かび上がったが、即座に打ち消した。そんなことあるはずが無いと、土方はざわめく胸中を抑えて足早に佐々木の横を通り過ぎる。



「っ……なまえに二度と近付くんじゃねぇ。近付いたら…………ただで済むと思うな」



言いたいことは沢山あった……にも係わらず、動揺した土方はすれ違い様に佐々木を牽制する以外何も出来なかった。




「重々承知していますよ。彼女にはもう関わらないと約束しましょう……その代わり……、

……あの子が目を覚ますまでは、傍にいさせて下さい」

「……!!」



思いも掛けない佐々木の弱々しい呟きに、勢いよく振り返る。
憐れんでいるのか……はたまた、悔やんでいるのか。一体どういうつもりで、なまえの傍にいさせて欲しいと言ったのか。

けれど、振り返ったところで、土方の目に映るのは佐々木の背中だけ。




「チッ…………勝手にしろ!」




意図がわからない彼の言動にただただ苛立ちが募り、土方は忌ま忌ましげにその場を後にした。

















(……なまえさんは、生きている…………)



土方と別れた後、ぼんやりとした意識のまま、佐々木は病院内の廊下を歩いていた。

途中、土方を追った近藤と沖田に遭遇したが、なまえが何処にいるのかを教えてもらう以外、言葉を交わすことはなかった。


……いや。もしかしたら、向こうは何か言っていたかもしれない。
けれど、自分の記憶にあるのは、なまえの居場所だけだった。



「異三郎」



不意に、自分の靴音だけが響いていた廊下に抑揚のない声が落とされた。

俯きがちだった顔を上げ前を見遣る。暗く、くすんだ視界に映ったのは“集中治療室”の文字と、その扉の前に佇む自身の部下である信女。

いつの間にか、目指していた場所へと辿り着いていた。



「信女さん……なまえさんの手術は成功したそうですね」

「……でも今日は会えない」

「そう、ですか……」

「それでも私はなまえの傍にいたい。だから此処に残る。異三郎は、どうするつもり……?」

「私は……」





――  私も あの子の傍に  ――





心に浮かんだ想いを口にしようとした、その瞬間。脳裏にあの惨劇が蘇る。





目先に現れた赤色の刃。


ゆっくりと崩れ落ち、力無く床に転がる小さな体。


やがて広がった血溜まりに 微動だにしない彼女の…………なまえの青白い顔。






「っ…………」

「……異三郎?」




私が…………私が、彼女をあんなにも危険な目に遭わせた。




「私、は…………」




彼女を赤く染めたのは、紛れも無い自分。





それでも、


………“今”だけでも、





「………………私も、残ります」

「そう……」



自分に対し何も問わない信女に、佐々木は小さく息を吐く。
けれど、その後続いた彼女の言葉は、酷く動揺を誘うものだった。



「…………その方が良い。なまえが目を覚ました時、きっと真っ先に探すのは異三郎の姿だから」



一瞬、何を言われているのかわからなかった。自分の中で、最も有り得ないことを言われたからだ。

ぽかりと呆ける自分を尚も見つめ続ける信女にようやく言葉の意味を理解した佐々木は、大きく揺らいだ心臓の音に気付かれぬよう無表情だったその顔に薄ら笑いを貼り付けた。



「…………冗談も程々にして下さいよ、信女さん。自分を陥れた相手を彼女が必要とするとでも?それに……私が此処に留まるのは、なまえさんが目を覚ますまでの話。意識を取り戻したら、彼女の前にはもう二度と現れるつもりはありません」



