※年齢操作・未来捏造あり
「ねえなまえ、今日飲みに行かない?」
仕事が終わって、帰り支度をしている時に仲の良い同僚から飲みの誘いを受けた。男女ともに仲の良い人を誘って6人くらいで、という話だが、生憎今日は予定が入っている。高校の時から付き合っている彼氏と2か月ぶりに会うという約束になっているのだ。高校を卒業してすぐにプロ入りした彼氏、成宮鳴。普段はまあ、当然向こうが忙しい事もあるし、自分が暇な時しか連絡してこない為、まともに会えるという機会はおろか、連絡をとることすら私から、しかも忙しい鳴に気を遣って週に一回するかしないか、というレベルだ。その鳴が、自分から、オフだから久しぶりに会おう、と言ってきたのである。とりあえず今日の夜から明日は空いてるらしいし、都合のいいことに私も明日は休みだから、夜からがっつり丸1日一緒にいられるね、と電話越しに言ったところ、食べたいものとか行きたいところとかいろいろ返ってきた。なんだろう、俺も会いたい、とか、そういうのを言ってくれるとは思ってなかったけど、もう少しあるんじゃないかな。まあ、会えるのは純粋に嬉しいのだけど。ごめんね、と同僚に謝ると、予定があるなら仕方ないね、また今度行こう、と他の人に声をかけにいった。それを見届けてふぅ、と息を吐くと、私の携帯が着信を告げる。成宮鳴、と表示された画面を見られないように人気のない場所に移動して電話に出ると、もしもしー?出るの遅いんだけど!初っ端からエンジン全開の鳴が出迎えた。
「今日雅さんと飲みに行くことになったから」
「………は?」
「だーかーらー、雅さんと飲みに行くから会えない」
朝まで飲むし、明日も無理。畳みかけるように言われて、唖然とした。何を言ってるのこいつ。え、だって私との約束は?会うの2か月ぶりなんだよ?わかってる?ぐるぐると胸の中をぐちゃぐちゃな気持ちが駆け巡って、なにそれ。驚くほど低い声が出た。鳴は、私と会いたい、とか思ってくれてないわけ。
「ちょっと待ってよ。そんな勝手なこと言われても」
「だってなまえにはいつでも会えるけど雅さんにはなかなか会えないし」
いつでも会えないから2か月ぶりなんでしょーが!私と原田さんのどっちが好きなの、とか思わずぽろっと出てしまいそうになって、雅さん!と言われかねないと思って口を閉じる。鳴のわがままなんて今に始まったわけではないけれど、これはひどすぎる。私は今日という日を、ずっと楽しみにしていたのに。
「鳴のばか!わがまま!」
「は!?なにいきなり!」
「会いたいってずっと思ってたのは私だけだったってことはよーくわかった!楽しみにしてたのが馬鹿みたい!」
「え……」
「勝手に原田さんと楽しんでくれば!きらい!」
ぶち。言いたい事だけ言って電話を切った。ついでに、文句の電話やメールがたくさん来るであろうことを予想して電源も切る。もう、本当にいらいらする。こんなはずじゃ、なかったのに。ぶんぶん、と頭を振って、先ほど飲みに誘ってくれた同僚のところにいって、やっぱり行く、とぶっきらぼうに言う。同僚は不思議そうに首を傾げながら了承してくれた。そのまま職場をみんなで出て、チェーン店の居酒屋に入る。飲んで嫌なことなんて忘れてしまおう。何飲む?なんてメニューが回ってきて、ハイボール!とろくにメニューも見ずに言うと、みょうじ男前!なんてからかう声が飛んでくる。ハイボールは調子のって飲むとカーン!と酔ってしまうからいつもおしゃれなカクテルとかサワー系とかを頼んでいたので余計かもしれないけれど、今日は酔いたい気分なのだ。つまみを手に今日の仕事で、とか、同僚の恋愛話を聞きながらハイボールを飲む。途中で今日の予定はよかったの?と聞かれたが、相手にブッチされた、と言えば周りが納得したようにだからそんなに機嫌悪いの、ともう一杯ハイボールを注文して私の前に置いた。さすがに一気なんてマネはしないけれど、いつもよりたくさん飲んだのではないだろうか。頭がふわふわとしてきた頃だ。聞き覚えのある声が聞こえたのは。
「なんでこんなチープなところなの雅さん!もっといいとこ行こうよ!」
「だから店の中で大声で言うんじゃねえ」
「二軒目だからっていきなりしょぼくなり過ぎでしょ!」
「たまにはいいだろうが。高いものってのは性に合わねえんだよ」
もう声どころじゃない。こんなこと堂々と言う男は私は一人しか知らないし、それを宥めている人の声も名前も知っているものだ。なんでよりにもよって今、こんな偶然があるのか。ふわふわしていた頭が少し冷えるのを感じた。向こうはこっちにまったく気づいていないだろうし、顔を合わせるのも気まずいからこのままやり過ごそう。すぐ近くの席というわけでもないのに鳴が大声でしゃべっているせいで話が聞こえてきてしまう。それが気になってしまうというのはもはや仕方のないことだろう。
