敵地へと潜入した近藤、土方、沖田の三人は、洞窟内に充満するむせ返るほどの血生臭さに耐え切れず顔をしかめた。
この生き物の死を連想させる臭いの異常な漂い方……一体どんな化け物が現れたというのだろうか。


同時に思い浮かぶのは被害者の安否。

そして……なまえの笑顔。


頼むから、あの笑顔だけは奪わないでくれと、頭を過ぎった最悪の結末を拭い去るようにひたすら地を駆ける。



「トシ!総悟!あそこだ!」



臭いが一層きつく漂う部屋を見付け近藤が声を上げた。それを合図に刀を抜いた土方と沖田は、戸惑うことなくその部屋へと駆け込み……言葉を失った。



「……なっ……!?」

「…………こりゃ酷ぇや」

「化け物って………まさか……」


駆け込んだ先で真っ先に目に飛び込んできたのは、おびただしい量の血、血、血……。
床や壁に飛び散るそれらは、まさしくこの鼻に付く臭いの原因であった。



「いくら敵とはいえ、これは……やり過ぎだ……っ」



余りの惨さに、近藤がぽつりと呟く。
肉塊となった男達が床にゴロゴロと転がる部屋……その中心に佇む男を咎めるように。



「………佐々木殿…!!」



屍に囲まれ立ち尽くす様子から、この惨劇を作り上げたのが佐々木だというのは明白だった。逃げ出してきた天人が化け物と呼んでいたのも、恐らく彼のことだろう。

純白であった隊服の殆どを真紅に染めた佐々木は、握る刀の切っ先から赤色を滴らせ、ある一点を見つめたまま動こうとしない。

その視線を辿るように瞳を動かし、土方は息を呑んだ。




「…………なまえ…?」




赤く広がる水溜まりに、まるで浮かぶように横たわっている小さな体。
綺麗に結い上げていた髪の毛も、しっかりと着込んでいた着物も乱れて崩れ、剥き出しになった肩はぴくりとも動かない。

眠るように目を閉じているその顔は、仮面のように青白かった。



「なまえ!?おい!!なまえっ……なまえ…っ!?」



弾かれるようにしてなまえの元へと走り寄る。
近付けば、彼女もまた佐々木のように着物を血で染めているのがわかった。


――違うだろ?これは全部返り血で……この酷い有様にただ気を失ってるだけで…………お前は、無事なんだろう……?


一際赤色が濃く滲む彼女の腹部に震える手を伸ばせば、触れた指先が生温かいそれにドロリと染まる。



「っ…………」



間違いなく、彼女から溢れ出たものだった。



「トシ!なまえちゃんは……!」

「…………を呼べ………」

「……おい、トシ…」

「医者を呼べっつってんだよ…!!」



声を荒げた土方に近藤は目を見開き、悲痛な表情を浮かべた。
こんな……よりによって………。



「くそっ………死ぬんじゃねぇ……死ぬんじゃねぇぞ…!!」



なまえを抱き上げて部屋を出ていく土方に、佐々木は何も反応を見せなかった。



「……俺が行きまさァ」

「あぁ……頼む……」



土方を追って走り去る沖田を背中で見送り、なまえがいた場所を放心したように見つめ続けている佐々木に近付く。




「佐々木殿……教えてくれ……」




此処で、一体何が―――――。











――
―――
―――――







洞窟に響いた男の笑い声を辿り、佐々木と信女は犯人達が集う部屋へとたどり着いた。
息を潜めて覗き見た部屋の中央で踏ん反り返って酒を呷る大男に、二人は奴が親玉だと確信する。



「異三郎、どうする……?」

「宴会めいたものを開いているということは、恐らく全員が此処へ集まっているとみて良いでしょう………敵を殲滅し、それから被害者を探しましょう」

「………わかった」



頷き一呼吸置いた後、二人は素早く部屋へと飛び込む。
手始めに出入口付近にいた男達を斬り捨てながら、部屋の中央へと走り近付いた。



「お、親方ぁ…っ!し、侵入者です!!」

「…………あぁ?」

「どうも、お巡りさんです。楽しげな宴会中に申し訳ありませんが、貴方がたを逮捕しに参りました。……と言っても、生きたまま逮捕するつもりはありませんが」

「ほぉ……一応聞いておくが、俺達は一体何の容疑で逮捕されんだぁ?」



ニヤリと笑う大男に佐々木は表情を変えず口を開く。



「身に覚えがありませんか?」

「あぁ、ねぇなぁ」

「おかしいですねぇ……女児連続誘拐に未成年監禁の疑い……それから、薬物の原料となる花の栽培・密輸などによる薬事法違反……これだけ罪名を並べても身に覚えがないと?」