迷いの無い佐々木の発言に、信女が目を細める。



「…………なまえを泣かせるつもり?」

「彼女は泣きませんよ。貧しい村で生まれ育ったんですから、様々な逆境をくぐり抜けてきたはずです。私に会えないことで泣くなんて……「異三郎は何もわかってない」

「……いいえ、誰よりも理解しています。

私といることで、今後あの子に今回のような危険が再び降り懸かる可能性があることも…………私は、十分理解しているつもりです」





『―――……見廻組局長の弱み、みすみす手放す訳にはいかねぇなぁ!!』





あの天人の言葉に佐々木は改めて気付かされた。

自分の役職や立場……そして、少しの関わり合いを弱みとして認識されてしまう時世。



(……初めから、“守る”“守らない”の話ではなかった……)



結局、どの角度から見ても、彼女の傍に自分がいることは彼女の笑顔には繋がらない。



(…………そう、)





繋げることは出来ないのだ―――…………







「異三郎……」

「さて、夜はまだまだ長い。自販機で飲み物でも買ってきましょう……何かリクエストは?」

「…………」

「だんまりですか。勝手に選んじゃいますよ」

「…………ミルクティー」

「ミルクティーですね、わかりました。何かあれば携帯に連絡して下さい」



そう告げて、もと来た廊下を引き返していく佐々木に、信女はもう何も言わなかった。



何も言えなかった。








――――
――







「おーい、トシ!」



病院からの帰路。
近藤と沖田は先を行ってしまった土方達の後ろ姿を見付け呼び止めた。



「……ったく、先に行くことないだろう。追い付くのに苦労したんだぞ」

「近藤さんが途中厠に寄りたいなんて言うから遅くなったんでさァ」

「っ……それは言わなくて良いから!かっこよく駆け付けた感が台無しになっちゃうから!!」

「…………」



振り返った土方の表情はどこか曇っており……何とも言い難い違和感に、近藤は土方の顔を覗き込むようにして疑問符を投げ掛けた。



「どうかしたのか……?」

「…………佐々木に会った」

「そうか……。俺達も病院で擦れ違ってな、集中治療室の場所を聞くなり後は何を言っても上の空のまま行っちまって……「なぁ、近藤さん……」



言葉を遮られ、自分はまた失言してしまったのかと近藤は少し焦った。けれど、土方の表情に怒りの色は表れてはいない。

佐々木との間で何かあったのだろうか。

吹きすさぶ風の中、全員が息を呑んで言葉の続きを待った。



「…………近藤さんは、惚れた女を囮に使ったりするか……?」

「え?いや……しない、が………」

「そうだよな……普通は、しねぇよな…………」

「あ、いや、でも、何かどうしようもない理由があるなら……!」



風が止み、辺りに静けさが戻ったすぐ後に投げ掛けられた突然の質問。唐突に寄越されたそれに、近藤は何の考えも無しに答えを返した。けれど、その回答が佐々木の立場を悪くするものだと気付き、しどろもどろになりながらも弁解の言葉を並べる。

必死な近藤をよそに、それを聞いた土方の瞳が人知れず悩ましげに揺れた。



(理由?もしも佐々木がなまえに惚れてるなら…………アイツを囮にしたのは、ただ利用したんじゃなく何か理由があったっていうのか……?)



自然と考えを巡らせてしまった自分に気付き、小さく舌を打つ。



「っ…………んなもん、知るかよ……」





奴は任務遂行を優先した

……なまえを危険に曝してまで。




それが、それだけが真実……―――




「…………新たに局中法度を追加する。なまえが目を覚ましたら、アイツと佐々木の接触を徹底的に阻止しろ」

「なっ……」

「本気ですかィ、土方さん」

「あぁ……」




佐々木とはもう関わらせないほうがいい。

これ以上、なまえが傷付かないように。


例え、それが原因でなまえが毎日泣き崩れようとも…………





「反する奴は即切腹だ。わかったな」











消えて無くなるより ずっとマシだ。












―――それぞれの胸に宿った交わることのない心情。そこに共通するのは、なまえの意識が一刻も早く戻って欲しいという強い願い。

…………しかし。
その願いも虚しく、その日なまえが目を覚ますことは無かった。




次の日も、その次の日も、彼女は静かに眠ったままだった。











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