此処へ連れて来られてから、一体どれだけの時間が経ったのだろうか。
いつの間にか意識を失っていたなまえは冷たい床の感触に目を覚まし、肩を震わせながら視線を辺りにさ迷わせた。

未だ体は動かせないままだが、意識はだいぶはっきりしてきている。
自分は誘拐されたのだ。巷を騒がしている誘拐犯によって。




(佐々木……さん………っ)




あの時、恥ずかしがらずに一度でも振り返っていれば……きっとこんなことにはならなかった。彼は、突然姿を消した私を心配しているだろうか。


………彼だけじゃない、初めて友達になってくれた信女さんや自分を家族同様に受け入れてくれている真選組の皆だって―――





もしかしたら…もう、会えないかもしれない……。





脳裏に浮かんだ優しく不器用な彼らの姿に、なまえの瞳からホロリと涙が零れる。
拭うことの出来ないそれは、静かに床を濡らしていった。



「…ふ………うぅ……っ」

「何だ、嬢ちゃん。泣いてんのか?」

「っ……!?」



笑みを含んだ聞き覚えのある声にビクリと体を震わす。意識がはっきりとしてきた分、恐怖心が先程よりもうんと膨らんでいるらしい。

恐怖のあまり目をきつく閉じると、男が顔のすぐ横で屈むのを感じた。



「そんなに怖がらなくても大丈夫だって……花の香りをもっと嗅げば、此処が天国にだって感じるさ」

「ひっ……や、め………っ」



指で涙をなぞられ、体の震えが増す。
恐る恐る目を開いて見た男の顔は、初めて出会った時同様に人好きする笑顔だった。
この状況を目の前にして、こんなにも愉快そうに笑うこの男は、やはり人間ではないのだろう。
……さながら、悪魔か死に神のようだ。



「なぁ、とりあえず泣き止んでくれよ。今からアンタを親方に会わせるんだから……さ…!」



強い力で鼻と口元を布で覆われる。
しまった、と思った時にはもう遅い。きつい花の香りが再び頭を痺れさせ、なまえの意識は途端にぼんやりとしたものに変わり、嗚咽もピタリと止まった。



「…………っ……」

「よしよし、イイ子だな。あぁ……ちょうど親方も来たみたいだ。
……親方!こちらです!!」



親方と呼ばれ、どしりどしりと床を揺らしながら現れたのは、スキンヘッドで強面の2メートル程の身長を持ったとてつもなく大柄な男だった。

この男もどうやら人間ではないようで、その証拠になまえを連れ去った男同様、橙色の花が体から生え咲き乱れている。

……どういう訳か、彼は頭ばかりに花が集中して咲いており、まさに頭はお花畑。
普通の人間がそれを目にすれば、堪え切れず吹き出すこと間違いなかったが……もはや朦朧とした意識のなまえには、笑いどころか恐怖すら湧き出ることはなかった。



「コイツか?最後の獲物は……」

「へい、親方。しかも、この嬢ちゃんは花の香りを吸い込んでも喋ることが出来た強者です。さぞかし良い要素になるんじゃねぇかと」

「ほぉ……どれどれ?」



親方と呼ばれた男は先程の男と入れ替わるようにしてなまえの顔の近くに腰を屈める。値踏みするようにまじまじと覗き込んできた男の表情は嬉々としたものだったのだが……見る見るうちに鬼の形相へと変わっていった。



「おい、コイツを連れてきたのはてめぇか?」

「そうです!どうですか?上玉でしょ……ぐぇ…っ!!」



誇らしげに笑う男の言葉は、最後まで続くことはなかった。彼の脇腹を大男が殴り付けたのだ。
ドサリと床に投げ出された男に、意識がしっかりとしていないなまえもさすがに小さく息を呑んだ。



「お、や……かた……!?」

「てめぇ、ふざけたこと抜かしてんじゃねぇぞ。コイツのどこが上玉だ……コイツは、どう見ても二十代じゃねぇかァァァ!!」

「なっ……嘘、だろ……?!」



目を見開いて驚く手下に、大男は“てめぇの目は節穴か!?”と今度は脇腹に蹴りを入れる。
手下の男は痛みよりも驚きの方が勝っているようで、腹を摩りながらなまえを頭の先から爪先まで何度も見返した。



「この嬢ちゃんが……二十代……」

「ふん…だから目利きの無ぇ奴は困るんだ。まぁ良い、連れて来たからには帰す訳にはいかねぇからな……。
なぁ、お嬢さんや。お前さんは自分がどうして拉致られたか聞いたか?
………俺達に喰われる為さ。喰われてこの美しい花の養分になるんだ…光栄なこったろう?

