三成さまへ

徳川さまがすぐに帰ってしまうらしいので、急いでこれを書いています。乱筆お許し下さい。

お手紙、頂きました。徳川さまと本多さまは、お蕎麦を召し上がっています。天ぷらがお好きだそうです。とても明るい方々ですね。三成さまの御友人は、素敵なひとばかりです。

それから、月丸が帰って来ません。心配ですが、賢い子なので、きっと戻ってくるはずです。待っていようと思います。

今日は天守に登らせて頂きました。遠くまで見えて、いい眺めでした。
ここからも、貴方のいる方はよく見えます。

月世より




「三成君」

はっとして顔を欄干の向こうの景色から戻す。美貌の軍師がこちらを覗いていた。素早く頭を下げる。

「申し訳ございません半兵衛様!」
「…そんなに気になるなら連れて来ればいいのに。僕も秀吉も、別に気にしないよ。むしろ大歓迎さ」

半兵衛の言っている意味がわからず、三成は僅かに眉をひそめた。気付いていないのかい?、と軍師は笑う。細い指先がなまめかしく窓を指差した。

「さっきから近江の方ばかり見ているよ」

三成は言葉を失って赤面した。ばさばさと手にあった巻物が落ちる。




月世

家康が帰ったあと塩はまいたか?あんな奴に蕎麦を出す必要はない。水で十分だ、水で。天ぷらなんぞ石ころでも揚げて出せ。わかったか。

月丸はおそらく散歩だ。そのうち鼠でもくわえて帰ってくる。庭に魚のあらでも出しておいたら、誘われて来るかもしれないな。

今日は鷹狩りをした。家康に負けた。おかげで暑さが二割増しだ。今度の弓射でこてんぱんに負かしてやろうと思う。

川で蛍が飛んでいた。お前に見せたいと思った。

石田三成



三成さまへ

小石など召し上がったらお腹を壊してしまいますよ。徳川さまと仲が良さそうで羨ましいです。少し嫉妬してしまいます。
嘘です。とっても嫉妬しています、わたし。

三成さまのおっしゃる通り、魚のあらを置いておいたら、月丸が帰ってきました。喉に怪我をしていましたが、元気です。安心しました。月丸は強いようです。ますます三成さまに似ています。

絹代さんと又吉さんがご夫婦だということを、やっと知りました。お子さんもいて、翠ちゃんという、とても可愛い女の子です。一緒に双六をしたら、負けてしまいました。

そういえば、弓射はどうなりましたか?三成さまの勝利を願っております。

蛍、見たいです。

月世より




手紙の返事が来ない。月世は何回目かもわからない溜息を付いた。文机に頬杖をつき、もやもやしながら黒い痕跡を人差し指でなぞる。何を、と彼女は思う。何をわたしは不満に思うことがあるのかしら。にゃあん、と鳴いて寄ってくる白猫の身体を撫でた。蝉の鳴き声がする。

佐和山は三成の影がちらつく場所だ。町並みや、川の流れや、人々の笑顔。そんなものに彼が色濃く残っている。瞼を閉じた。三成は優しい。本当に優しい。忙しいだろうに、こうして手紙だって送って、気遣ってくれる。だというのに、この寂しさはなんなの。

不意に、冷たい指先とくちびるに与えられた湿り気を思い出して、彼女は文机に突っ伏した。熱い頬の下の紙。あの指先が、この言葉たちを書いたのかと思うと、たまらない気分がする。

足音がして、月世様、と開け放たれた障子から絹代の明るい声が聞こえた。はぁい、とだらけて応える。

「旦那様がお帰りになりましたよ」

がばりと起き上がり、勢いよく縁側へ出た。ありがとう絹代さん、と言い、急いで庭に向かう。裾が絡げるのも構わず縁側を行く背中に、絹代の笑い声が聞こえた。

よく磨かれた濡れ縁に滑りそうになりながら、表に近い庭に猫背の長身を見つけた。家康もいる。そういえば戦装束の彼を見るのは初めてだ。陣羽織を着て具足をつけた三成はいつも以上にほっそりとして見える。声をかけようと口を開いて、月世はなんだか躊躇ってしまった。お客様もいるし出直そうかしら、と肩を落としていると、三成が無造作に振り向いた。ぱちん、と目が合う。

草摺の音がしたと思ったら、視界が紋入り甲冑に埋め尽くされていた。ひょいと俵のように担がれて、思わず素っ頓狂な悲鳴が上がる。意外と力持ちだ。どよめきが聞こえる。月世の制止を聞かず、三成はずかずかと進んで行く。ばたつく太腿を触られてくすぐったい。ひらひらと揺れる陣羽織の裾を見ていると、腰を掴まれ奥の縁側に下ろされた。あの短時間でここまで移動出来るとは。正座すると、三成も草鞋を剥がして胡座をかいた。彼の目の下にうっすら隈があるのを月世は発見した。

