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七海とお別れする話
※本誌ネタバレ・死ネタ・捏造注意




付き合って数年になる彼氏がいる。少し愚痴っぽいけれど、とても真面目で、証券会社に勤務している人。仕事で日本中を飛び回ることも多いらしく、普通にフルタイムで働いているわたしと予定を合わせることは難しい時もあるけれど、それなりにうまくやっていたと思う。七海くんの性格上浮気の心配もないし、わたしが悩んでいたら溜め息を吐きながらも話を聞いてくれる。わたしはそんな七海くんが好きだった。お互いそれなりに年齢を重ねていたので、同棲や結婚を視野に入れるくらいに。だけど七海くんの口からそういった言葉が出ることは一度もなく、少なからず、わたしはそんな七海くんに不満を持っていた。聡い人だから、きっとわたしの不満にも気づいていただろうに、それでも何も言ってくれないのは、七海くんはわたしと添い遂げるつもりが、全くないからなのだろうか。

“別れましょう”

11月のある日、なんの脈絡もなく届いたたった一言だけのメッセージ。意味がわからなくて、すぐに電話をかけるが、電波の届かないところにあるか電源が入っていないとアナウンスをされるだけで少し低くて疲れが滲む彼の声が電話の向こうから聞こえてくることはなかった。納得なんてできなくて、せめて話だけはちゃんとしたいと、教えられてはいたものの七海くんがあまり良い顔をしないためほとんど訪れることのなかった七海くんの家まで押し掛けるが、お隣さんから既に空き家になっていると聞かされるだけに終わってしまった。こうなっては、もう会う手段も、連絡をとる手段もない。わたしは、七海くんの友人も知らなければ、職場の同僚だって知らないのだ。正直、別れるにしても七海くんならちゃんと誠実に理由を伝えてくれるし、わたしが納得するまで話してくれると思っていた。あまりに唐突に、一方的に訪れた別れに、わたしはただ、胸にぽっかり穴が空いたような虚無感を抱えることとなった。


* * *


突然の別れから数ヶ月が経って、虚無感を怒りに変え、幸せになって見返してやる、と意気込んでいた頃だった。

「みょうじなまえさん?」

「………どちらさまですか?」

全身黒い服で身を包み、サングラスを掛けた身長の高い男性が、わたしの家の前に立っていた。フルネームを呼ばれたが、こんな目立つ男性はわたしの知り合いにはいない。警戒心を露に少し距離を取りつつ用件を聞いた。家も名前も知られているのだ。いくら怪しくても、逃げるという選択肢はない。そんなわたしにその男性は気分を害する様子もなく笑う。

「僕は五条悟。七海健人の古い知り合いっていえば少しは信じてくれるかな」

「………七海くんの?」

「そう。ちょっとくらい七海から尊敬できる先輩の話とか聞いてない?」

「七海くんは、わたしに自分のことをあまり喋らなかったから」

「………そうだね。あいつはそういうやつだ」

七海くんのことをよく知っているような口調に少しだけ警戒を解いた。でも、七海くんの先輩が今さらわたしに何の用事があるというのだろうか。そもそも、生真面目な七海くんと、申し訳ないが胡散臭さを感じるこの人が、仲が良いとは信じられなかった。七海くんの先輩がなぜわたしの家まで知っているかはわからないけど、もしかしたら別れたことを聞かされていないのかもしれない。

「わたし、もう七海くんに振られてます。別れようって一言だけメッセージがきて、それから全く連絡もつかないんです」

「だろうね」

「…………えっと、ご存知なのであれば、わたしに何の用があるんですか?」

相手の意図がわからなくて、少しの苛立ちを感じる。五条さんは、わたしを頭から爪先まで見た後で、僕と一緒に来てくれない?と口にした。誘拐という言葉が頭を過り、ポケットに入れたスマホを握りしめる。家の中に逃げようにも、五条さんが扉の前にいて逃げられない。すみません、と口にして踵を返そうとすると、その前に五条さんの声が、わたしを止める。

「知りたくない?七海のこと」

きっと、どうかしていたのだと思う。こんな見るからに怪しい人に着いていくなんて。七海くんに知られたら怒られてしまうかもしれない。だけどわたしは、七海くんのことが知りたかった。もしかしたら七海くんに会えるかもしれないし、突然の別れに対する文句を言えるかもしれない。自分で思っていたよりも、わたしはずっと七海くんに未練があったのだろう。間違っているとわかっているのに、わたしはしっかりと自分の意思で五条さんに着いていくことを決めてしまった。そのまま五条さんに連れられて、五条さんが乗ってきたという車に乗り込む。運転席には眼鏡をかけた男性が座っていて、わたしに七海くんの後輩だと名乗った。付き合っていた頃は職場の同僚も、先輩も後輩も何も知らなかったのに、別れた後に知り合うことになるなんて。あれだけ饒舌だった五条さんも口を閉じ、無音の車内で窓の外を眺め続けて数十分。車が止まって、降りるように促される。やってきたのは、霊園だった。目を見開き、足を止めてしまったわたしに、五条さんは構うことなく進んでいく。疑問は受け付けないとその大きな背中が言外に告げているようだった。置いていかれてはいけない、と慌てて足を動かして後を追いかけると、とあるお墓の前でようやく五条さんが足を止めた。促されるままお墓の前に立つ。信じたくなかった。でも、そのお墓には確かに、彼の名前が彫られていた。刻まれた没年は、別れのメッセージを受けとるより前で、否が応でも理解させられてしまう。メッセージで一方的になんて、七海くんらしくないと思った。だって、話すことなんかもうできなかったのだから。