だが……残念ながら二十代のお前さんは喰う気が起きねぇ……。
どうするかな……殺すか…それとも俺の玩具にしてやろうか……」



男はいやらしい笑みを浮かべると、なまえの着物の襟元をむんずと掴む。



「決めた。お前は玩具にしてやろう……たっぷり遊んでやるからな?」



逃げ出すことは疎か…手を振り払うことすら出来ぬまま、睫毛に残った涙だけが頬をゆっくりと伝い落ちた。






誰か、誰か、助けて。





―――助けて……佐々木さん……。









――――
―――




とっぷりと日も暮れ、静けさが辺りに広がり満月が輝きだした戌の刻。
町外れの森にひっそりと存在する洞窟の入口付近にズラリと並んだのは、黒色の隊服だった。



「……見廻組はこれから犯人のアジトであるこの洞窟へ乗り込むっつー話だ。俺達はここら一帯を包囲して、そのまま待機する」

「なっ……副長!俺達が乗り込んでなまえを助けに行くんじゃないんですか?!見廻組なんかに任せるなんて……っ」

「っ…うるせぇェェェ!俺だって原因作った張本人に任せるなんざ真っ平ごめんだっつーんだよ!!
……けど、近藤さんがそう決めたんだ…っ」

「そんな……」



土方の言葉に騒然となった真選組隊士達であったが、上司のその悔しそうな表情を目の前に自然と口を閉じる。

この…何とも言い難い重苦しい雰囲気を物の見事にかち割ったのは、部下達を率いて現れた佐々木の抑揚の無い声だった。



「これはこれは、真選組の皆さん。貴方がたが今この場にいるということは……やはり私達と共にアジトへ乗り込むおつもりで?」

「はっ……俺達は犯人が逃げ出した時の為にアジト周辺で待機すんだよ。いくらエリート様とはいえ、てめぇ等がしくじらないとは限らねぇからな」

「……意外ですね。血気盛んな土方さんのことですから、てっきり一緒に乗り込むのかと」

「それについては俺から話そう」



少し遅れて到着した近藤が隊士達を掻き分けながら言葉を投げる。
そのまま白と黒の境目に立つと、真剣な面持ちで双方を見遣り、続けて話し始めた。



「今回の天人について、短い時間ではあるが我々も調べてみたんだが……いや、細かい話は後にしよう。

……奴らは、明朝に宇宙へ逃亡するつもりだ」

「な…っ!?」

「ほう……」

「もしも逃げられたら捕まえることは困難だろう……。そうならない為に、俺達真選組はアジトを包囲しつつ近辺を隈無く探索して宇宙船を探し出す」

「なるほど。貴方がたが別動隊となり、彼等の足を無くして下さるということですか……」

「あぁ、そういうことだ。だから、佐々木殿……なまえちゃんのことはアンタに任せる。他の娘さん達もだが……絶対に助け出してくれ」



真剣な表情でこちらを見つめる近藤に、佐々木は堪らず視線を逸らす。


“助け出してくれ”?


彼女を利用し、誘拐されるように仕組んだ自分にそれを言うのか。



「…えぇ。被害者達は……彼女は必ず助け出します」

「頼んだぞ。なまえちゃんは、きっとアンタを待ってるはずさ」

「…………おかしなことを。さぁ、そろそろ行きましょうか」



本当におかしなことを言う。

例え彼女が待っているとしても…それは真実を知ってしまえば、いとも容易く消え去る感情だろう。



(なんせ、彼女を利用した時点で、今までの関係は無くなったも同然なんですから……)



佐々木は少しずつ強くなる胸の痛みに気付かぬふりをして、部下達を先導し洞窟の中へと歩みを進める。



「っ………佐々木……!


…必ずなまえを助けろ……必ずだ…!!」



背に受けた土方からの怒鳴り声に、返事は返さず。



「…………」

「異三郎、なまえは………」



黙り込んで歩き続ける佐々木に何かを言い掛けた信女だったが、遮るように洞窟の奥から響き渡った男の笑い声にキッと目を細めた。



「この笑い声……犯人達は奥にいるようですね」

「……異三郎」

「えぇ」



二人顔を見合わせた後、同時に走り出す。

胸に沸き起こった嫌な予感を振り切るように。









((ねぇ、異三郎。なまえはきっと…異三郎のことを待ってる……私もそう思うの))

((………だから…))









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