▼ 冷や汗眼鏡と初対面
先日風間先輩と引き分けた、と誇張された噂を立てられながらもトリオン量も少なく、戦い方もわかっていないぼくは師匠である烏丸先輩に連れられてボーダー本部にやってきた。射手専門でやっている人を紹介してくれるそうだ。いつも忙しい烏丸先輩にここまでしてもらっているのだから、なんとかして結果を出さなければ。
「烏丸先輩、これからご紹介していただく人ってどんな人なんですか?」
なんてことない疑問だった。個性的な人が多いボーダーだからこそ、前情報を仕入れられればと思ったのだが、何故か烏丸先輩は一回ぼくを見た後に視線をそらして黙り込んでしまった。
「あ、あの、」
「………射手としてはたぶん、一番修に近い。火力でゴリ押すというよりも頭を使って戦うタイプだ」
「なるほど…」
先程の烏丸先輩のリアクションには疑問が残るものの、烏丸先輩が紹介してくれるのだから、きっとぼくに合ったタイプの人なのだろう、と自己完結をする。まだC級の空閑と千佳も今日は本部にいると言っていた。これから向かうのは模擬戦ブースらしいから、空閑に会うかもしれない。模擬戦ブースについてまずきょろきょろと誰かを探すように周囲を見回す烏丸先輩の隣で空閑の姿を探していると、探し人を見つけたらしい烏丸先輩が歩き出す。
「ミョウジさん」
「はい?」
振り向いたその人は、長い髪の毛をポニーテールにしている女性だった。この人が烏丸先輩の紹介してくれる人…。
「とりまるじゃん。どしたの?」
「なまえ先輩今日どこにいます?」
「うちの隊室にいるよ〜」
「……ひとりでですか?」
「さぁちゃんとふたりでゲームしてる」
「………」
途端に烏丸先輩が珍しく顔を顰めて黙り込んだ。どうやらこの人ではなく、この人と同じ隊の人を探していたようだ。隊室にいるというなら、そこまで向かえば会えるのではないだろうか。そう思うものの、なかなか動かない烏丸先輩に先程ミョウジさん、と呼ばれたポニーテールの先輩が苦笑した。
「あのふたりがゲームしてるところには入りたくないよね。LINEしたら?」
「昨日の夜から既読になりません」
「そういえばイベ中って言ってたわ。電話は?」
「かけてないです」
それは電話をかければいいのではないだろうか。2人が何を話しているのかほとんどわからないがそう思う。いやでも、烏丸先輩には何か事情があるのかもしれない。私が電話かけてもいいんだけど私が呼んでも来てくれないと思うんだよね。ミョウジさんと烏丸先輩の探している人の関係性がわからなくなった。てっきり同じ隊なのだと思っていたのだが。冷や汗が頬を伝うのを感じる。とりあえず電話かけてみるか〜、と携帯を取り出して発信する。何故かスピーカーにしているが、何か意味があるのだろうか。少し長めのコール音が途切れる。
「もしもしみょうじ?」
「今忙しいんだけど」
ミョウジさんの声を遮るように機嫌の悪さを隠そうともしない女の人の声がする。後ろからはふわふわした女性の黄色い声と、ゲームのBGMのようなものが微かに聞こえてきた。
「今からちょっと模擬戦ブースに」
「無理。ちょっとさぁちゃん!待って!そっち選ぶとスチルが回収できないからセーブして!」
全てを遮りながら、ぼくにはよくわからないことを叫ぶ女の人に、ミョウジさんが烏丸先輩に電話を渡した。
「忙しいからそれだけなら切るよ」
心底煩わしそうにそう言って本当に電話を切ろうとしているだろうその人に、なまえ先輩、と烏丸先輩が声をかけた。
「……ん?とりまる?」
「はい。すみません、なまえ先輩に用事があるのは俺です」
「なんだ、とりまるか。いーよいーよ。どした?」
先程ミョウジさんに話していたのとは別人なのではないかと思うくらいの変わりようだった。ミョウジさんも白い目で烏丸先輩が持っている携帯電話を見つめている。
「射手志望の弟子がいるんでなまえ先輩に紹介したいんです」
「へ〜とりまる弟子とったんだ。了解。ちょっと待ってて」