「雅さん聞いてよー!」
「みょうじの話ならもう何回も聞いたからな」
「だってさーなまえのやついきなり怒り出したかと思ったら電話切って連絡つかないし、なんなのあいつ!ナマイキ!」
「どうせお前が何かしたんだろ」
「えー!まあドタキャンはちょっとは悪いかもしれないけど、会いたかった、とかいうからこいつちょっとかわいいかもって思ったら悪口言ってくるし!ちっともかわいくない!」
がたん。いきなり立ち上がった私に周りの視線が集まった。トイレ?と通路側の子が立ち上がって通してくれる。それにありがと、と言ってトイレとは反対方向の席に歩いて行った。鳴の愚痴はずっと続いていて、原田さんはそれに呆れたように相槌を打っている。かわいくなくて、悪かったですね?地を這うような声とはこういうものを言うのだろうか。自分が思っていた以上に怒っていたことに気が付いた。勢いよく振り向いた鳴が明らかにやばい、という顔をする。ドタキャンはちょっとは悪い、ねえ。ちょっとなんだ。へえ。な、なんでなまえがここにいるの。どっかの誰かさんにドタキャンされたから同僚と飲んでたの。あ、原田さんお久しぶりです。………ああ。完全に巻き込んでしまった原田さんには申し訳ないけれど、さすがにこれは腹が立つだろう。飲みってまさか男はいないよね。いるけど。一気に不機嫌になった鳴に私と原田さんがほぼ同時に溜息を吐いた。あんたがとやかく言う権利はないでしょう。元々私は鳴と会うために予定を空けていたのだ。それをドタキャンされたから違う予定を入れたところでなんの問題もない。唇を尖らせてむくれている鳴が私の手を掴んで引っ張る。
「うっわ酒くさ!どんだけ飲んだの!」
「鳴には関係ないもん」
「男もいるならその辺ちゃんと考えろよ」
「べつになにもないし」
「いつまで怒ってんの」
一気に近づいた距離で、散々ハイボールを飲んで普段よりアルコールの臭いがするであろう私に眉間にしわを寄せた。いつめで怒ってるもなにも、一言も謝罪というものを受け取ってないんですけど。喧嘩の度に折れるのは私だったけれど酔っているのもあって私も意固地になっているのだろう。離して、と暴れるが、さすがプロ野球選手というか、びくともしない。こんな形で会えたって、うれしくないもん。2か月ぶりなんだから、もっとちゃんと会いたかった。明日になれば私もきっと頭が冷えて、もういいよって言えたはずなのに。だめだ、いつもより感情の起伏が激しくて、涙腺が緩む。ぼやけてきた視界で鳴が慌てているのがわかる。なんで泣いてんの!?雅さんわかる!?知らねえよ。もう勝手にやってろ。どうしてわかんないのかな。一番わかってほしい人なのに。ついにぽろ、と涙が零れ落ちた。
「私は、2か月ぶりに鳴に会えるの、楽しみにしてたの!いつでも会えるって言ってたけど、全然、会えないじゃん!ばか!」
言うつもりなかったことまで勢いで出てきてしまって、ついに嫌われたかもしれない、と余計に涙が止まらなくなる。鳴はこういう面倒くさいの、嫌いだし。はあああああ。深くため息を吐くのが聞こえた。そしてわかってないな、なまえは!と頭の後ろに手を回されて胸に顔を押し付けられる。
「会えんじゃん。これからもずっと一緒にいるんだから。いつでも」
驚いて顔を上げると、鳴はちょっと照れたように顔を背けた。こういうことで嘘をつく人ではないと、誰よりも知っている。だから、それが本音だってわかって、それまで怒っていたのが嘘のように胸がぽかぽかとしてきた。これからも、ずっと。そうだね。ずっと一緒にいるならたまにしか会えない原田さんを優先しても仕方ないよね。くすくす笑いながらそう言うと、そんなこともわからないなんてなまえの方がばかでしょ!ばーか!子供みたいな暴言が返ってきて、すぐに距離をとられる。原田さんの前でくっつくのが恥ずかしいんだろう。なんかもうそれまでのことがどうでもよくなって、うん、そうだね。と適当に頷く。
「今日、終電でなまえの家行くから、それまでには帰って風呂入れといてよね」
私同僚待たせてるから、戻るね。原田さんにお騒がせしました、と頭を下げてじゃあね、と鳴に声をかけると、ふい、とそっぽを向いてそう言われた。朝まで飲むんじゃなかったの。なんて聞かなくても、鳴なりに私のことを考えてくれたんだとわかってそんなわがまますら愛しく感じてしまった。だから私も、何年もこのわがままな男を好きでいられるわけだけど。あと飲みすぎないように!後ろからの忠告にただただ頬が緩んだ。