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▼ ホークスと事務員

九州を中心に活動しているというのに全国に名を馳せる有名ヒーロー、ホークスの事務所と事務員として働き始めて、2年が経過した。ホークス自身はほとんど事務所から出て街をパトロールしたり、遠方でのチームアップ要請に応えているためホークス事務所で働いているんだよ、と言った時の色目めきだった友人の反応に見合うだけのものはないけれど、ホークスが率先して誰より早く事件を解決してくれるため、街にも、事務所のサイドキックたちにも、他よりもかなり余裕があると思う。ただ、ホークスが様々な事件を瞬時に解決していくので、ヒーロー協会への報告書の作成等で事務所唯一の事務員であるわたしが常に大慌ての状態だった。わたしも速すぎる事務処理能力を持ってたら、と悔やまずにはいられない。最近では見かねたサイドキックの皆さんが手伝ってくれることもあるけれど、彼らはあくまでサイドキック。つまり、ヒーローなのだ。甘えてばかりではいけない。もうすぐ定時ではあるのだが、やらなければならない仕事はまだまだたくさんあって、わたしが帰るのはまだ数時間後になりそうだ。決してブラックな職場ではなく、残業したらその分残業代は支払われるし、どうしても外せない用事がある時は考慮してもらえるから転職を考えたことは一度もないけれど、この多忙さから解放されたいと思うことが時々ある。

「どうしたんですか?ボーッとしちゃって」

目の前でひらひらと手を振られてハッと我にかえる。いつものヒーローコスチュームに身を包んだホークスが怪訝そうな顔をしてすぐ近くに立っていた。いつもは定時まで帰ってこないのに、今日は少し早いお戻りだ。とはいってもサイドキックの皆さんはいないので、ホークスが解決した事件の事後処理に追われているのだろう。全員戻ってきたらまた仕事が増えるんだろうな、と思うとボーッとしている時間なんてなかった。そして何よりも、雇用主であるホークスにサボっていたと思われては心証がよろしくない。

「す、すみません!」

「いやいや、みょうじさんはいつも一生懸命支えてくれてるんで、少し昼寝してたくらいじゃ怒ったりしませんよ」

「昼寝はしてないです……」

コーヒー淹れますね、と席を立ってホークスと自分のコーヒーを淹れに給湯室に向かうと、何故かホークスが紅い大きな翼を携えて給湯室までついてきた。水を入れたやかんを火にかけながら、ついてきただけで何かをする様子のないホークスを振り返る。

「何か必要なら持っていきますよ?」

「みょうじさん、お疲れですか?」

わたしの質問を無視して問いかけられ、ホークスの意図が読めなくて眉を寄せてしまう。わたしはずっと事務所にいるだけだから、外にでて敵と対峙しているホークスやサイドキックたちの方が疲れているに決まっているのに。

「ウチにはみょうじさんしか事務員がいないんで、無理させちゃってるかな〜とは思ってたんです」

「そんな……確かに忙しいですけど、それはホークスがたくさんの人を守ってくれている証拠でしょう?」

「それは買いかぶりすぎな気がしますけどね」

そんなことないですよ、と言いながら給湯室の棚から出したミルでコーヒー豆を挽き始める。インスタントもあるし、インスタントコーヒーを出したところでホークスが文句を言ったことはないけれど、豆から挽くのは仕事を終えて帰って来たヒーローにはなるべく美味しいものを出してあげたい、というわたしの勝手なポリシーである。ゴリゴリと削る音とコーヒーのにおいがする給湯室で、今までホークスとこんなにふたりきりで話すことなんてあっただろうか、と思い返してしまう。いい香りですね、とホークスが豆を挽くわたしの手元を後ろから覗き込んだ。

「俺は我慢できないタイプなんで、自分でやるとインスタントで済ませちゃいます」

「ドリップするのとか苦手そうですよね」

「じっと待ってるのがどうも苦手で」

「ただコーヒーが落ちていくのを見てるのも意外と楽しいものですよ」

先ほどの業務についての話から意図的に逸らされたように感じたが、きっと気のせいなのだろう。話が済んだのならば、ホークスは何故まだここにいるのだろうか。そわそわする気持ちをコーヒーの香りでなんとか落ち着かせて当たり障りのない会話を続けていると、やかんがピー、と音を立ててお湯が沸いたことを知らせる。あと少しで豆が挽き終わるんだけどな、と思いながらもミルから手を離す前に、わたしの後ろにいたホークスの手が伸びてコンロの火を止めた。一気に近くなった距離に、意図せずぶわり、と体温が上がる。

「あ、ありがとうございます」

「いえいえ。たまにはのんびりした時間を過ごすのも悪くないんで」

「その、淹れ終わったらお持ちしますよ?」

「お邪魔ですか?」

雇い主であるホークスに邪魔だなんて言える訳もないし、わたし自身、不思議と今のこの居心地の悪いはずの空間を悪しからず思っていない。そんなことはないですけど、と言いながら、挽き終わった豆をフィルターに移し、少し温度の下がったお湯を全体に注ぎ、30秒ほど蒸らす。そしてフィルターの縁に盛り上がった粉にお湯がかからないように少しずつ、ドーナツの穴にお湯を注ぐ感覚で真ん中にお湯を注いでいく。この時に大量のお湯を注いでしまうと縁の方の盛り上がった粉が崩れてしまうので、慎重に注がなければならない。注いだ分が落ちたら、またお湯を注ぐ。それをずっと繰り返すのだ。ふたりならんでぽつぽつと落ちていくコーヒーを眺める。これは一体なんの時間なのだろうか。そうは思うものの、穏やかに流れていく時間が、このまま続いていけばいいのに、と思ってしまう。

