あのひと、実はとんでもなくたちの悪いひとなのではないだろうか。
熱の引かない頬をぱたぱた扇ぎながら月世は思う。すぐに騎乗したから助かった。ずっと顔を伏せていられたから。さっきの三成の顔といったら、駄目だ。あんなにやさしい顔をされたら、なんでも言うことを聞いてしまいそうである。

待ってろ、と言い残し、どこかにすたすた行ってしまった彼は見えない。木陰の下で膝を抱える。朱い躑躅が見える。薄紅の石南花、金色の山吹、白い野いばら。そよ風がうっすら汗をかいた額を撫でた。うつくしいところだ。初めて来た。ぼんやりしていると、向こうから三成が歩いて来た。手に何か持っている。

「やる」

短く言って、一つ、月世の手に落とす。枇杷の実だ。

「お前は甘いものが好きだろう」
「わぁ、ありがとうございます」

黄色っぽい枇杷の実はつやつやとしている。そっと爪を立てると簡単に皮が剥けた。かじると甘い果汁が舌を潤す。三成は月世の隣に座り、手ぬぐいで残りの枇杷の水滴を拭っている。小川で洗ってきたらしい。

「…おいしい…」
「ふ、そうか」

微かに三成が笑う気配がした。はっとして顔を上げたときには、いつもの無表情な横顔があった。まただ。今までも何度か、こういうことがあった。自分はいつも見逃している。むう、と眉を寄せたところに枇杷の実が掌に転がされる。盗み見ると、三成は枇杷をかじっていた。並びのいい白い歯と薄いくちびる。肌は血色が悪い。琥珀のような瞳は本当に不思議な色をしていた。金色がかっていて、光で微妙に輝きが変わるようだ。

(……きれいなお顔…)

何故わたしだったのかしら、と彼女は考えることがある。月世の父は彼より位が低い。左腕と囃されている三成なら、もっと高貴な姫君を室に置くことも不可能ではないのだ。草鞋を履いた爪先を見つめる。

「…お前はなんでもするんだな」

反応が遅くなった。ゆっくりと隣を見る。思ったより端正な顔が近くて、彼女は慎重に息を吸った。

「…はい?」
「飯も作るし、舞も、唄も。薙刀も…そのうえ馬にも乗る」

不思議そうな声色だった。彼の顔の筋肉はあまり動いていなかったが。少し考えて、月世は正直に答えた。

「わたし、ひとが楽しそうにしているのが好きなんです。だから、そのためだったらなんでもしたいと思います」
「………変わっているな」
「そうでしょうか。……それに、できないこともたくさんありますよ」
「例えば?」
「ええと…、お酒は飲めません。走るのも速くないし、魚もうまく捌けなくて……あと、怒っても怖くないそうです」

言い終えてから枇杷の種を遠くに投げ捨てた。草が風に揺れている。雲の流れを眺めていると、隣の男がぽつりと言った。

「大坂に行く。……しばらく帰れない」
「………じゃあ、お手紙をいっぱい書きますね」

石南花が美しい。豪奢な着物のような花弁がふわふわと揺れている。隣人が鼻を鳴らした。
綺麗な花を見つけても、三成はあまり摘もうとしない。それより、こうして月世を連れて来て、風に揺れている草花を見せようとする。
そのことに気付いたとき、月世は妙に落ち着かない気分になった。彼女は綺麗な花を他人に捧げるのが好きだ。その行為によって人が笑顔になるのが好きなのだ。


「わたし、綺麗な花を見ると、三成さまを思い出します」
「……意味が分からん…」
「ええと、三成さまにも見て頂きたいと思うのです。やさしい気持ちになるから」
「………」
「おいしいものを食べると、三成さまにも召し上がって頂きたいと思います」


このひとの優しさは、少しわかりにくいけれど、心地が良いものだ。いっそ恐ろしいほど真っ直ぐで、清い。これほどの善人がいるものだろうか。月世はほうと息を零した。

視界が陰る。大きな手がのびてきて、身体がびくりと揺れた。手は一瞬戸惑うように止まってから、月世の頬に指先を置き、ゆっくりなぞる。かっと顔に血が上った。確かめるようにかさついた指が紅潮した肌を撫でる。冷たさに少し身震いした。

「三成さま…?」
「…お前は馬鹿だな」
「え、え…え?」
「大馬鹿だ……」

頬から離れた手が茶色の強い髪を一房取った。薄いくちびるがそれに落とされて、月世はますます顔を赤くした。湯気まで出てきそうだ。

「み、みつなりさまっ…」
「…黙れ。口と目を閉じろ」

大慌てで言葉に従うと、くい、と冷たい指に顎を上げられるのがわかった。甘い果実の味に、ひどい眩暈がした。





(110228)


 
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