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あれから迅くんがわたしの前に姿を現すことはなく、2週間ほどが経過した。迅くんがいなくてもわたしの世界は回るし、それは迅くんも同じだろう。わたしと迅くんの関係は、わたしが思っていたよりもずっと薄っぺらくて、壊れやすいものだった。今さらそれがわかったところで、もうどうしようもないのだけれど。わたしは迅くんを許せないし、迅くんももうわたしの前に現れる気はないのだろう。

「迅と喧嘩したのか?」

「……嵐山くん」

いつものように講堂の後ろの方の目立たない席に座って講義が始まるのを待っていたわたしの隣に座ったのは、いつも真面目に前の方の真ん中あたりの席に座っているはずの、嵐山くんだった。ボーダーの広報担当ということもあり、一部ではアイドルのような扱いをされつつある嵐山くんが隣に座っているというのは周りの目が気になってしまうところではあるが、嵐山くんがおはよう、の後に真っ先に口に出した話題が、わたしの中で最もデリケートなものだったので、少し目を伏せるだけに留めた。今日はお仕事ないんだね、と言うと、嵐山くんは夕方からなんだといつもの爽やかな笑顔をわたしに向けた。講義を受けてまたすぐ仕事なんて、相変わらずお忙しいようだ。

「仲直りは出来ないのか?」

「……嵐山くん、やけに気にするね」

一回話を流したと思っていたのに、もう一度迅くんの話に戻ってしまった。よっぽど気になるんだろうか。

「珍しく迅があからさまに落ち込んでいたからな」

嵐山くんの視線は、真っすぐすぎて得意じゃない。もともと顔が整っているのもあるし、誠実が形になったような人柄に、わたしの汚いところが浮き彫りにされてしまいそうな気持ちになるのだ。だけど、迅くんが落ち込んでた。そう言われても、きっとそれはわたしと会わなくなったからじゃない。どういうつもりかはわからないけれど、下手をうったことに対する自己嫌悪だろう。

「確かに、迅は難しいところがあるとは思う。でも、」

「ごめんね、嵐山くん」

どうしても、迅くんの顔を見れそうにないの。嵐山くんの言葉を遮って拒絶する。そして、教授が入ってきたのをいいことに話を強制的に終わらせて、講義が終わったら早々に席を立った。気にかけてくれている嵐山くんにこんな態度をとるのは心苦しいけど、本当に、迅くんとのことに触れてほしくなかったのだ。もう、忘れてしまいたい。忘れて、他の人を好きになって、人並みに幸せな人生を送れれば、それでいい。そんなことを思って嵐山くんに酷い態度をとったから、きっと罰が当たったのだろう。大学の講義が終わって夕方、夜からシフトが入っているコンビニのバイトに向かう途中で警戒区域にこっそりと入っていく小学生くらいの子供2人を見つけてしまった。え、と思わず声が出る。警戒区域の中には、近界民が現れる可能性がある。ボーダーは特殊な技術で、近界民が現れる範囲を絞ってくれていて、その中に現れた近界民をボーダー隊員が倒すことによってわたしたちは安心してこの三門市で暮らしていられるというのに、わざわざ自分から警戒区域に入っていくなんて、ちゃんと理解していないのか、度胸試しのつもりなのか。放っておいてもきっとボーダー隊員があの子たちを助けてくれるだろう。そうは思うけれど、本当に?と疑問が頭を過る。ボーダーはすごいけど、こんな風にこっそり警戒区域に入ってしまった子供たちが、ボーダー隊員に回収される前に近界民に襲われないと、どうして言いきれるのだろうか。今なら、まだ追いつける。追いかけて、なんとかしてすぐに連れ戻せば。

「絶対に警戒区域に入んないで」

いつか、迅くんに言われた言葉が頭を過る。でも、ここで見捨ててしまってあの子たちに何かあったら。

「大丈夫。なまえも、他のひとたちも、おれたちがちゃんと守るから」

それは、今でも?迅くんを拒んでしまったわたしも、迅くんは守ってくれるのだろうか。ぶんぶん、と頭を大きく振る。余計なことを考えている場合じゃない。警戒区域を知らせるフェンスを乗り越えて、子供たちを追いかけた。すぐに見つけた子供たちの手を掴んで、警戒区域に入ったらダメ!と声を固くして引っ張る。ネイバーなんてこわくない!と暴れる子と、やはり怖かったのか、微かに震えながらわたしについてこようとしている子。なんとかふたりとも歩かせて、警戒区域の外を目指して振りかえらずに早足で歩くと、唐突に暴れていた子が、うわあああああ!と悲鳴を上げた。その悲鳴に振りかえると、先程まではいなかったそこに、巨大な、近界民がいた。ひっ、と引き攣るような声が出る。でも、まずこの子達を逃がさなきゃ。身体が大きい分、わたしの方がきっと逃げやすい。走って!と警戒区域外を目指して子供たちを走らせ、わたしは少し方向を変えて走る。運がいいのか悪いのか、近界民はわたしを追いかけてきた。ボーダー隊員が来れば助かる。でも、それまでわたしは逃げ切ることができるのだろうか。懸命に走るが、近界民との距離はどんどん近付いていき、恐怖から足が縺れ、転んでしまった。もうだめだ。死を覚悟して、ぎゅっと目を閉じる。

