金木犀の優しい香りのお陰か、昨夜はとてもよく眠れた。 体調も万全。今日こそ庭掃除を……と張り切っていると、控えめなノックの音が耳に届いた。
「なまえさん、今よろしいですか?」
「さ、ささささ、佐々木さん!?あ…ぅ……ど、どうぞ……!!」
あれ?昨日もこんなことがあったような……と、なまえが考えている内に部屋へと入ってくる佐々木。
その後ろから女中が数名現れ、いつもとは違う雰囲気になまえは狼狽えるのをぴたりと止めた。
「あの……今日、何かあるんですか……?」
「ええ。今日は客人が大勢みえますので、なまえさんにはいつも以上にめかし込んでいただこうと思いまして」
「そうなんですか……粗相のないよう気をつけますね」
ペコリとお辞儀をすると同時に、大きな爆発音が聞こえ思わずよろける。
「いっ、今の音って……!?」
「…………早い到着ですね」
すかさず肩を抱き、自分を支えてくれた佐々木にいつもなら頬を染めるなまえだったが……爆発音の正体がわからぬこの現状で、そんな余裕は無かった。
「なまえさん、いいですか。私が呼びに来るまで此処から出てはいけませんよ。 ……皆さんは気にせずなまえさんの準備をお願いします。
それでは、また後で迎えに来ます」
そう言い残すと足早に去っていく佐々木。
彼の後ろ姿に言いようのない不安が胸に広がったが……ニコニコと満面の笑みを浮かべた女中達に囲まれ、また違った意味でなまえの胸は不安でいっぱいになった。
「お着替えにお化粧に……腕が鳴るわぁ〜!!」
「さぁ、なまえ様!そのお召し物をお脱ぎになって下さいまし!!」
「え?……え?……わ、ちょっ……ひゃあぁぁぁっ!?」
―――――― ―――
一方……見廻組屯所の門前は、突然の砲撃に騒然としていた。
砲撃を食らった門付近は原形もわからない程崩れており、見廻組隊士達は警戒態勢を取る。
「すいやせーん。此処にウチの駄目犬が捕獲されてるって聞いたんですが、誰か知りやせんかねー?」
「ちょっとー!?総悟くん、何バズーカ撃っちゃってんのォォ?! ……トシからも何か言ってやってくれ!!なまえちゃんを迎えに来たってのに、これじゃあ争いに……」
「近藤さん、ありゃバズーカじゃねぇ。新手のインターホンだ」
「トシィィィィィ!?」
これ以上事態を悪化させたくない近藤の抑制の言葉など気にも留めず、再びバズーカを門へと向ける沖田。
そんな彼に向けて、何処からともなく短刀が投げ付けられた。
寸での所で避け、刀が飛んできた方を睨む。
投げた人物は……見廻組副長、今井信女。
対峙する二人の間に、ピリッとした空気が流れる。
「……危ねぇじゃねーか。飼い主が飼い犬引き取りに来ただけだってのに、随分と荒い歓迎方法ですねィ」
「煩い。近所迷惑……帰って」
「ウチの犬引き取るまで帰れねぇや。 さっさと連れて来い……チビで間抜面で、“奴隷”って書いてなまえって読む名前の冴えない犬でさァ」
「……ウチには世間知らずで泣き虫で、“鈍感”って書いてなまえって読む名前の犬しかいない。さっさと帰って」
「お、おい……二人共やめねぇか!こんな無意味な争い……」
「その通りです。そのような醜い争い……エリートに有るまじき行為ですよ、信女さん」
「てめぇ……佐々木…!」
凛とした声色が響き、辺りが静まり返る。 そのことに満足げに頷くと、佐々木は完璧な動作でお辞儀をした。
「真選組の皆さん、ようこそいらっしゃいました。貴方がたの用件はわかっていますよ……なまえさんでしたらすぐに私が連れて来ます」
「なら早く連れて来ねぇか……!」
「その前に……」
「あぁ?」
「……彼女をまた此処へ連れ出すことをお許し下さい。尤も、許可が無くとも今回のように連れ出してしまうでしょうが」
「なっ……誰がそんなこと許す……「佐々木さーん!信女さーん!」……なまえ?」