「………………どうして」

どうして言ってくれなかったの。どうして、見送ることすら、させてくれなかったの。

「七海くんなんて、きらい。だいっきらい」

次から次へとこぼれ落ちていく涙を拭うこともせず、口から恨み言が飛び出していく。蹲るわたしに、五条さんは何も言わない。不意に影が射して振り向くと、ニット帽を被った、少し年下に見える男性がわたしの後ろに立っていた。彼は、すみませんでした、とわたしに深く頭を下げる。七海くんの後輩だと名乗った彼は、自分がわたしにメッセージを送ったのだと、七海くんのお墓の前でまるで懺悔するかのように告白する。

「七海サンに、頼まれてて」

もしも自分に何かあったら、わたしになにも伝えずにただ別れを告げるように、と。わたしが知らなかっただけで、七海くんは常に死んだときのことを考えるような状況にいたのだ。それが、自分で思っていたよりもずっとショックだった。壁を作られてたのは知っていた。仕事の話はほとんどしないし、しばらく会えなかったと思ったら、久しぶりに会ったときに包帯を巻いていた時もあった。もうほとんど完治している、と言われて、そういう問題じゃない、と喚き散らした記憶がある。その時の七海くんは、どんな顔をしていただろうか。ただ、わたしへの対応に困っていることだけが伝わってきて、もっと悲しくなって、ひとりで家に帰ったような気がする。

「…………七海くんは、どうして?」

しん、とその場に沈黙が降りる。七海くんのことを知りたくないか、と言われて連れてこられて、七海くんが既に物言わぬことを知った。でも、誰も、どうして七海くんが亡くなってしまったのかを口にしない。

「……………言えません」

沈黙の後に出てきた言葉は、思っていたよりもずっとはっきりとした拒否だった。教えてもらえなければわたしは、七海くんのことを知ることなんてできないのに。咄嗟に食い下がろうとするが、彼の腕に七海くんがいつもつけていた時計がついているのを見て、口を閉じる。

「七海サンは、あなたをこっちに巻き込みたくないって言ってました。本当は、ここに連れてくるのも、ダメなんすけど」

それでも、あなたにあの人のことを誤解されたままなのが嫌だった。彼は、本当に七海くんのことを尊敬していたのだろう。痛いくらいにその気持ちが伝わってきて、わたしは何も言えなくなってしまう。忙しい中わざわざ来てくれたらしい彼は、七海くんの遺品である時計を見て、もう一度わたしに深く頭を下げてからいなくなってしまった。

「………わたしは、言ってほしかったよ」

ぽつり、と呟いた言葉は静かなその場所で思っていたよりも大きく響いた。七海くんは、わたしにいくつの嘘をついたのだろうか。わたしは、七海くんの本当を、いくつ知ることが出来ていたのだろうか。七海くんの、わたしを想う気持ちに、どれだけ気づくことが出来たのだろうか。七海くんが何をしていて、どうして死んでしまったのか、きっとわたしはこれからも、知ることはできないのだろう。それなのに、七海くんのことを誤解するな、なんて、難しいことを言ってくれるものだ。何も言わずに、何も教えてくれずに黙っていなくなるなんて、ひどい男。再びその場に蹲り、自分の腕に口を押し付け、誰にも聞こえないように呟く。

「七海くんの、ばか。大好きだったのに」

忘れてしまうにも、抱えたまま次に進むにしても、七海くんと共に過ごした数年間はわたしにとってあまりに鮮烈で。呆れたように笑うところが好きだった。喧嘩した後、居心地悪そうにしながらわたしの好きなケーキを買ってきてくれるところが、好きだった。きっと七海くんはわかっていたのだろう。七海くんが死んでしまったと知ったら、わたしがそこで立ち止まってしまうことを。ぐい、と乱暴に涙を拭って立ち上がる。少し離れた場所で待っていた五条さんが何かを窺うようにサングラス越しに目を細めてわたしを見た。

「もういいの?」

「………はい。わたしは七海くんのことをなにも知らなかったけれど、七海くんだって、わたしのことをなにも知らないから」

そっか、とだけ呟いた五条さんの後に続いて七海くんのお墓を振り返ることなく後にする。忘れることなんてできないかもしれない。前に進んでいくことも。それでも、全部が全部七海くんの思う通りになんてなりたくなかった。七海くんがいなくても、わたしの時間は進んでいく。無理矢理、足を踏み出した振りをするくらい、わたしにだって出来るはずだ。大きく息を吸い込んでから見上げた空は、憎らしいほどに青く澄み渡っていた。