「なまえ、おはよ」
「……信、女…さん……おはようございます……」
「もうお昼だけどね」
「…………………えぇぇぇっ!?」
起こしに来た信女の衝撃的な一言で、虚ろだった意識が一気に覚醒する。 招かれた先で何たる失態だと、なまえは慌てて飛び起きた。
いつもは早朝に目が覚めるのだが……何分昨夜は佐々木の説教が長々と続き、床に就いた時間が遅かったのだ。
「す、すみませんでした!朝餉どころかお昼の手伝いすら出来なくて……っ」
「お客は手伝いなんてしなくていい。それに、朝からごたついてるから……丁度よかった」
「……そうなんですか?」
「そう、だから気にしないで。それより早く支度して……今日はなまえの買い物」
「え、あ、そうでしたっ!!」
「私は一緒に行けないけど、楽しんできて」
「……はい!」
―――――――――― ―――――
真っ赤な生地に古典柄がよく映える、それはそれは上等な着物に身を包み、なまえは佐々木と二人で江戸の町を歩いていた。
「…………佐々木さん……あの、こんな高価な着物をいただいてしまってすみません……」
「ワイシャツ一枚で出られては困りますからね。………よく似合っていますよ」
「…!!あ、ありがとうございます……」
こちらに視線を寄越し、賞賛の言葉を口にする佐々木になまえの頬が赤くなる。 どうも昨夜の出来事が頭にちらつき、彼の言動に過敏に反応してしまう。
恥ずかしさから視線を外すと、雑踏の中から聞こえてきたある会話がなまえの耳に留まった。
「…なんでも、今度は呉服屋の娘さんだって…」
「まぁ……可哀相に……」
不安げにヒソヒソと話し込むおばさん達を見て、なまえは江戸で起こっている誘拐事件を思い出した。
「佐々木さん、信女さんに朝から少しごたついていると聞いたのですが……もしかして……誘、拐とか……」
「……察しのいい方ですね。貴女のおっしゃる通りです。今朝、呉服屋の一人娘が誘拐されました。新聞を取りに行った僅かな時間でのことだったそうです」
「そんな……」
「彼女で14人目……恐らく、犯人は攫う相手を決めているのでしょうね。場所、タイミング、人目の有無……全てが揃う時を熟知してからの犯行なのは明らか……」
佐々木の話を聞いていく内に、なまえの顔はみるみる青くなる。 そんな彼女の様子に気付いた佐々木は、一つ咳払いをするとなまえの頭に手を置いた。
「……貴女が心配する必要はありません。事件はお巡りさんに任せておけばいいのです。……さ、買い物を続けますよ」
「はい……」
「………ところで、貴女は欲しい物が無いんですか。先程から全く足を止めないじゃないですか」
「へ?あ……えっと……実は、どこで何を買ったらいいのかわからなくて……」
「…………」
……口は災いの元とはこのことだろうか。 なまえの一言を聞いた後、佐々木は率先して店に入り、高価な品物を容赦無く購入していった。
次々と増えていく買い物袋になまえの血の気はどんどん引いていき、佐々木が超高級簪を手にしたのを見た時は思わず卒倒しかけた。
(簪……やめてもらえてよかったです……)
飛んでいった金額を考えると頭が痛い。 やや俯きながら佐々木の後ろを少し離れて歩いていると、突然目の前に橙色の花が現れた。
驚いて顔を上げると、感じのいい男性がニカッと笑いながら花を差し出していた。
「あの、これ……」
「嬢ちゃん元気なさそうだったからさ。この花、いい香りがするんだ……やるよ」
「え、もらってもいいんですか……?」
「おう!……なあ。匂い、嗅いでみ?」
言われるまま花の香りを吸い込むと、頭が痺れるような甘い香りがフワリと広がる。
「すっごくいい香り……!こんな花あるんですね……私、初めて見ました!」
「はは、喜んでもらえてよかった。俺はこの先の路地裏で露店開いてんだ。またその花が欲しくなったら、いつでも来いよ」
「はい!ありがとうございます!」
「ああ、じゃあな」
男性と別れ前方に視線を移すと、随分前を歩いている佐々木の姿を見付けハッとする。 ……また知らない人から物をもらってしまった。 今は見廻組にいるので土方に叱られることはないが、佐々木に説教される可能性は大いに有り得る。
もう説教は懲り懲りだとなまえは着物の袖に花を隠すと、急いで佐々木の元まで駆けて行った。
――――花の香りは 彼女しか知らぬまま
(佐々木さーん!私、欲しい物ありました!) (おや、何ですか?) (信女さんへのお土産です!) (…………) (……ダメですか?今日一緒にお買い物出来なかったので……) (……いいえ、信女さんも喜びます。ドーナツでも買って帰りましょうか) (はい!!)
(…………貴女のそういう所、嫌いじゃないですよ) (……?何ですか?) (いえ、何も)
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