「………じんくん、」

ちゃんと話せばよかった。頭ごなしに怒るんじゃなくて、どうしてって理由を聞いて、そしたらもしかしたら、わたしが期待する答えが返ってきたかもしれないのに。何かが崩れるような大きい音がして、ゆっくり目を開けると、わたしを追いかけてきていた近界民が倒れていた。近くに複数の人影があって、ボーダー隊員だ、と理解する。逆光で、影しか見えない。だけど、つんつんした髪のシルエット。迅くん?期待を込めて名前を呼ぶと、生身では考えられないような動きで、わたしに近づいてくる。

「みょうじ!怪我はないか?」

今朝、嫌な態度をとってしまったばかりの、嵐山くんだった。迅くんでは、なかった。せっかく助けてもらったのに、嵐山くんに失礼だと思うのに、落胆してしまう。近界民が倒されて安心したのか、カタカタと、今さらになって手が震えているのを感じる。掠れた声でだいじょうぶ、と伝えると、嵐山くんは安心したようにホッと息を吐いた。

「ここは警戒区域内です。一般人は警戒区域に入ってはいけないことくらいわかっているでしょう」

嵐山くんと同じ赤い服を着た女の子。嵐山くんと一緒にテレビに出ているのを見たことがある。確か、嵐山隊の木虎さん。まだ中学生の女の子だったと思う。記憶があいまいなのは、迅くんと一緒にいる時に嵐山隊のインタビューが流れたりすると、いつも迅くんがそっとチャンネルを変えるからだ。嵐山隊だけじゃない。ボーダー関係の話をなるべくわたしに見せないように、迅くんはしていた。

「こ、こどもが」

あの子たちが無事に警戒区域から出られたのかわからない。だから、嵐山くんたちに確認してもらわなければ。

「小学生くらいの子供がふたり、警戒区域に入っていくのを見て、連れ戻さなきゃって」

わたしの話を聞くなり嵐山くんは充、賢、と隊員と思わしき人たちの名前を呼び、子供たちの安否を確認するように指示して、わたしの手を引っ張って立たせた。

「もう大丈夫だ」

いつもの笑顔を向けてくれる嵐山くんは正しくヒーローのように見える。ただ、すぐに申し訳なさそうに眉尻を下げて、本部までついて来てほしい、と言われ、どんな事情があったにせよ、ルールを破ったのはわたしなのだから、ふたつ返事で了承した。嵐山くんに連れられて無機質な印象を受けるボーダー本部に初めて足を踏み入れ、中に誰もいない部屋に通される。

「悪いがここで少し待っていてくれ」

「……うん。助けてくれて、ありがとう」

「いや。みょうじが無事でよかった」

笑顔でわたしの肩をポン、と叩き、嵐山くんは部屋を出て行った。テーブルとイスだけが置かれた部屋。椅子に座ってただテーブルをぼーっと見つめた。バイト先に連絡を入れていないけれど、大丈夫だろうか。長く働いていて無断欠勤なんてしたことないから、一回くらい店長も大目に見てくれるかもしれないけれど、申し訳ないことをしてしまった。わたしはこれから、どうなるのだろうか。警戒区域に勝手に入ったことをボーダーの人に怒られるのかもしれない。それでも、生きているだけで十分だと思うから甘んじて受けるしかないけれど。扉が開く音がして顔を上げると、ここ2週間顔を見ることがなかった、迅くんの姿があった。

「……随分、無茶したんだって?」

「……うん。嵐山くんに、迷惑かけちゃった」

迅くんが何を考えているのかわからない。この間と違って怒っているのかも、わからなかった。怪我は?と淡々と聞いてくる迅くんに大丈夫、と返す。本当は転んだ時にあちこち擦りむいていたのだが、わざわざ言うほどのものではないだろう。しかし迅くんはずかずかとわたしに向かって歩いてくると、手を掴んで擦り傷を確認した。同じように足にもちらりと視線を送って、溜め息を吐く。

「だから警戒区域には入んないでって言ったでしょ」

返す言葉もなく、ごめんなさい、という言葉だけ絞り出す。迅くんの冷たく感じる態度に、自分の情けなさや先程の近界民に襲われた恐怖がない交ぜになった感情に、涙が出そうだった。

「……ごめん、ちがう。責めたいんじゃない」

そう言ってわたしの頬を撫でた迅くんの手がわたしの後頭部に回され、そのままわたしの顔が迅くんの胸元に押し付けられた。反対の手がわたしの背中にまわり、ぎゅう、と苦しいくらいに抱きしめられる。無事でよかった、と言われて、せきを切ったように涙があふれ出す。迅くんの背中に手をまわして、しがみついた。わたしが泣きやむまでの間、迅くんはずっとわたしの髪の毛を優しく梳いてくれていた。


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