「はっ……色々と知った口を利くようだが、証拠が無けりゃ逮捕することは出来ねぇ。爪が甘かったなぁ、お巡りさんよぉ。

…………なぁ?お前もそう思うだろう?」



大男が何処からともなく細い腕を引き寄せた。男達の陰で隠れていたらしいその細腕の持ち主は、意識を失っているようで大男の胸元へと力無くもたれ掛かる。

ざんばらになった髪で顔は見えないが、見覚えのある着物に、佐々木の心臓が大きく跳ねた。


――――まさか、そんな、



「…………なまえ、さん…!?」



何処か別の部屋に監禁されているとばかり思っていたなまえが、此処にいる。

それも、ボロボロの状態でいやらしい笑みを浮かべた男に肩を抱かれて。


――佐々木の中で、何かが音を立てて崩れていく。



「…………なまえを離して」

「あ?なまえっつーのは、コイツのことか?まさか見廻組の知り合いだったとは………だが、まぁ……離せと言われても、そりゃ無理な話だぜ姉ちゃん。

何てったってコイツは――――」



俺の玩具なんだからな。



そう言って笑った大男に、真っ先に斬り掛かったのは佐々木だった。
すかさず他の手下らしき男達が大男を庇うも、佐々木の抜いた刀は構わず相手を斬り倒していく。



「…………彼女を離しなさい」

「くくっ……はははは…!成る程、淡泊そうなお巡りさんもいっちょ前に女に夢中って訳か。なら尚更無理な話だ……見廻組局長の弱み、みすみす手放す訳にはいかねぇなぁ!!」



言いながら大男は見せ付けるようになまえの着物を肩まではだけさせる。その乱暴な手付きに、彼女も漸く意識を取り戻した。



「……ん…っ」



ゆっくりと瞼を持ち上げたなまえが佐々木の姿を目にした瞬間、その瞳からボロボロと大粒の涙が零れ落ちた。



「ぁ……さ、佐々木……さん…?」

「お?起きたか……コイツを片したら今度こそ可愛がってやるからな」

「い、や……嫌っ……佐々木……さん……!」



助けて。助けて。



うわ言のように佐々木に助けを求めるなまえに、佐々木の全身の血がカッと沸き立つ。



「信女さん……貴女は他の被害者の方を探しに行って下さい」

「嫌。私もコイツ殺したい」

「…………局長命令です。今すぐ此処から立ち去りなさい。この男を仕留めるのは…………私です」

「………………わかった」



酷く不機嫌な様子で周りの男達に当たり散らしながら立ち去っていく信女を尻目に、佐々木は刀を構える。

この男だけは、自らの手で消し去らなければ気が済まない。



「くくく……その様子じゃあ、この嬢ちゃんによっぽど入れ込んでるようだな」

「その口、すぐに使えなくして差し上げますよ」

「まぁそうかっかするな。俺ぁ純愛ものっつーのは割と好きなんだ……お前さん達の綺麗な想い合いっぷりには負けたぜ」



ほら、嬢ちゃんを返してやるよ。

そう言ってなまえを腕から解放すると、佐々木の元へ行くよう背中を押しやる。
大男の突然の変貌ぶりを不審に思いながらも、こちらに手を伸ばしフラフラと歩き始めた彼女に佐々木もその手を伸ばした。



「さ…佐々木さん……」

「なまえさんっ……すぐに外へ……」

「っ……………ぁ……」



もう少しで手が届くほんの僅かな距離……しかし、二人の手が重なり合うことは無かった。

苦しげに息を吐いたなまえの腹部から、赤を纏って突き出る刃。



(何が………起きた…………?)



静かに崩れ落ちていく彼女の背後で、男がニヤリと笑った。



「純愛ものっつったら……ハッピーエンドよりバッドエンドの方が切なくて良いよなぁ……。お巡りさんもそう思わねぇか?」

「な、にを……………なまえ、さん…?」




佐々木の呼び掛けに応えることなく、横たわった彼女は静かに目を伏せた。
じわりじわりと広がる赤色に、佐々木の頭の中が霞んでいく。






『おはようございます、佐々木さん!』




あぁ、なまえさん。




『佐々木さん、ありがとうございます』




――――なまえ、さん。






「心配しなくとも、お前もすぐに同じところへ連れて行って…………ぅぐ!?」

「っ…親方ぁ!?」

「おい、お前等!親方を守れぇぇ!!」




(…煩い………)




「……嘘だろ…!?こんな…っ」

「ひぃっ…ば、化け物…!!」

「や、止めてくれ!もう、降参してっ……ぎゃあぁぁぁ…!!」




(…………煩い……!)




許しを請う声に響く断末魔……そして、肉の裂ける音。
……違う。聞きたいのは、そんな耳障りなものなんかじゃなくて。





鼓膜を優しく揺する あの子の






『……佐々木さん』











………気が付けば、辺りは真っ赤に染まっていた。

敵は殲滅した……けれども、佐々木はその場から動くことが出来なかった。

倒れるなまえに駆け寄りたい想いと、それが出来ずに立ち尽くす体。






――――
――







彼女を利用したのは自分だ。

しかし、同時に守ろうとも思っていた。




それなのに………。






「……………私は……彼女を守れなかった………」





生温い血が掌を伝い、彼女に触れる資格すら失った気がした。












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