ふわふわとした雰囲気を漂わせて駆けて来たのは、今し方話題の種とされていた人物……なまえである。
彼女は佐々木に見立てられた上等な着物や装飾品に包まれ、まるで何処かの令嬢のように仕立て上げられており……、 いつも幼いと言われていた顔立ちも、化粧によって年相応のものへと変貌を遂げていた。
普段のなまえを知っている真選組一同は、信じられないと思わず凝視する。
「あれ!?ひ、土方さん……皆さんもどうして……」
「どうしてって……そりゃ、お前を迎えに来て……それよりお前、本当になまえか……?」
「わ、私のこと忘れちゃったんですか!?」
「少なくとも……こーんな小綺麗な血統書付きみてぇな犬、ウチにはいやせんからねィ。 ………なまえの癖に生意気でさァ」
「えぇっ……ひ、酷い…!」
土方や沖田の言葉に泣きそうになっていると、佐々木に頭をそっと撫でられ、目線を合わせるように顔を覗き込まれる。
「なまえさん、私はお呼びするまで待っているようにとお伝えしたはずですが……?」
「あっ…!す、すみません……。 佐々木さんや信女さんが危険な目に合っているんじゃないかと、心配になって……」
「…………貴女という人は……。 ……この通り、爆音の正体は真選組の皆さんです。危険なことなど何もありませんよ。 ……ご心配をお掛けしてすみませんでした」
「い、いえ!こちらこそ、言い付けを守らずすみませんでした……」
何やら親しげな様子の二人に、土方はヒクリと顔を引き攣らせるとなまえの腕を掴んで引き寄せた。
(何なんだ……この、異様な雰囲気は……!)
「おい、なまえ。随分と佐々木に懐いてるみてぇじゃねーか……その上等そうな着物もアイツの見立てか?あぁ?」
「え、あ……えっと……」
「ええ、私の見立てですよ。とてもよく似合っているでしょう?」
「チッ……てめぇの見立てじゃなきゃもっとマシに見えただろうな。 ……大体、どういうつもりでこんな……」
「愚問ですよ、土方さん。 言ったでしょう……私色に染めると。 どうせ染めるのなら、中も外も染めてしまおうと思いましてね」
「っ……下らねぇ。行くぞ」
「あ……ま、待って下さい…!まだきちんとお礼をしてないです……っ」
焦ったように土方の手を解いて佐々木と信女の元へと駆けていくなまえ。 そんな彼女を土方は呆然と見つめた。
「……いろいろとお世話になりました。此処で楽しく過ごせたのは、お二人のお陰です。本当にありがとうございました」
「……攫われた人の台詞とは思えませんね。しかし、そう思っていただけて安心しました……ありがとうございます」
「なまえ、期間限定のドーナツが近いうちに出るって……一緒に食べに行こう?約束」
「っ……はい、約束です!!
……………それでは、行きますね」
「……なまえさん」
「はい?……っ!?」
佐々木は踵を返したなまえの手を後ろから掴んで軽く引くと、よろけた彼女を支えつつ耳元へ唇を寄せそっと囁いた。
「……明後日、そちらへ伺います。 正午までには出掛ける準備をしておいて下さい……皆さんには内緒ですよ?」
「は、は…い……!」
茹蛸のように顔を真っ赤にさせて戻って来たなまえに真選組一同は不思議に思ったが……
土方だけは眉間の皺を濃くし、
ザワリと起こった妙な胸騒ぎを掻き消すように、新たな煙草へと火をつけた。
(あの……皆さん、来て下さって本当にありがとうございます!) (言い出したのは土方さんでさァ) (え、そうなんですか……?) (べっ、別に!?寂しいとかそんなんじゃねぇよ?!お前がいないとマヨが足りなくてだな……っ) (アッハッハ!トシは本当に素直じゃねぇなぁ!!)
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