酒盛りに誘われ、館の主と懇意にしていた吉継は、日が落ちる前にやってきた。手には気に入りの酒とつまみ、団子がある。酒宴が始まるまで世間話でもと思ったのだ。いつもと同じく春先の庭の見える室に通され、病人を気遣ってか出された火鉢で暖をとっていると、茶を持った少女が室に入ってきた。紅梅色の小袖。手には茶と桃の枝が載った盆。色の明るく柔らかそうな髪。その耳の前の両脇を、草色の紐でくくっている。

何度かこの館に来たことはあるが、見ない顔だ。解けかかった右手の包帯を直しながら、吉継は小さく首を傾げた。娘は行儀良く頭を下げる。

「娘の月世です。父は今着替えておりますので、しばしお待ちを」

娘がいるとは知っていたが。彼女が侍女のような真似をしていることを、吉継は少し奇妙に思った。吉継の病に怯えて、女中たちが茶を出すのに躊躇していたのだろうことは容易に推測出来る。それでも、大事な姫御にこんな真似をさせるだろうか。

少女は桃の枝を花器に突っ込んでいる。火鉢に手を当てていると、またぱらりと包帯が解けた。左手で包帯を直すが、上手くいかない。少女はそのまま退室するかと思いきや、もっと座布団はいるか、と聞いてきた。

「…もう座っておる」
「足は辛くはありませんか」
「大事ない。今日は調子が良いのよ」
「それはよかった。……あ、」

何気なく伸ばされた手が、軽く吉継の右手を握った。温かい手が緩んだ包帯を巻き直し始める。爛れた肌にも少女はまったく恐れの色を見せない。枝を器に入れたときと同じ表情である。

「すまぬなァ」
「いえ」

桃の香りがする。きゅっと結んだ布の端の位置を直して、少女は室から出ていった。出された茶はうまい。なんだか負けたような気分になり、吉継は唸った。

その少女と友が祝言を挙げると聞いたのは、桜が咲き始めた頃である。




麗らかな春の日。饅頭を手土産に、ふよふよと輿に乗って佐和山城を訪れると、友は青白い顔を吉継にしかわからない程度に緩ませた。勝手知ったる庭先の縁側で、ずずずと茶を啜る。

「して、どうだ」
「…何がだ?」
「嫁よ、ヨメ。毎日泣いておるであろ」
「いや……そういえば泣き顔を見たことがないな」

いつもたるみきった阿呆面だ、と言う三成の口調が妙に優しい。吉継は微妙に居心地が悪くなった。予想と違う。本来なら、娘は凶王に嫁いで悲嘆に暮れているはずだったのに。なんとなく悔しい。苛立ち紛れに三成をからかってみることにした。

「どこまでいったのだ?」
「……昨日は月世と城下の茶屋に行き、帰りに花見をしたが……それがどうした?」
「……ぬしらが清い仲なのはわかった」

頭痛がしてきた。病人になんてことをする。

「初夜はどうした…」
「ああ、…祝言のあとは月世が疲れ果ててな。眠ってしまった」
「………」
「月世は寝つきがいい」

三成は食欲も睡眠欲も性欲も薄い。ないに等しい。わかってはいたが何も致してないとはどういうことだ。月世はもう十分育っているし、さっさと済ませてしまっているものと決め付けていた。これではただの幸せな夫婦のようだ。とんだ期待外れである。失意に溜息をついて、吉継は茶を啜った。春風がさわさわと三成の銀の髪を揺らす。よく整えられた庭を眺めていると、三成が静かに口を開いた。

「…私ばかりが想っている」

友は苦しげに呟く。吉継は白い布を被った頭をぎこちなく三成に向けた。耳を疑った。想う。あの三成が。誰を。あの少女を。

「……さようか」
「ああ…」

三成は眉をひそめ、口をへの字に曲げている。不機嫌な顔をしていた。

吉継が見るところ、月世という人間は、誰にでも優しい。三成がその心を独占したいと思っても、月世の心は大きいし、三成の心は小さいのだ。うまくいくはずがない。そこまで考えて、何故か、婚儀のときに見た彼女を思い出した。頬を染めた、幸せそうな微笑み。

「…そのようなこともなかろ」
「………そうか?」
「人の心がわからなければ軍師には到底なれぬぞ、三成」

小さな足音が聞こえ、盆を持つ少女が視界の端に映る。女中のような真似をするのは、嫁いだあとも続いているようだった。茶のおかわりでも持ってきたのだろう、微かに湯気がたなびいている。

「月世」

来い、と三成が呼ぶ。ぱっと顔を上げて、早足で少女が向かってくる。弾んだ声が、こちらに居たのですか、と歌うように言った。

「迷ったか」
「少し遠回りしてしまいましたけど、大丈夫です。すぐに覚えます。……大谷さま、新しいお茶をお持ちしました」
「やれ月世、饅頭はいるか?」
「あら、おいしそうですね……いただきます」
「………」

ぺたんと座り、目を輝かせて饅頭を頬張る月世を、三成が鋭い目で睨みつけた。やけに思い詰めたような顔である。

「……月世、お前は私のことをどれくらい好いている」
「んむ、ええと……このくらい、でしょうか」

夫の突拍子もない言葉にも特に戸惑わず、饅頭を飲み込んだ月世が右手の拳を出す。

「………小さいな…」
「はい。このくらいがいいのです。心の臓と同じくらいでしょう」
「………」
「落とさないように、大事に、いつでも一緒にいられますから。ここに、」

月世が胸の辺りに手を置く。三成は数秒仏頂面で押し黙り、鼻を鳴らして庭を向いた。銀の髪から見える耳が赤くなっていた。友の激しい動悸が聞こえるようである。吉継は耐え切れずに爆笑した。




あの凶王に遅い春がやってきたのだ。笑い過ぎて腹が痛い。あのとき久しぶりに感じた、温かい人肌の手のような。そんな優しい季節がきた。





(110214)

 
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