ミョウジさんが言った時はあんなに取りつく島もなかったのに。未だスピーカーの携帯からは、いってらっしゃ〜い、何言ってんの。さぁちゃんも行くよ、え〜ゲームやりたい〜、さぁちゃんだけ残すと一人で勝手に進めちゃうでしょ!などと賑やかな声が聞こえる。なんとか呼び出すことに成功したからか、烏丸先輩は安心したような溜息を吐いた。今のやりとりを見る限り、きっとかなり気難しい人物なのだろう。気分を害さないようにしっかりしなければ。襟元を正して眼鏡の位置を直す。
「お待たせ〜」
「なまえ先輩」
緊張からか冷や汗をかきながら声のした方に顔を向けると、そこに立っていたのは高校の制服を着た女の人と、その人に腕を引っ張られているオペレーターの女の人だった。電話での様子が想像できないほど普通の人が現れて少し拍子抜けをする。
「待たせちゃってごめんね。事前にLINEくれればよかったのに」
「昨日しましたけど既読がついてません」
「げ、まじで。重ね重ね申し訳ない」
烏丸先輩は気にしてないです、と返したが、お詫びにジュース買ってくる、と言い張るその人の肩を、ミョウジさんがガシッと掴んだ。
「ねえとりまると私の扱いの差が酷いんだけど?ねえ」
「えーなにそれ気のせいだよ気のせい」
いくらミョウジさんが詰め寄ってもまったく意に介さない様子に、烏丸先輩もオペレーターの人も特に気にしていないことから、きっとこれがいつものことなのだろう、と無理やり自分を納得させた。そしてミョウジさんを相手しないまま、ぼくの存在に気付いたらしいその人は、君がとりまるの弟子かぁ〜とのんびり声をあげた。いきなり自分に矛先が向いたことに思わずびくっと肩が揺れてしまう。
「はじめまして。わたしはみょうじ隊の隊長のみょうじなまえです」
「は、はじめまして。三雲修です」
ミョウジさんを指差してやはり同じ隊であることと、隊長であることを含む自己紹介をしたみょうじ先輩は、ぼくの名前を聞いて三雲くんね、と覚えるように復唱した。続いてさっき引っ張ってきたオペレーターの人を指差して、うちのオペレーターの小鳥遊紗彩、と紹介してくれる。先程の電話でさぁちゃん、と呼ばれていたのはこの人なのだろう。みょうじ先輩の隊にはもうひとりいるらしいが、あいにく今日は遅くまで学校にいるらしい。
「で、わたしはどうしたらいいの?」
「俺は射手は専門じゃないんで、ちょっと修を見てやってもらえませんか」
「わたしが?向いてないと思うけど」
「そんなことないと思いますけど」
無表情な烏丸先輩と怪訝そうな顔のみょうじ先輩がしばらく視線を合わせて、先に逸らしたのはみょうじ先輩だった。
「りょーかい。とりあえずそこのブース入ろうか。どのくらいできるか見るから」
根負けしたみょうじ先輩が近くの空いている模擬戦ブースを指したので、それについてブースに入る。自分に力がないことは誰よりわかっている。それでも、精一杯を見せなければ。風間先輩と引き分けの噂からか、多少のギャラリーが集まっているのが見えた。これはもしかしたら、あの噂を払拭できる機会なのではないだろうか。転送されて、トリオン体のみょうじ先輩と向き合った。レイガストを構えて、みょうじ先輩に向かってアステロイドを放つ。これをやすやすと避けられ、みょうじ先輩が僕の数倍の大きさのトリオンキューブを出す。盾モードのレイガストをしっかりと両手で握って備えたその時、みょうじ先輩の出したトリオンキューブが大きな音をたてて爆発した。思わず目を瞑り、もう一度開くと…。
「え?」
みょうじ先輩がベイルアウトしていた。
「さぁぁぁぁちゃぁぁぁぁん!!!!!」
わけのわからないまま模擬戦ブースを出ると、みょうじ先輩が大きな声で叫びながら小鳥遊さんに掴みかかっていた。烏丸先輩はその近くで頭に手を当てて溜息をついている。
「わたしのトリガーをこの間のかっちゃんトリガー失敗作とこっそり取り替えたでしょ!!!!」
「実際に使ってみたら案外いけるんじゃないかと思って〜」
「いけないじゃんいけるわけないじゃん起動しただけで爆発してベイルアウトしたじゃん!!」
小鳥遊さんの肩を掴んでガクガクと揺さぶるみょうじ先輩をよそに、この模擬戦を見ていたC級隊員たちが、あのメガネ、またA級隊員を…とざわざわしだしていた。だから、ぼくは何もしていない。払拭するどころかますます大きくなってしまった騒ぎに、普段の比ではないくらいの冷や汗が流れた。