「みょうじさんってコーヒー淹れるの上手ですけど、実は苦いの得意じゃないですよね」

「えっ!なんで知ってるんですか!?」

驚きで手元が狂い、勢いよくお湯が注がれてしまった。ふたり分のコーヒーを淹れ終わるまであと少しとはいえ、香りが落ちてしまったかもしれない。慌てるわたしに肩を震わせるホークスを見ると、そりゃ同じ職場なんで砂糖とミルクたっぷり入れてるところを目にしますよ、と言われるが、給仕をする人間以外は普通そこまで見ていないと思う。いや、ホークスの場合はその個性があるから普通の人よりも周りに敏感なのかもしれないけれど。

「…………からかいましたね」

「そんな素直に反応してくれるとは思ってませんでした」

まだ笑っているホークスに溜め息を吐いて、淹れ終わったコーヒーをマグカップに注いでひとつをホークスの手に押し付けた。すぐにひとくち飲んで、いつも通りうまいです、と言われるが、ぶっきらぼうにありがとうございますと返すだけに留め、自分のデスクに戻ってパソコンと向き合う。作りかけだった報告書を作り終えて事務所の壁にかけられている時計に目を向けると、すでに定時を迎えていた。ホークスが戻ってきて大分経つのにまだ戻ってくる様子のないサイドキックたちのことを考えながら自分で淹れたコーヒーを飲んでいると、ホークスがマグカップを持ちながらわたしの隣までやってきたので、自分のマグカップをデスクに置いて、まだ何か?と首を傾げる。ホークスがわたしのデスクに手をつき、距離がぐっと縮まって一瞬身体が硬直してしまった。みょうじさん。わたしのことを呼んだホークスは、ヒーローコスチュームであるゴーグル越しの目じりを優しく下げて、近いままの距離でへらっとわたしに笑って見せた。

「俺と空の散歩、してみません?」


* * *


「うわあ……!すっごい!高い!飛んでる!」

「いやぁ、そこまで喜んでもらえると連れてきた甲斐があるなぁ」

ホークスの提案に頷いたのは、どうしてだったのだろうか。もしかしたら本当に疲れてたのかもしれない。いわゆるお姫様抱っこという体勢で事務所から飛び立つことに当然羞恥心もあった。男性に抱き抱えられることなんてまずないし、ホークスのことは信頼しているとはいえ、空を飛ぶなんてわたしには未知すぎて、恐怖心からしがみついてしまったため、ホークスとの距離が驚くほどに近い。だけどそんな気持ちは、空の散歩を前にあっという間に吹き飛んだ。定時後ということもあり、街は既に日が落ちて人工的な光が存在を主張していた。普段生活している街が、上から見るとこんな様子だなんて想像をしたこともなかった。そして地面を歩いている時よりも強く感じる風が、より一層空を飛んでいるという感覚を強くする。寒くないですか?とわたしに問いかけるホークスに、興奮のあまり大丈夫です!と勢いよく答えると、ホークスはでしょうね、とへらっと笑った。少しはしゃぎ過ぎてしまっただろうか。だけどわたしの力だけでは絶対に経験できないことを前に平静を装えるほど、わたしは大人ではない。

「元気出たみたいでよかった」

ぱちぱちと目を瞬かせ、給湯室での会話の続きだろうと察する。わたしみたいなただの事務員にまで心を砕いてくれるなんて、本当にこの人は芯までヒーローなのだろう。そして同時に、みんなのヒーローであるホークスに、わたしなんかの下らない悩みまで気にかけさせてはいけないと、そう思った。

「………わたし、仕事に不満があるわけじゃないです。ホークスにも、皆さんにもとってもよくしてもらってるし」

ただ、ちょっとだけ、自由になりたかったのだ。仕事に忙殺される日々から。いろいろなしがらみから。そしてきっと、叶うことがないと誰よりもわかっている、恋心から。

「でも、ホークスのおかげでそんな気持ちも吹っ飛びました。空ってすごいですね!」

ホークスに伝えることは絶対にしない。仕事と恋を秤にかけるなら、わたしはきっと仕事をとる。それくらいには、今の仕事が好きだった。ヒーローに憧れたこともあった。それでも個性とか、自分の能力を考えたらどうしたってヒーローなんて向いてなくて、それでもどこかで関わっていたくてこの仕事を選んだのだ。ホークスに拾ってもらえたのはたまたまだけど、わたしがホークスのサポートをすることが、回りに回って人を助けていることに繋がるかもしれない。そう考えると、事務所に届くホークスへのお礼の手紙や電話に、まるで自分のことのように嬉しくなるのだ。黙って話を聞いてくれていたホークスが、高いビルの屋上に着地して、わたしを降ろす。まだ足元がふわふわしていて、少しよろけるがすかさずホークスが支えてくれた。

「すみません、ありがとうございました。また明日からもホークスたちの力になれるように頑張ります」

「なーに言ってるんですか。夜の飛行デートはまだ終わりじゃないですよ」

「デートって……そんなこと言うと勘違いされちゃいますよ」

ふふ、と笑うとホークスがわたしの夜風で冷たくなった頬をグローブを着用している手で撫でる。本当に、こんなことされたら勘違いしてしまう。もしかしたら、ホークスも、なんて。だけどわたしの期待のこもった視線を素知らぬふりして、頬を撫でていた手がわたしの頭にぽん、と乗せられる。

「なまえちゃんはいつも頑張っとーけんね」

さ、帰りましょっか。何事もなかったかのようにぐっと伸びをしたホークスに再び抱えられて空の散歩に舞い戻る。しかし、先ほどと違って下を見る余裕なんてない。ただ、赤くなってしまった顔をホークスに見られないように、彼の肩口に押し付けるのに必死だった。そんなわたしをからかっているのだろう。またデートしましょうね、とホークスがケラケラと笑った。


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