今夜は三成が人並みの量を食べてくれたので、月世は安心した。人並みといっても、女の月世と同じくらいだ。もう少し食べて欲しい。次は猪がいいだろうか。むう、と考えつつ、濡れた髪を手ぬぐいで拭う。のろのろと櫛で髪を梳いていると、真横から白い腕がのびてきた。びっくりして櫛を落としてしまう。

「貸せ。私がやる」

いつの間にか隣にいた三成が櫛を拾う。髪にのばされた手を、月世は反射的に避けてしまった。彼がちょっと目を見開くのがわかる。再度のばされた白い手も、そんなつもりはないのに、またひょいと避けてしまう。案の定、とてつもなく短気な三成のこめかみに青筋が立ったのが見えて、月世は震え上がった。

「おい月世、逃げるな」
「ご、ごごめんなさい…!思わず!」
「こら待て!」

手首をぎゅうと掴まれる。そのまま思い切り引っ張られて、些か鼻を彼の胸元にぶつけた。血が沸騰するような感覚に襲われる。がっちりと身体を押さえ込まれ、じっとしてろ、とどすの利いた声が耳元で響く。髪に櫛を入れられた。

「逃げられると追いたくなる」
「……そうですか…」

野性動物のようなことを言って、三成はじりじりと月世を追い詰める。容赦のないひとだと思う。

目線を上げると、痩せた喉があった。浮き出た喉仏をぼんやり眺める。緩んだ襟から覗く白い肌。骨を伝う雫を目で追っていると、左の鎖骨のすぐ上に、薄い傷痕を見つけた。月世はこの傷をつけた誰かに感心した。三成に刃が届くというのはすごいことだ。

例えば、わたしが今、懐に短刀を隠していたら。殺意を持って鞘を払い、このひとに小さな傷をつけることはできるかもしれない。彼女は目を閉じる。でも、それはきっと月世の命と引き換えだ。三成は躊躇なく月世を殺すだろう。彼は自分の命の使い方を決めてしまっている。三成は彼女の為には死なない。自分の為にも。
それを、哀しい、と思うのは、ゆるされないのだろうか。

しばらくして、髪を梳く手が止まった。彼はむっつりと押し黙っている。みしみしと潰さんばかりに抱きしめられて、少し苦しい。軽く肩を叩くと力が緩んだ。それを合図にしたように、嫌か、と三成が低い声で言った。

「はい?」
「……私に触られるのは」
「そんな、ことは!」

ない、ありえません!必死に答えたのに、相手の返事がない。月世は力の強まった腕の中で、苦労して上を向いた。

「……あの…怒ってます?」
「怒ってない」

彼はひどく酷薄そうな笑みを浮かべている。物凄く怖い。びくびくしていると、額に唇を押し当てられた。三成がフン、と満足そうに鼻を鳴らす。上機嫌らしい。

「ああ、やはり月世はいいな。お前を私だけのものにできたらいいのに」

独り言のように囁く。月世に聞かせるためのものではないようだ。意味が、よくわからない。月世はもごもごしながら言った。何を今更。

「わたしは三成さまのものですよ」

ぴたりと三成の動きが止まった。肩を掴む手がわなわなと震えているのが不思議だ。爛々と輝く二つの眼が月世を睨みつける。

「……そうか私のものか」

獣が唸ったような声だった。がしりと両手を取られて月世は小首を傾げた。なぜか胸騒ぎがする。三成は何かを期待しているような顔をしていた。なんだろう。月世はさらに首を傾げる。

「頭のてっぺんから爪先まで全部私のものだな!」
「え、ええ。そうですよ」

念を押すような言葉に若干気圧されながらも、彼女は頷いた。頷いてから、やっと今の自分の状態に気付く。昼間見た、狐に食べられようとしている兎に、似ているような、いないような。

「あ、あの、三成さま、もしかして」
「よし、わかった」
「えっ、え!ちょ、ちょっと待って下さい、わたしまだ心の準備が」

三成が灯を消した。視界が暗闇に塗り潰される。何も見えない。きし、と床が軋む音がした。

「……三成さま…?」

右手をさ迷わせると、ひんやりした手が指先を握った。三成は夜目がきくので、暗闇のなかでも月世の動きがわかるのだろう。手の甲に柔らかいものが押し当てられる、それがくちびるだとわかったときには膝を割られていた。しゅるしゅると帯を解かれる音が聞こえて、月世は素早く身体をしゃちほこばらせた。薄い布の上から背骨を辿られると、本当に困ってしまう。このひとは、こんなにもたやすく自分を暴くことができるのだ。恐怖に近いものを感じる。大きな掌が背中を撫でる。しばらくすると、三成が耳たぶにくちびるをつけて、吹き込むように呟いた。

「……終わったか」
「な、なにが」
「…心の準備」

どうやら待っていたらしかった。強張っていた身体から力が抜ける。ふふ、と彼女は笑った。何を笑っている、と三成が訝しそうにする。月世はまた笑った。このひとは、変なところでとても律儀で、たいへん優しい。月世は返事の代わりに、三成の首に腕を絡めた。





(110413)

 
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