赤色がひらりと揺れる。あなたの額に巻かれた赤い布が、風にはためく。初めは、その下には角が生えているのだと思っていた。六文銭が金で捺された、赤い真っ直ぐな背中。そこで交差した真っ赤な槍。わたしのあるじ。あなたがゆっくりと振り向いて、笑う。赤い手がのびてくる。差し出されたその手を、わたしは、――



重い瞼を上げる。地獄にしては普通の天井だ、と思う。雀の鳴き声がした。開いた障子から射し込む光。のばされた左手が視界の隅に入る。

「……あ、れ…? 」

なぜかわたしは生きていた。



青い竜が、里に大金を払ってわたしを雇ったらしかった。

「貧相なナリのくせに高かったぜ、アンタ」
「……無駄な金子を、使わせてしまったようで……」

右の脇腹に引き連れた痛みがある。起き上がって口を開くと、新しい上司はニヤニヤと笑った。獣のように鋭い歯。一際尖った八重歯が見える。青色が似合う男だ。左手で掛布を握り締める。かすれた声が出た。

「……どうして、助けたんですか…」
「アンタ、笑っただろ」
「…え」
「今から死ぬってときに笑うなんざ、相当crazyな奴だと思ってな」

だから助けた。さらりと言う独眼竜は笑っている。わたしは唖然とした。



仕事は、片腕のわたしでも出来るようなものばかりだった。簡単な諜報活動、簡単な暗殺。それから、農民の少女の遊び相手をしたり、竜の右目の畑仕事を手伝ったり、青い男の城下への脱走を阻止したり。これでいいのか、と思う。何故か医者まで付けてくれて、身体を治す薬をくれる。調子が良くなった気がする。こんなに面倒を見てもらっていいのか。優しくされていいのか。なぜかあなたを思い出す。



厨で独眼竜の手伝いをする。この男は料理が得意らしかった。鍋をかき混ぜながら竜が告げる。

「客人が来る。祭りに連れていくからついて来い。護衛しろ」
「はい」
「女共が浴衣を縫ったからな、それ着てけよ」
「………」
「さっさと返事」
「………はい」

ふう、と竹筒に息を吐き、竈に空気を入れる。ぼうっと赤い炎が大きくなった。



上司の隣にいるあなたに、ないはずの右手が痛んだ。どうしよう。動揺に呼吸が上手くできない。獣の面をした暗い視界の中、あなたがわたしを見る。見つける。ぴた、と動きが止まった。丸い目が、きゅ、と開く。気付かれた。上司が薄く笑うのに、この男は全部知っていたのだとわかる。

「椿!」

堪えきれずに逃げ出した。人混みを抜けて境内を抜けて林を抜けて。息が上がる。足が縺れる。椿、椿、とあなたが呼ぶ。待ってくれ、椿!逆らえない。抗えない。ずるずると木の根元に座り込んだ。土を踏む音がする。

「椿、出て来てくれ」
「ゆきむらさま、駄目、もう駄目なの」

面で声がこもる。どうして。わたしは唸る。手負いの獣みたいに。自分を強く見せるように。闇の中で震える。

「どうして追いかけてきたのですか。こんな、死に損ないの、醜い姿、あなたにだけは見られたくなかった」
「あいたかった、椿、あいたくて」

あなたの上擦った低い声。ひどい気分だ。蹲って目を閉じる。遠くで祭り囃子が聞こえる。面の内側が濡れた。

「わたし、もう何にも出来ない。あなたのお役に立てないのです。ただのおんなになってしまった!」

昔みたいに一夜で国々を駆けることも、戦場で人を殺すことも、こんな歪な躯じゃあ満足にできない。足音が近付いてくる。わたしの前で音が止まる。熱い手が耳を掠った。面の紐の結び目を解かれて外される。濡れた頬が拭われた。顔を上げる。あなたが笑う。

「俺には、最初から、ただの女子に見えたぞ」

この優しさがわたしを殺す。そうして生かす。わかっていたはずだ。
苦しいくらい、あなたを望んでいる。

「椿、一緒にいよう」

温かい手がのびてくる。差し出されたその手を、わたしは、ぎゅうと握った。流れる涙が温かいことを知る文月の夜。




(110709)


 
×