「…少し痩せたな」
「そ、そうでしょうか」

二ヶ月と半分ぶりに会った夫は開口一番にそう言って、すぅと目を細めた。今日は一段と金色が濃い。それから懐を探って、白い紙を月世に押し付ける。文だ。

「返事が遅くなった。受け取れ」
「…ありがとうございます」

読んでもいいのだろうか。そろりと三成を伺う。黒い籠手が頬を撫でた。びっくりしていると、三成が舌打ちして籠手を乱暴に外す。ひんやりした白い右手が、いつかのように月世の頬を包む。顔が急激に熱くなった。親指がするすると目の下をなぞり、熱い耳の縁を長い指に辿られて、月世は逃げ出さなかった自分を褒めたくなった。されるがままになっていると、掻くように髪に指を入れて、うなじをやわやわと慰撫される。はふ、と熱を持ち湿った呼吸を必死に堪える。三成の接触は、自分がなにか大事にされるものになったような気分にさせられて、慣れる気がしない。簡単に乱されてしまう。いやでは、ないのだけれど。

そのまま冷たい掌が背骨を撫で上げ、引き寄せられた。ぐりぐりと首筋に顔を埋められる。動物が甘えるような仕草だった。手の置き場に少し迷って、硬い背中に添える。

「…百姓の畑仕事を手伝ったらしいな」
「…え、」
「新之丞の制止を振り切って野駆けに行ったとか。供も付けずに……馬鹿が」
「な、なぜそれを」

くぐもった声が呟く言葉に彼女は慌てた。文には書かなかったはずだ。もしや三成には神通力でもあるのだろうか。間があって、忍びをつけておいた、とぼそぼそ言う。

「…心配だった」

溜息が聞こえる。背中の手の力が強くなった。三成が顔を上げた。そうか、と月世は気付く。彼は血の巡りがいいと瞳の色が明るくなるのだ。前髪の奥で金眼が煌めく。むすっとした表情で三成が続けた。

「秀吉様が…近頃の私は怖い、とおっしゃるのだ」
「…?」
「……飢えた獣の傍にいる気分になるらしい」

月世は小首を傾げた。三成の言葉の意味をゆっくりかみ砕く。

「……わたしが餌ですか?」
「…腹一杯にしてくれ」
「あ、余り自信が…」

がしりと両手を凄い握力で握られた。逃がさんぞ、とでも言うように鬼の形相で迫られる。闇色の光が漂っている。

「秀吉様から許可を頂いた。大坂に来い、私の傍にいろ、一生いろ、拒否は認めないッ!」

おおっ、と歓声が上がった。すぱーんと障子が開けられ、石燈籠から、廊下の角から人が出て来る。早速準備ですな。月世様行っちゃうんですか。寂しくなるなぁ。あたしも行きたい!などなど。家臣も侍女もわらわらと現れてはどこかに去って行く。家康が一番近い室から顔を出した。

「よかったな三成!」
「…貴様…!」

立ち上がった三成が動きを止めた。ふらりとぐらついたと思ったら、具足を付けたままの身体がひっくり返って酷い音を立てる。三成さま、と悲鳴を上げて身体を揺する。静かな寝息が聞こえた。

「……ね、寝てる…?」
「流石に限界か……月世、ちょっと手伝ってくれ」

よいしょ、と家康が力の抜け切った三成と肩を組んだ。月世は置いてあった刀を持って、もう一方の肩を持つ。

「三成、ずっと寝てないんだ。仕事終わったら月世に会いに行けるから、頑張っててな」
「まあ…」

眠る彼は普段より大分あどけない。むにゃむにゃしている。

「……徳川さま」
「ん?」
「弓射はどちらが勝ったのですか?」
「ああ、この前のか。三成だ」

自然と笑みが零れた。夏の湿った空気が髪を揺らす。もう日が沈みそうだ。大坂の夕日はどうだろうか。




月世

意味がわからない。何を嫉妬しているんだ?詳しく話せ。

家康に弓で勝った。私の圧勝だ。秀吉様に硯を頂いた。


月丸は連れて来てもいい。星来はいる。絹代と又吉と翠も、まあ、許してやる。しかし本人達が嫌だと言ったら、無理強いはするな。

なんなら、お前の好きな花だって植えてやる。野駆けも、私と一緒なら許す。

蛍が見たいと言ったな。
見せてやる。四の五の言わずにさっさと来い。

石田三成





(110307)


 
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